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結婚したのに(後悔がつのる)改善の方法があるとすれば

人の痛みがわかるとは?

まずおさえておきたいこと。それは自分を知る、そこから。
人は誰でも何かしらキズを持っているもの…自分も相手も。 言い替えるとキズを持たない完璧な人など存在しない、という事。
 大なり小なり、心なり身体なり、複数のキズを積み重ねた人だっているだろう。

他人と比べ例え小さなキズに見えようと本人からすれば耐えられないキズに変わりはない。
―― 様々なキズを背負い苦にもしないし顔にも出さない人がいるがここでは割愛する ――

(自分がキズつけられて痛い目にあったから同じ目に合わせてやろう!)よりも
(同じ目にあうと痛い目を見るからそうならないようしてあげたい)と配慮の出来るのが「人の痛みが分かる」という人。

恋愛中は互いが熱い眼差しですが、新婚生活に入るとその片方の眼を瞑って相手を見てあげて下さい。

式場祝辞の決まり文句の一つ 片目を瞑るが大事などのセリフ。
元は他人の二人。同じ部屋で同じ空気を吸うことが長ければ長いほど嫌な感情が湧いてしまう時が。
その対処法のつもりの祝辞がそれ。
しかし、現実はやり切れないものが…。
さて、どうしたものか? 切実な現実が横たわる問題だ。

浪費癖、パチンコ通い、片付けベタ、遊び癖、不倫、家事嫌い、味音痴、非協力的などなど双方の不満は多彩。相当深刻なものもあるでしょう。

煩悩は消せないし尽きない。欲は欲でその方向性で善し悪しが決まる。
互いの齟齬により見えている見せられている、無意味と分かっても当てつけのように見えるようにやってしまう。 
やってしまっている方も、見せられている方も、自分は完璧では無いんだ。そして、それは相手も同じなんだ。と、まず冷静にその気持ちを腹に据える事が出来れば良いのだが…。それが難しいというもの。

相手の心を変えようとするのではなく、まず自分が変わることが結局は早道。
目につく鼻につく様々な記憶があなたの中に渦巻いているでしょう。
だからと全てを嫌いでは無い事も分かっている自分がいるからややこしい。

もし、相手の良いところが少しでも見えているなら解決は薄皮をはぐように改善に向かう。

私自身も妻のヒステリック、義父からの嫌味、私のパチンコ癖、 コンビニ浪費、価値観の違い、子育ての観念の相違、など15年ほど掛けて夫婦の溝はあったかと思う。
細かな改善体験をここで述べても限られた人にしか刺さらないので省く。(配偶者のトリセツに興味があった方は残念ですね)

「仕方ない」と「善性をおもてに」

先に述べた
・人はキズを持つ。
・片目で見て半分を見ぬふりをする。
この二つを念頭に置きながら

自分の思いを前向きに整理する為に紙に書き出す。
負のことばかりが先行してても書き出すことで頭やココロ、感情の整理がつくもの。
その過程でやっと前向きな思考が出てきたなら共に歩む覚悟を決めた事を綴る。

綴り終えたのちは、自分の反省や自重を示した行動の簡単な事柄から実行するのだが、ここで大事なワザがある。

その紙を相手が気付きやすい所にワザと忘れたフリして置く。

その紙には相手の悪いと見える事に対して「仕方ない」と半ば許す気持ちを表しておくこと。そして、少しづつでも相手が改善に向かえば嬉しいなと書いておく。そして、相手の良い点は気持ちが良いし更に継続してくれると尚、嬉しいと示す。
次に、共に歩むこと、それは生涯に渡り白髪になるまで添い遂げる。という覚悟を示し、今後の自分の偽らざる信念を持ちつつ改善のポイントを掲げておく。
これが「善性を表に」示すということ。
人間、悪性も善性もその両面を必ず抱くもの。
自分の悪性をいかにコントロール出来るか。
それは、普段の日常で良心の呵責によって学び昇華させ妙伏(不思議にも伏せられる意)されている。
裏を返せば「悪性は裏に」生涯において閉じ込めておくような心の癖付けをするしかないという事。
誰しもが。

相手に対し寛容の表現が出来てそれを実演する。
相手はそれを見て自分の行いと比較する。
相手は「己れ自身が理想とする事を遠ざけていた」ズバリの事をあなたがやって見せているのだから心が揺さぶられないはずがない。
(多少の時間の幅が個人差でつく。それはご容赦を)

その紙を相手が見たのか、そして読んだのか、更にどう受け止めたか。 程よい時を経て、その紙は自然な振りをして回収して自分の大事な所に忘れないように締まっておく事。
相手の反応は徐々に肌で感じるもの。
無理に聞き出そうとすればそれは全てを浅墓にすること。黙阿弥。

一、己が抱く感情の二面性(裏と表)それが五種類ある。
二、自分と相手(他人)という比較。
一は、十種類(五種と両面)になり、二は、自分の十種と相手の十種が合わさる。
なので一と二で、少なくとも百種の心の変容を瞬時に私たちは、私たちの感受性の濃淡で即断即決して活動している。
なので一々その正誤の答え合わせなどやってられない。
「全てが出たとこ勝負」というのが本来の人生の面白どころであり、「リアル」現実の厳しさというもの。

―― と、以上で結婚生活での悩みは解決するのか?という心配 ――

結論

結論 結婚を通して互いを省(かえり)みる事は、社会事情での人とのコミュニケーションの場においても同じ事が同じ場面が自分の心に投影される。

他(た)を如何に思いやれるか。 が翻って自分を労って(いたわって)くれる機会に恵まれるという事。

(してもらう)(なぜ、してくれない)という乞食根性が顔を覗かせていないか? 自分の胸に手を当て少しでもかえりみて改められるなら結婚生活ならず社会生活においても友好な関係構築の基礎が固められると学びたい。

詳細な事象を省き、主だった要点を目印(通過順序)として気付きを深め改める作業は皆さんが何気に検索して気持ちを沈めているのと同じ。
要点さえ見失わなければ、いや、要点がある事自体を認識しただけで自分という得体の知れないココロをコントロールしやすくなる。

自分と相手。 良好な関係構築が世界中に溢れると、きっと平和な日常が訪れる。

壮大なロマンとぼやかしてこの難題を収めたいと思う。 これまでのお付き合いに深く感謝。
(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 缶

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