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キリスト教は宗教だが、反キリスト教もまた宗教だ。

日本かーでは欧米といえばキリスト教、のイメージだったのに、驚くべきことに、今欧州では反キリスト教ヘイトクライムが増えている。
最近欧米かー左翼の人々と何度か対話を重ねてきて、こういうことが起きそうなことは実感していた。
キリスト教を植民地主義やホロコーストの真犯人に仕立て上げ、今も同性愛嫌悪等を煽っている、として皆口々に非難する。
みんな教典でもあるかのように、一様に同じことを言うのだ。悪気が無くてもポリコレからちょっとズレた発言は修正されるし、めちゃくちゃ窮屈だ。
今欧州はある種の左翼ファシズムの最中にあるのだと思う。
そもそも戦後すぐの頃のホロコーストに関する議論では、特別キリスト教が悪として祭り上げられてはいなかった。アイヒマンのような「普通の人」が命じられれば悪行に手を染めてしまうことを、ハンナ・アーレントらが「凡庸な悪」という言葉で指摘していた。
これは一部の宗教や国に属する人が特別に悪人ということではなく、権威に命じられた時に拒否出来ない「人間の普遍的な弱さ」から惨劇が引き起こされることを意味しているのだ。
実際に元々宗教が弱かった日本も大戦時には虐殺事件を起こしていた。
そこを取り違えたら、何度でも同じことを繰り返すと思う。
ユダヤ人へのホロコーストだって、完全な弱者が標的になったのではなく、当時のユダヤ人は差別の対象であると同時に金融業を牛耳っており、経済的には強者だった。
むしろ金持ちを引き摺り下ろしたい、という左翼的動機によって虐殺されたのではないかとさえ思える。地位はあるけれども嫌われ者、という対象が一番攻撃されやすいとも言える。
そこにきて、現在のキリスト教迫害。
キリスト教は欧州に深く根付いてきた歴史ある宗教だからそれなりに地位があり、尚且つ昨今の同性愛礼賛の流行についていけない時代遅れ感と、児童性的虐待のスキャンダル。そりゃ恰好のスケープゴートだろうと思う。
自分達の先祖が犯した罪に罪悪感を抱くと同時に、受け入れきれなくて、犯人探しをして見つけた格好のターゲットがキリスト教だったのだろう。
向こうの左翼の人々は一見先祖の罪に向き合っているように見えて、実は何かに全責任を押し付けて(この場合はキリスト教)、全く向き合っていない。自分達は悪くない、と言いたいだけなのだ。
私はそれに対して「誰もが悪い」というのが真理だろうと思う。もちろん人間には善いところもあるけれど、悪いところもある、という両面性から逃げてはいけないと思う。
その意味で、キリスト教の原罪や仏教の戒律は今も必要なものだと思う。
誰もに悪いところがあるなら、自分達にも悪いところはある訳で、それならある集団だけを指して悪だと攻撃することは出来ないはずだ。
その悪いところが出過ぎている場合には批判も必要だが、攻撃をする権利は無い。悪いところを治すように促すことが出来るだけだ。批判は攻撃のためではなく、更正させるために行うべきだ。

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