暗闇での出会い

二子玉川に玉川大師というお寺があって、そこには四国八十八箇所巡りができない人も参拝できるように作られたという地下霊場があり、そこをお参りすると八十八ケ所を巡ったのと同じご利益があるらしい。

そんな話を耳にして数日、たまたま近くに行く機会があったので参拝しました。

四国に生まれ育ったわたしにとってお遍路さんというのはわりと身近な存在ではありましたが、わたし自身はお正月に毎年札所のひとつをお参りする程度で、実際に巡礼をしたことはありません。

本堂でお参りしてから地下霊場まで降りていきました。
そこは仏さまの胎内だということでした。

中に入るとそこはまったく光の入らない本当の暗闇で、右手をついた壁を頼りにすり足で少しずつ進むしかありません。

目が慣れるなどということもまったくなく、いつまで行っても感じたことのないような暗闇が続きます。
恐怖を感じるような、でもどこか落ち着くような、不思議な感覚に陥りました。

壁にそえた右手だけが頼りだったのが、途中で壁がなくなりました。
実際になくなったわけではないと思いますが、なくなったように感じました。

途端に足元がおぼつかず浮いているような、急な坂道を転がっているような不思議な感覚になり、怖くてよくわからなくなったわたしは入り口に向かって引き返してしまいました。

入り口に戻ってきて「途中で行き方がよくわからなくなりました」と言うと、参拝にいらしていた近くの女性が「一緒に行きましょうか」と声をかけてくださいました。

この女性はよくお参りに来られるのかとても慣れていらして、このように進んでここでお参りをしましょう、とか、ここはこのようなご利益がある仏さまですよ、とか、たくさん教えてくださいました。
暗闇のなか姿は見えませんでしたが、とても優しい声でした。

途中で明るくなり、ものすごい数の仏さまの石像が迎えてくださいました。
どの仏さまもやさしく微笑んでいらっしゃいました。

わたしはその女性を菩薩さまのようだと思いました。
暗闇のなかで仏さまが助け導いてくださって、菩薩さまに出会わせてくださったのではないかと感じました。

その女性に出会わなければわたしはきっと参拝を断念していたと思います。

その後たくさんの石仏をお参りして、やっと光が見えてきました。
光というのは本当にありがたいものだと感謝しました。

大好きだったおじいちゃんたちは、仏さまのもとでやさしい時間を過ごしているのかしらと考えました。

パワースポットという一言で片付けるにはあまりにも壮大な存在で、何かのご利益をもらいにいくという気持ちで参拝するにはおこがましいと感じるほどの力がありました。

その中で自分を省みるいい時間になりました。
胎内から出てきてからもなんとも言えない気持ちで、しばらく仏さまや人生についてぼーっと考えました。

すべては何かのご縁なのではないかと。

それをどのようにつないでいくかは、いただく尊いご縁そのものだけではなく、それを受け取り育んでいく自分次第なのではないかとも思いました。

なにかをお願いしたりご利益をもらいにいくという目的で行ったわけではないですが、ご縁のあった場所で何か大きな力をもらったような気がした夏の終わりでした。


2018.8.24

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