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短編小説:空色花

 貴女は覚えているかしら。あの女学校時代の事を。私と貴女の秘密を。 

 私が貴女を見つめる。
 貴女は何時も気付いた。

 見ているだけの私に声を掛けてくれたのは貴女。とても嬉しかったのに邪険にしてしまったわ。

 でも、貴女は知っていたのでしょう。私が照れていた事を。そうでなければ、あの時、私を攫わなかったでしょうに。

 秋に行う灯火祭。
 後夜祭で灯る焔。
 揺らぐ火に騒ぐ。
 浮き立つ気持ち。
 高鳴り跳ねる心。

 貴女は私の手を取り、賑わう生徒達を避けるように、暗い教室へ誘ったわ。校庭の大きな灯火を二人きりで見た事は、今でも鮮明に覚えているの。

 あれが最初《はじめて》だったわ。

 教室を出て、もっと人気の無い場所に。私達、自然と互いに指を絡めていたのよ。きっと同じ事を思っていたのね。

 セーラー服のリボンを解いて、貴女は白い首を晒して。私は貴女に印を刻んだ。滲んだ緋色が貴方を手に入れた証に思えたわ。

 貴女はどう思っていたのかしら。

 緋《あか》く咲いた華は今では枯れてしまったかしら。それとも今でも咲いているのかしら。私の中では、まだ鮮やかに色を誇っているのよ。

 在学中は何度も逢瀬を重ねたわね。貴方が誘い、私が応じる。

 私からは誘えなかった。貴女はそれが解っていたのね。何時も手紙に「あの場所で」と書いていたわね。そう、初めての場所。私達の秘密の場所。

 春を過ぎると小さな花が咲いたわね。

 私が青い花と言ったら、貴方は違うって、悪戯っぽい笑顔を浮かべて、青空を見上げたのよね。

 空色。

 その時から私達、小さな花を空色花って呼ぶようになったんだわ。

 二人で図書館へ行き、何て花なのか調べた事もあったわね。額を寄せて一冊の図鑑を覗き込んでた。人目があっても寄り添えるのが嬉しかった。

 本当の名前が勿忘草《わすれなぐさ》だと知っても、私達は二人で名付けた名前で呼び続けたわね。

 卒業間近、貴女から結婚すると告白されたのは辛い出来事だったわ。でも、それは仕方がない事も解っていたの。

 良妻賢母になる為にと言われていた時代だったから。女学校もそうなるような教育をしていたのですから。私も卒業して、すぐにお嫁に行ったわ。

 子供を産んで、しっかりと育てあげて。主人も良い人だったわ。

 でもね、貴方に感じたような気持ちは持てなかった。あんなに優しくて私を大切にしてくれた人なのに。

 今の私は、とても淋しいの。貴女もそうなのかもと思うと、泣きたくなってしまうの。

 子供達も主人も、何処かへ行ってしまったの。私は新しい場所に来たのだけれども、ここは忙しなくて落ち着かないわ。

 それに、学校みたいに算数や絵の勉強をしてるのよ。昔は簡単に出来たと思うのだけど、不思議なものね。どうにも上手く出来ないのよ。

 歳を重ねて忘れる事は、いい事もあるのだけれど、不便な事も多くて困ってしまうわ。貴女もそうなのかもしれないわね。

 手紙を書いたのは、今日、先生に言われたからなの。一番大切な人に手紙を書いてみましょうって。そう言われて貴方の顔をはっきりと思い出したの。それから、卒業式に渡された空色花も。早咲きの勿忘草。花言葉が貴方の本心だと信じた事を。
 
 でも、どうしてかしら。貴方の名前が思い出せないの。私は貴女を名前で呼んでいなかったのかしら。そもそも、話した事があったのかしら。

 こんなにも貴女に触れた事は覚えているのに。

 今、私は私を信じられないの。先生達は大丈夫だと言って下さる。でもね、本当は解っているの。私の何処かが壊れていっているのを。

 だからね、貴女に手紙を書いたの。貴方を忘れてしまわないうちに、私の思い出が貴女と同じか教えて欲しいの。

 どうやったら手紙を出せるのか、先生に聞いたわ。そうしたらね、卒業した女学校に手紙を出したら良いんじゃないかって。とっても良い考えだと思ったわ。

 貴女は覚えているかしら。あの女学校時代の事を。私と貴女の秘密を。

 空色花の君へ。

 どうかこの手紙を貴方が読んでくれますように。

  《了》


カクヨムの自主企画用に書いた作品「Dear  K」をリライトしました。

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