僕が逃げ出した場所、そして帰る場所

冬休みの帰省について、家族会議をした。
長女(高1)が「帰省したくない。だって、宿題が沢山あるし、こっちでもやらなきゃいけないことが沢山あるから」と言い出した。

盆と年末には、私の故郷である長崎に家族揃って帰省する。それが当たり前だと思っていた。

しかし、子ども達が大きくなり、なかなか揃っては帰りにくい状況になっていることに気づいた。

長崎の父母に孫の顔を見せること。それが真っ当な行いだと考えていた。

今は京都で、妻、長女(高1)、長男(中1)の家族4人で住んで、大阪で働いている。
長崎から京都の大学へ来てから30年余りが経つ。

長崎で高校時代まで過ごしていた当時の僕は、長崎という九州の端っくれのなんの発展も望めないようなあの場所が嫌いだった。この狭いすり鉢状の町に、将来なんの期待をして生きていけばいいのか。一生あの町に住まないといけないと考えただけでなんだか未来が見えなかった。

だから、できるだけ遠くに住みたかった。できれば大都会と言われるところ。
そこには、なんだかわからないけれども壮大な未来があるような気がしていた。
確かに大阪、京都は都会だし、東京出張も度々している僕にとっては高校生の時抱いた夢を叶えたのかもしれない。

でも、毎年2回は長崎に帰らねばならない。というか帰るのが親孝行だという正義を振りかざして、家族を連れて行っている。

子ども達が大きくなり、あと1,2年後の受験の時期が来ればたぶん長崎には家族揃って帰れない。

そう思うと何故か切ない気持ちになった。

僕が自ら捨てた町なのに、帰れないとなると何故かキュッと胸が詰まる。
何故だろうか。父母に対する謝罪の気持ち?町に対する愛着?
今は上手くは説明できない。

やがて子ども達がここを巣立っていく時になって、残された者の気持ちにならないと、この想いは理解できないのだろうか。

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