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諸悪の根源は「指導と評価の一体化」という言葉?

今日も他校の先生が「探究基礎」の授業見学に来られました!
いろいろとお話を伺いました。
「探究」における課題感というのは整理できそうだなと新たな気づきをいただき、
僕にとってもだし、何より学校外の方と関わるという点で生徒にとっても自信になる機会。
ほんとありがたい。

▼評価観のアップデートを!

突然ですが、僕は「探究」実施のヒントは【評価観】に隠れていると思っています。

「探究」どころか、世の中のいろんな問題の「萃点」に【評価観】というものがあるのは間違いない。

それくらい【評価観】のアップデートは必要だと考えています。

ということもあり、
僕自身、「評価」については院生時代からかなり学んできました。

そんな中、最近僕の中で結論づいたことがあります。

誰も言わないし、
言ったらかなり批判もきそう。

だけど最近、いろんな先生たちに勇気を分けてもらっているので言います。

僕は、
日本の教育で【評価観】がアップデートできない諸悪の根源は
「”指導と評価の一体化”という言葉」
だと思っています。

▼諸悪の根源は「指導と評価の一体化」という言葉

みなさんこの言葉を聞いてどう思われますか?

いろいろ学んでいる方ほど、
「何がダメなの?」
と思われるかもしれません。

何点か理由があるのですが、2つだけお伝えします。

まず1つ。
そもそも「指導」という言葉の概念が捉え直されているということが1つ。
教育現場では「指導」という言葉を「支援」という言葉にどんどん変換していっている現状があります。
すでにここからずれているという点で1つ。

そして、もう1つは、
そもそも指導とか支援というのは、
教員が何かを捉えて判断した行為そのものであるという前提と論理的な矛盾があるという点。

はい。
つまり、教員が行う指導(支援)は、基本的には「“指導(支援)と評価が一体化”している行為」なのです。

例えば、
①授業をする
②生徒の現状を把握する
③適切な指導(支援)を行う
④テストを実施する
⑤成績をつける
というのが一般的な「教科学習」の流れだとすると、
①〜③の間ですでに「指導(支援)と評価の一体化」は完成しているのです。

評価でもっとも重要なのは、
成績をつけること(measurement)ではなく、
何ができて何ができていないのかを生徒自身が把握(assessment as learning)であり、
教員が適切なfeedback を行うこと
です。
※このときの目的はもちろん生徒のreflectionを促すことです。


別の例を考えてみます。
上の④と⑤の間を想像してみましょう。

例えばAさんがテストを白紙で出したとする。
これに対して先生の行為の流れは、
a. テストを確認する
b. めっちゃ驚く
c. 点数をつける
d. そのテストについて本人と話す
※c. とd. の間にはいろいろとあるかもしれませんが省きます。

そしてここで
⑤成績をつける

がくる。

ここで一番重要なのはd. であるはず。
でも多くの場合、このd. のプロセスは省かれます。
それは⑤が目的化しているから、
だと僕は考えています。


そしてこの理由が、
「指導と評価の一体化」という言葉が横行しているから
なんじゃないかなぁと思うのです。

この言葉をきくと、
①授業をする

⑤成績をつける
を一体化させることを謳っているように現場で教員をしていると聞こえちゃうんですよ。

なぜか。

だって、学校制度としての評価システムがまだまだ総括的(上の例で言うと⑤の部分が目的になっている)であり、本来大切なはずである形成的評価や個人内評価になっていないからだと思います。
(それだけ評価システムが一元化しているのがまた問題)

国はそれを「先生の努力」でなんとかしてほしくて「指導と評価の一体化」というマジックワードを使っている。


できていない先生を悪者にする教授も沢山いる。

いや、あなたたちのお仕事はそこではないでしょう、と思ってしまう。

多くの先生方が頭悩ませながら多大な労力をかけていて、
その結果「総括的評価」(上の例で言うと⑤の部分)が目的化してしまっている。
つまり、成績つけることが目的化してしまう。

結果的にそういう中で育まれた生徒たちも「学び」の目的を「成績」としてしまう。

僕は受け持った全ての生徒に対してこれをunlearnすることにめちゃくちゃ苦労してきました。
※運営チームとの様子です。あとで読んでやってください。


だから、強く思います。

▼「支援と学びの一体化」

明らかに制度設計のミス。
なのに学校現場の先生方に「指導と評価の一体化」を投げかけるのはどうなのか。
この言葉はあくまでも、
カリキュラム作成や学校の制度設計のために必要な言葉だから、
一個人の授業者は考えなくていい!
デメリットの方が多い!
それくらいに思う。


だから、先生たちもこの言葉にもうこれ以上惑わされないでほしいと思う。
主体性の総括的評価(評定)なんて、学校きてそこで授業受けてくれていたら満点でいいでしょうよ。
もともと人間は主体的な存在なんだ、
という見方が重要なんです。


ぼくたち教員にとって、
「指導と評価の一体化」よりも大切なこと。


それは
生徒の「今」を適切に捉え、
教員同士で対話し、
生徒のためになる支援をすること。
この努力に一番コストをかけること、だと思うのです。

そして
生徒が「生きるっていいな!」「もっと学びたい!」と、
思っていける場を運営すること


そのために一番いらないものが
授業における「”指導と評価の一体化”という言葉」であり、

一番あった方がいいと思うものは、

「支援と学びの一体化」

なのではないか?

と思うのです。

何度も言いますが、
「指導と評価の一体化」という言葉は、
カリキュラム作成や学校の制度設計にだけ必要な言葉で、
一人ひとりの先生がそこまで気にしすぎると害悪の方が多い気がするんだよなぁ。


日本には通知表がない小学校もあります。
伊那小学校。
こういう指導案から学ぶことがたくさんあると思うので、
最後にシェアします。

「指導と評価の一体化」は教務主任か管理職になってから考えましょう。

それよりも「支援と学びの一体化」を。

https://shinkyo.or.jp/wp-content/uploads/2022/11/0ec9b22578e683074c939bbff785dea3.pdf?fbclid=IwAR1PKZFtGSEqTZmXDFB4C9Q9erxUrpN7lCc6nGe0-CDR8JFNeuWbHmjVYj8


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