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note内私設賞 から撤退

2021年11月15日追記、編集しています。
本賞から徹底いたします。各種タグをはずし、固有名詞も削除しました。

2021年11月20日追記。
コメント曝されているのは今(2021年11月20日18時半現在)初めて知りました。ブロックはユーザーの権利ですのでこちらからは何もしません。

1回めも2回めも参加させていただいて、大変嬉しい講評、勉強になる講評をいただいたお祭りです。
このお祭りの1回目がなかったら、私のスキ上位の記事もたくさんの人に読まれなかったと思います。感謝してます。
このお祭りの2回目の講評がなかったら、今私は小説のプロットを書く練習をしていません。あの後、稚拙ながら3万字の小説を2本書きました。2本目を今直しています。私にとっては大きな成長であり変化です。心から感謝してます。


第2回で、私のショートショートにつけていただいた講評は諸事情あって消えてしまいました。でも、ウソ消えた!? となってから、記憶のあるうちに書き留めてあるんですよね。消える前に、自分の反省&感謝の記事も書いたし。何回も読んでます。ほんと何回も。
要約すると多分、「文章のうまさはある。それを活かして、ショートショートじゃないもの(文学作品)にも挑戦しろ。超短編でも文学作品は書ける。『檸檬』をじっくり読み直せば、自分がなにを書きたいのかわかるはず」

いろんな分野で、それこそ別に好きじゃない仕事でもなんですけど、こういう経験が何度かあって、本当にありがたい。こういう経験ってのは、自分より高い立ち位置から全体的に物事を見れる人が、「このドア開いてるよ、ほら」って軽く扉を押して、向こうに光と広い空間があるのを見せてくれるっていう経験。全部びっちりハマッたガラスの檻みたいなものでも、実はここ隠し扉でした、みたいな。知ってる人にはわかってる。内側に閉じ込められてた私には見えなかった。その脱出口を「じゃーん、ここもドアでした」って見せてくれる人が、結構いる。ドアの向こうまで見通せるくらい開けてくれる人もいるし、ドアの向こうがどれだけファンタスティックでアメイジングなのかペラペラ喋ってくれる人もいるし、開いてますよって教えてくれるだけで後は私に任せてくれる人もいる。

講評のメモも、「檸檬」も読み直してるのにね。
まだまだわからないです、実は。
でも、この時からたくさんのことが変わりました。プロットなしだと、体力的に、あるいは物理的な制約面で書き続けられる時間でしかひとつの作品に向き合えませんでした。一旦保存して、さあ続き、と書き出すこともしていましたが、頭がその世界観を忘れていたり、もうそこに戻ることもできなくなっているということがザラにあって。
プロットを作ると、3万字書くとして、毎朝1500字ずつ書いても、ちゃんと元々考えていたルートで最後までたどり着くんですね。リモートワークのない会社勤めながら、毎朝やってました。起きて、ラジオ英会話を聞きながら化粧して、パソコン起ち上げながらごはんたべて、歯磨きしながらプロット読み返して、20分から30分だけ集中してがーーーっと書いて、さっさと着替えて早歩きで駅に向かう、っていうの。できるもんですね。内容は多分まだまだ甘い。全然面白くないんでしょうけど、でも完成させられたっていう自信がつきました。

まだまだ勉強します。たくさん、いろんなものを書きます。

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