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熱狂の修士時代:セルフブラック1年生編

無事入学試験に合格してめでたく修士1年となったわけですが、ぼくは入学時点でかなり焦っていました。なぜなら、うちは貧しい母子家庭だったので博士課程へ進学すること=自活すること、だったのです。

バイトと奨学金を併用しても自活はできますが研究の時間がそがれる上に借金まで抱えるのは望むところではなかった。

目標:日本学術振興会特別研究員DC1

博士の1年生から給料(厳密にいうと返さなくてもいいおカネ)をもらえるという制度があります。詳しくは下記。

https://www.jsps.go.jp/j-pd/pd_sin.html

当時は狭き門で採択率は8%。かなりしんどい競争です。

なにが必要か。博士課程で展開する研究内容の面白さ、具体性や実現性ですが、なにより簡単に力を示せる方法は論文を発表してしまうこと。

しかし、申請書を提出する期限は修士2年に上がったばかりの5月。つまり、実質M1の1年間のうちに論文を出さなくてはならないわけで、ぼくは格の低い雑誌でもいいから2報の論文を出そうと考えました。環境分析で修士学生が年2報はなかなかにクレイジーな目標設定。

分析法の習得

環境分析なので分析できないと論文なんて書けません。だからとにかくこいつは急いだ。毎日教授にしつこく頼み込んで結局直伝で教えてもらいました。環境分析、特に微量分析で気を付けないといけないのは下記3つ。

○ コンタミネーション(汚染):環境にあるものを測っているので処理中に入り込んでしまうことは当然起こる。そうしたら何を測っているのかわからない。

○ 再現性:おんなじものを何度も測ってもおんなじ結果が出ること。でないと、本当のサンプルを測った時には答えがわからないので何を信じればいいのかわからなくなる。

○ 回収率:上記の再現性に関連するが、サンプルを処理する中でどうしてもある程度は失われてしまう。その失われる量があんまり多いと、感度が下がるし、再現性も怪しくなる。

なので結構習得は大変。だが、必死だったので1か月ちょっとで習得した。

当時の生活

環境分析の前処理法を1つ習得するためにはだいたい数100回は失敗する必要があると言われていました。さぞや徹夜を繰り返したんじゃないかと想像するかもしれませんが、健康的な生活をしていました。

徹夜は、やった気になるけれど翌日の生産性を確実に落とすし、繰り返せばどうせそのうちガッツリ休むことになる。

で、こんな感じで暮らしていました。

0800 起床、自炊の朝食

0930 徒歩25分で研究室到着

1300 昼食(大盛りチャーハンの大盛りという謎注文)

1930 夕食(たいていどぼどぼのラーメン)

2400 徒歩で帰宅、酒、就寝

休日はだいたい月2日のみ。毎日ほぼ14時間、実験と論文執筆、調べものに明け暮れていたわけです。睡眠時間も足りているし、これなら持続可能だった。すげえ充実していた。

いただいた研究テーマ2つ

教授からいただいた研究テーマはふたつ。片方だけでもたぶん修士もらえたでしょう。ですがぼくはとにかく論文を出さねばならなかった。修論書けるかどうかなんて問題ではない。

とにかく研究テーマを出してくれと毎日教授にせがみ続けて出してもらったもの。1つは室内実験、もう一つは雪試料中の微量有機分析。

用いる分析法は同じなので、同時進行でやりました。M1の11月くらいには両方終わった。11月末の学会で雪の方を発表。生まれて初めての学会発表なのにいきって口頭発表にしてしまった。。

午後の発表だったのでお昼に「いま思えば絶対おいしかったであろう」喜多方ラーメンを食べたのに、あまりの緊張でまったく味がしなかった。

ただ、じつは本番に強い男。我ながら悪くなかった。

学会終わるとあわてて両方とも論文にしようと原稿を書きました。2月には投稿していたかな。

学振申請の5月には間に合うタイミングで2つとも受理されました。

はい、次

終わらせたテーマを振り返るに、この分析法では限界があると感じました。

で、新しい分析法を作ろうと考え、(当時はウェブ論文なんてほとんどなかったので)遠い医学部の図書館で美人学生を見て興奮したりしながら80年代の論文をコピーしたりしてました。

昔あった分析法にちょっと手を加えて安い装置でも測れる感度の高い分析法にしようと決定。教授を毎日しつこく説得し(絶対に折れない精神)、試薬などをゲット。

生活リズムは守りつつ、おそらく1000回以上の失敗実験をしつつ、

「実験失敗しても爆発しねえじゃん。あれ、ウソかよ。」と思った。

新しい分析法が完成したのはM2になってから。まさに熱狂。

次回で。

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