残したい瞬間や忘れたくない思いをエッセイ的に書いています。

残したい瞬間や忘れたくない思いをエッセイ的に書いています。

最近の記事

プロレスとわたし

8月の毎日うだるように暑い頃のことである。 新日本プロレスの大きな大会であるG1クライマックスの最終決戦が開催された。 常に追っているわけではなかったが、たまにくるプロレス熱で勢いあまってその数ヶ月サブスク課金していたので、今回のG1は興味のある選手の試合だけはなんとなく見ていた。 ふと目にした準決勝結果の速報で、翌日の決勝戦がオカダ・カズチカ対ウィル・オスプレイというわたしにとっては夢のような対戦カードであることを知り、飛び上がった。 どちらも大好きな選手で、スピード

    • 美しい街

      父方の祖母が死んだ。 97歳になって2ヶ月、あたたかな春の日差しがさしこみはじめたやわらかな季節に、祖母は空に返っていった。 なんとなく、この季節でよかったなあと思った。 最期は自宅で、わたしの両親に看取られ息を引き取った。 最期のとき、耳はまだ聞こえるかもしれないと思った両親は、何度も「お母さんありがとう」と言い続けたそうだ。 病気で寝込むわけでもなく、老いて食べたり飲んだりができなくなり、心臓が弱り、呼吸がしにくくなり、自然に亡くなった。 この時代にこんなふうに旅

      • 暗闇での出会い

        二子玉川に玉川大師というお寺があって、そこには四国八十八箇所巡りができない人も参拝できるように作られたという地下霊場があり、そこをお参りすると八十八ケ所を巡ったのと同じご利益があるらしい。 そんな話を耳にして数日、たまたま近くに行く機会があったので参拝しました。 四国に生まれ育ったわたしにとってお遍路さんというのはわりと身近な存在ではありましたが、わたし自身はお正月に毎年札所のひとつをお参りする程度で、実際に巡礼をしたことはありません。 本堂でお参りしてから地下霊場まで

        • きゅうり

          きゅうりをまな板に置くと高校生の頃にあった「きゅうり検定」を思い出す。 それはあるとき家庭科の授業で行われた。 せーのの合図できゅうりを輪切りにしていき、1分間だかに何枚以上切れれば合格、厚さも何ミリ以上のものはカウントされないなど割と細かく規定が決まっていた。 今考えるとなかなかシュールな絵面である。 その当時まだ祖母も元気でお台所に立っていたし、母も料理をしてくれていたのでわたしはほとんど料理をしたことがなかった。 普通科の高校でそんな検定が行われるとは盲点だった…

        プロレスとわたし

          運命の人

          週末に実家に帰った妹が母とおいっこのお誕生日祝いにパンケーキを焼いたとき、先日お誕生日をむかえたわたしのぶんまでお誕生日用デコレーションをして写真を送ってくれた。 なんとやさしい妹か… 地球2周分ぐらいまわってもたぶんわたしはこんなふうに細やかでやさしい人にはなれないなあといつも思う。 *** 我が家は2人姉妹で学年が4つ違うこともあり、子供のころから大きなケンカはしたことがない。 やさしくて人間のできた妹は「お姉ちゃんがいつも負けてくれた」と言ってくれるけど、子供の

          運命の人

          女であることについて話をしよう〜『女子をこじらせて』(著・雨宮まみ)を読んで

          ずっと気になっている本って、読むタイミングが人生のなかでたぶん今じゃないなって感じるとずっと自分のなかの取り置きリストの上のほうに載ってあるまま何年も置かれてしまいがちになる。 この本がまさにそうで、私の中の直感が「今」読むべきではないとずっと言っていたのでなかなか読めず、数年前に著者の雨宮まみさんが40歳の若さで突然亡くなってからはあーやっぱりまだ読めない、となおさらその思いを深くしてしまった。 亡くなったニュースを見た瞬間に、あの本もう一生読めないかもなと頭をよぎったのを

          女であることについて話をしよう〜『女子をこじらせて』(著・雨宮まみ)を読んで