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幸せです、と即答できるか否か

「あなたは今幸せですか?」

と聞かれて、どう答えますか?



悩んでしまいますか?

幸せでないかも、と思いますか??


答えなんてないのですから。



悩んでもいいんです。

「幸せ」の定義も人によって様々ですよね。

経済的に安定している。

望んだ仕事ができている。

本来望んだ仕事ではないけど楽しんでできている。

家族が皆元気で過ごせている。

などなど。


人によって幸せ、って色々ですよね。


私だったら、

今自分が健康な体で生かせてもらっていて、

3食美味しい食事をいただけて、

暖かい寝床があって、

毎晩お風呂に浸かることができて、

何より、

祖母と父と3人で毎朝、毎晩、

食卓を囲んで時間を過ごすことができていることが、

とってもとってもとっても幸せです。



とっても幸せと感じることができるのには、

そのことが「永遠ではない」ということを知っているからです。



いつこの幸せな時に終わりが来るか分からない、ことを

頭の片隅に置いているからです。



昨年末父親が急性大動脈解離で倒れ、12時間の手術を

終え助かりました。

医者には奇跡と言われました。



症状が起こった場所、居合わせた人、その時待機していた救急車の場所、

搬送された病院、担当してくださった主治医、その時の父の体力。

沢山の奇跡が重なって、生かせてもらった命です。



そして今なら言える。倒れて入院した時期が年末から今年の1月にかけてだった

ということもタイミングがよかったと言えるかもしれません。

今だったら、その時のようにすんなり病院が受け入れてくれたか

分かりません。



時々考えます。

「もしその時父親が亡くなっていたら」

十分に考えられることです。

そのような運命になっていた可能性は大いに考えらえます。

さよならも言えないまま。

ありがとうも言えないまま。


居なくなる。



私はその時東京の会社に務めていて、病院から電話があった時

大切なイベントの最中で、すぐには電話に出ませんでした。



ただなんどもかかる電話。そして祖母からの「大変」というLINEの言葉。

何かおかしいと思っていた時に隣に座っていた同僚が

声をかけてくれて、職場の人もすぐに理解をしてくださって、

空港までタクシーを飛ばし、最終のフライトに間に合い

広島に戻りました。



その時の電話で「お父さんが亡くなりました」と言われても

おかしくないですし、手術中に亡くなる可能性もあったでしょう。

そう、先ほども一緒に鍋を囲んで楽しくテレビを見ていましたが、

そのようなこともなかったのです。



私は父が大動脈解離で倒れた時、

本当に大切にしたいことを考えて、

東京を離れ、家族の元に居ることを決めました。

東京に実家があればな、と思ったことも何度もあります。



ただ、仕事はいくらでもあるし、夢も追える。

でも家族は広島にしかいない。



そして、先週急性胆嚢炎で救急搬送されました。

深夜に腹痛を訴えてリビングに降りてきた時、

私は自分でも驚くほどとても冷静に電話をかけ状況を伝え、

祖母を落ち着かせていました。



そう、その時思いました。

「ここに私がいてよかった」と。



東京を離れ、今ここに居てよかった。

そう思います。



一時期、ソーシャルクライマーになりつつあった私ですが、

心のどこかで「家族と一緒に暮らしたい」。

そう思っていました。


心に素直になってよかった、と思います。


だから毎日幸せです。

一緒に生活していたら殴りたいくらいムカつく瞬間もあります爆笑



家族ですからね!

でもケンカしてもけろっとしてまた同じ食卓について

同じ食事を食べる。


これ以上の幸せがあるでしょうか?


この先状況は変わり、自分が思う幸せもどんどん変化するでしょう。

それが人生かと思います。


一瞬一瞬を大切にしたいと思います。


もっと喜ばせてあげたいな。

とこのブログを書いていて思いました。

頑張ろう

それではまた明日。

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