亡くなった人の肌触り、

パートナーのお父さんが亡くなった。
何度も思い出す。
昔、親戚が亡くなった時は、
家の中にご遺体を安置する。
通夜は線香の火を絶やさぬように、
交代で夜通し起きていてその間、
顔だけがみえている状態。

頬や額をなでる。
顔を触れるくらいの近い存在だったから、
生きていたときの肌と今の肌の違いが
よくわかって、ドキリとする。

仕事においても、
顔に触れることが多い仕事だったので

亡くなられてご挨拶にうかがい、
その肌に触れると、
圧倒的な皮膚の違いにはっとする。

パートナーのお父さんとは
ついにご挨拶できるまでの距離にはいなかった。
肌に触るなどはとても想像できない。
しかし、幾度の経験で
思い出すことができる。

パートナーが肌に触れたときいて、
胸がいたむ。

経験したことのなかでも、
なかなか忘れることができないのは、
五感にまつわることだ。

人は生まれ、育まれ、
成熟していく。

年月が過ぎて大人に勝手になれるのではなく
腑に落ちる経験が人間を深めてくれると感じている。

成熟した人間とは
感情を感じない人間でなく

感情と五感を充分に味わいながら
生きていることを噛みしめることなのでは、
と、いまは辿り着いている。

生きる気力がないのは、
抜け殻が息をしているだけだ。
布団の感触、太陽の光、
なまぬるい風、パートナーの心臓の音、
ミントの香り、刺すような頭痛。

そして、身近にいた人の死の影響を感じているのは、
私が生きているからだ。




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