二次障害対策に追われてないか?自己肯定感などいくつかの仮説。

元々鬱ぽい性格、と書いたが
これは自分が前のうつ状態の時に
個性分析の資格をとったことに起因する。
(うつ状態のとき、高額講座の申し込み、ダメ絶対)

個性分析ではやたら楽観的で
あと先考えない人間としてでて、
逃れられないのだな、と思った。
やたら明るそうなのに、なぜ今こんな状況?
と、思い、分析をさらに深めることになった。

また、医療従事者でもあり、
基礎の学びに精神科分野もあったが
自分ごととして学ぶには
試験対策すぎたのかもしれない。
当事者になって触れられた情報がたくさんある。

ともかく、わたしのうつの起因は
親族に精神疾患者がいることと(遺伝性、環境要因)
発達障害グレーゾーン(個人因子)であること
そしてセクシャルマイノリティー (個人因子)でもある

発達障害+セクシャルマイノリティの自分が
物心着く頃から誰にも打ち明けられないものを
抱えながらめちゃくちゃがんばった(恨みを燃料に)
そして燃え尽きた。

と、いうのがわたしの仮説。
結果、自己肯定感を育む体験が著しく乏しい。

最近、少し元気になってきたので
鬱のYouTubeばかりみている(まだ本は読めないレベル)

鬱でやってはいけないことがいくつかあって
そのうちの一つが
回復期の間に動き出すこと、だ。
安定期になるまで待てない。

元気になったぶん、
仕事のこと、生活のこと、お金のことで頭がいっぱい。
急性期も眠れなかったが、回復期の初期は眠れてたのに
また眠れなくなってきた。

その正体は焦り。

原発は発達障害+マイノリティの孤独感なので、
まずはそこから着手しないといけなかったのに
後手で鬱にばかり目がいってないか?
という疑問がわきでてきた。

あぁ、逆に二次障害だからできる、というのもあるかも。
根本を叩くには遠すぎる。

発達障害の着手として
自己肯定感に向き合うということだ。
承認欲求が強いのは、自分を信じられないから。
他人に承認してもらった方がその承認が自分より確かだと感じられるくらい、自分が信じられない。
それぐらい、びっくりするようなミスをする。

自己肯定感の向き合いとして
注意すべきことはスモールステップを刻むこと。
いきなり起業は危険だ。

午前中にベットから出る。
パジャマから部屋着に着替える。
そんなことだ。

顔を洗う、歯を磨く、薬を飲む。
天気であれば太陽の光に10分以上あたる。
雨の日は晴れの日とくらべて
やることの1/3できたら褒める。
など。
当たり前すぎることが、この日できたことを
褒める。これが自己肯定感の第一歩。


あせりは本当に良くない。
視野が狭まり、自分の体や心の状態を
過大評価してしまう。それは
期待値を含めて計算してしまうからだ。

書きながら、自分自身に呼びかけていると感じる。
焦らないで、大丈夫だ。

日本の鬱人口はとても多い。
未来に希望も持てない。
そこに加えて自分のことが気に入らなければ…
人生を辞める方がイージーと感じる。

自己肯定感の向き合い、第一ステージ。
ここが自分の体で実感できないと、
自分軸など、とてもやってこない。


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