貧困女子ログ 【プロローグ:弱点】
小学1年生が終わる春休みから高校1年生の冬までの8年間、私は児童養護施設という場所で暮らしていた。
ただルールの中で命だけが繋がれていくように感じた8年間。
何を知らないのかも分からないから、何を知りたいのかも分からない。
恥ずかしいくらいに無知が故の敵知らずだったと思う。
自分が愛されるべき人間だと思うこともなかった。
“いい子”であれば、誰も文句を言わない。
そこに愛が流れていなくとも、子どもたちは安全が確保された環境で生活ができる。
愛情を確認しなくとも生かされていくことが保証されているのなら、愛について考える必要などない。
しかしそれは【児童養護施設】という生温い箱の中だけで通用したものであって、人間としてどこか欠如したような気持ちが残ってしまうのには変わりなかった。
無論、親が引き取りにこない状況の中で愛について考えるのは虚しさが残るだけだった。
そしてあれほど望んでいた自由をいざ手にしてみると、自分には何もないことに気が付いてしまった。
まるでもう1人の自分と目が合ってしまったような気分だ。
何も決められていない24時間を自由に楽しむことができるほどの軸を、私は持ち合わせていなかった。
【自由とはルールの中でこそ楽しめるもの】であることを、施設を退所してから知ったのだ。
経済的にも精神的にも自立が出来ていない子どもが扱えるようなものではなかった。
ルールだらけの環境で一丁前に「自由になりたい」と望めるだけ望み、自分がどう生きていきたいのかを真剣に考えることもなかった。
愛について考えてこなかった人間が、何を大切にして人生を楽しみたいのかなどわかるわけがない。
そもそも常に【排除されないだろうか】と他人軸で生きてきた私にとって、自分に興味関心を持つほどの余裕などなかったのだ。
私に足りなかったものは、家族でもお金でも愛されているという事実でもない。
【自分を信じられなかった】ことが、私の弱点となった。
大人の顔色を伺いながらの言動は、自分に何度も嘘をつくことと同じだった。
それによって自分のことを見失ってしまったような気がした。
しかし、それは自分を見失ったわけではなく、
そんな嘘つきな自分を信じられなかっただけなのだ。
どうやったら自分を信じられるのか。
どんな自分だったら信じられるのか。
自分を信じる方法を知らなかったから、自分の心を守る方法も分らなかった。
それゆえに、人との距離の取り方があまりにも極端で閉鎖的になってしまっていた。
「なりたい自分」よりも「排除されない自分」を優先する事で、自分の生きる場所を確保したかったのかもしれない。
しかしその行動というのも、自分の居場所を守りたいという思いから生まれたものでもある。
下手くそなりに自分を守ろうとしていたのだ。
自分を信じることができれば、他者の言動に振り回されることもなかっただろう。
そして人生を切り開くことも、ゲームで暇を潰すかのように楽しむことができただろう。
私にはそれが足りなかった。
けれどそんな自分と向き合う大きなキッカケとなったのは、情けないことにも「弟の死」によってだった。
自分を大事にするということは、【自分の弱さや醜さを認め、受け入れる】という当たり前のことだった。
どこかで親や環境のせいにして愛されなかったと嘆き、自分や他者に対して向き合うことを諦めてしまっていた。
愚かで、弱くて、無力で、何もない。
知識も常識もない空っぽな自分を知ることが怖くて仕方がなかった。
けれど、どうせ私もいつかは必ず死ぬ。
たった一時間ほどで人間は灰と骨だけになってしまう。
それを箒でかき集める職員を見て、人間の最期の姿がまるで”物”のように見えてしまった。
いくら自分を身繕いしたところで、最期は人様に骨を拾ってもらわないといけないような姿になってしまう。
ならば、もうこれ以上何も隠すことはないのではないかと思えてしまったのだ。
何も知らなかった時のような無敵状態な自分にはもう戻れない。
私の中の弱さと目が合ってしまったから。
そしてその弱さと共に生きると決めたから。
何の根拠もなく動けるような飛躍力も無鉄砲さもないけれど、それと引き換えに地を踏み締めているという実感を得ることはできた。
・・・
本来ならば、親と築いていくはずだった【愛着形成】
すなわち、親との信頼関係によって自分を無条件に信じることができ、自己を肯定できるようになっていくもの。
けれど親と向き合うことが難しくとも、自分にも価値があるのだと確認する方法はある。
失敗によって誰かに笑われたとしても、自分を嫌いにならずに済む方法はある。
誰にも愛されていないと思っていても、自分で自分を愛せる方法はあるのだ。
【その方法を私は知っている】と思えているだけで、どれだけ気軽で気楽な人生を送ることができるだろうか。
どの記憶を切り取っても、誇らしいと思える過去など持ち合わせてはいないけれど、生々しい心の動きをする自分という人間を通じて、「生」を感じる瞬間は好きだった。
心のバネと呼ばれているレジリエンスが弱かった私は、こうやって文章にするまでに随分と時間を費やしてしまった。
自分を知るのも知られるのも怖い。
何もない自分を再確認しながら、それを他者に知られてしまうのだから…。
正常な思考を持ち合わしている人からしたら、そんなことで?と思うかもしれない。
けれど私が私を丸々愛せる自分になるためにも、過去を整理し、できる範囲でありのままの自分を開示していく作業が必要な気がした。
人間にとって必要最低限の愛情を自給自足できる人が増えていったら、社会はもう少し優しく生きやすい環境になっていくのではないだろうか。
・・・・・・
これからnoteには、児童養護施設でのことなどをかすかな記憶を辿って体験記として綴っていきます。
※またこの体験記には今後、少々過激な内容も含まれますので、個人の判断に従って読んでいただけたらと思います。
※仮の目次と話数です。変更することもあります。
【プロローグ】弱点
【1】血縁
【2】祖父の言葉
【3】新しい恋人
【4】怒りの矛先
【5】母との時間
【6】新大久保
【7】別れの合図
【8】いい子の定義
【9】ルール
【10】約束
【11】虚無感
【12】家族ごっこ
【13】破壊と崩壊
【14】児童相談所
【15】薬と契約書
【16】感情鈍麻
【17】新たな視点
【18】去る春、進む春
【19】危うい夢
【20】居場所
【21】在り方
【エピローグ】決断
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