朝のルーティン。

ネイティヴアメリカンの智慧の学びを
かれこれ2年くらい継続している。

自然から学び、
生きるもの、存在するものを丁寧に扱う。
存在するもののなかには
見えない存在も含まれていて、
自然崇拝の文化をもつわたしとして
とても馴染みがある。

その学びから、
朝のルーティンを決める、という習慣を作り出した。

まだ内容が定着しきっているわけではないし
継続している学びでは2週間ごとに
プラクティスというチャレンジがはじまるので
その時々によって多少異なるが、
起きてから自分のためだけの時間をつくっている。

今朝はそのプラクティスの前に
思考がおりてきた。

その思考とはこうだ
「体が重くだるい、甘いものを口にしたせいだ」
「息が苦しい、これはお前が怠惰なせいだ」

起きるたびにこの思考が叱咤する。
それは鬱になるだろう…。

夢の中でも「成績が悪いものが強制労働所に連れて行かれる」という文字通り悪夢をみた。

これが、ほぼ毎日。
ここからわたしの日常がはじまる。

最悪すぎるだろ。

ネイティヴアメリカンの学びがあるからこそ
人とのつながり、自分の尊重、の物差しがある。
これが異常事態と理解できる。

それまではこれがわたしにとっての朝だった。

思考がおきたら、
身体をみて、気持ちを確認して、魂はなんら傷ついていないことを確認する。

身体と気持ちは傷ついている。
理由は別々だ。

去年の六月ごろから咳が止まらなくなり、
七月にはほぼ毎日咳がでていた。
八月の頭にようやく近所の病院にいき、検査して
異常がみつかるわけだ。
入院は十一月…。

本当に自分に対してよくわからない見方をしていた。
身体より、自分の外で起きている人間関係と新しい職場や学びに夢中になってた。

学びがあって、わたしなりの早期発見だったが、
学びがなかったら、気づかなかっただろう…。


やることがあるのは幸福だ。
やらなきゃいけないことはなにもないから。
しかし「やることはなにか」はいつも
目をしっかり開いてみないといけない。
人生には限りがあるからだ。

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