きゅうり

きゅうりをまな板に置くと高校生の頃にあった「きゅうり検定」を思い出す。

それはあるとき家庭科の授業で行われた。
せーのの合図できゅうりを輪切りにしていき、1分間だかに何枚以上切れれば合格、厚さも何ミリ以上のものはカウントされないなど割と細かく規定が決まっていた。
今考えるとなかなかシュールな絵面である。

その当時まだ祖母も元気でお台所に立っていたし、母も料理をしてくれていたのでわたしはほとんど料理をしたことがなかった。

普通科の高校でそんな検定が行われるとは盲点だった…
かくしてわたしはスーパーに寄っておこづかいできゅうりを買えるだけ買い、意気揚々と包丁を握ったのである。

いざやってみるとなかなか難しい。
きちんと切れずつながってしまったり、分厚くなってしまったりする。うまくいかない。

困った、このままでは検定に合格できない…

今考えれば別に不合格でもいいのだが、なんだかきゅうりが切れないだけでお前はそんなこともできないのかときゅうりにバカにされているような気にさえなり、不憫でたまらない。
このあたりの心境に今のわたしにも通じる妄想癖や性格を感じる。
人は歳を重ねても簡単には変われないのだなぁ…

とにもかくにもその夜わたしは一心不乱にきゅうりを切り続けた。
まな板に包丁の刃があたる音と、青く夏っぽいにおいが家のなかに広がった。

その後冷蔵庫がいびつなきゅうりを入れたお皿でいっぱいになったことと、検定当日緊張感のなか包丁を握ったことはなんとなく覚えている。
が、生徒全員分のきゅうりを学校がどうやって用意したのかも、結局わたしはきゅうり検定に合格できたのかも、それすら覚えていない。
もしやわたしの記憶違いでそんな検定すらなかったのか。

ただ、大人になった今ならわかる。
人生の中に決められた時間内できゅうりを大量に切り終えねばならないシチュエーションなど一般的にそうは訪れないのである。

あの大量のきゅうりを母や祖母がどのように調理してくれたのだっただろうか。
記憶にないが思い起こすとなんとなくあたたかな気持ちになる。

今でもきゅうりをまな板に置くたびにあのときのにおいと緊張感が蘇る。
長い年月の中で幾度もの食事を経て、今はあのときよりもいくらか上手に切れるようになった。


2020.5.25


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