進め!勧めの勧め

 他人に何かを勧めるというのは非常に難しい。

 特に映画や本、アニメなどなど直接的に感性に関わるものであれば勧めることを躊躇してしまうことが多い。
 当然のことながら感性は千差万別、十人十色であるからだ。

 僕自身は、読書傾向の偏りを少しでも軽減するために、時には誰かのおすすめの本を紹介してもらうことは嫌いではないのだが、そもそも、嫌いではない、という含みのある表現をしている時点で何か煮え切らない思いは深層心理に近い部分で抱いているのであろう。

 嫌いではない、の内訳としては、有難い場合もある、と、ありがた迷惑なことも正直ある、である。

 僕は書籍の全てに優劣など存在しないと思っているのだけれど、もちろん好みはある。
 知人に勧められると、相手の熱量次第では読まざるを得ない状況に陥ることがある。
 一日のストレスとその解消を限られた時間の中でやりくりするために、読みたくもない本を読む時間、観たくもない映画を見る時間を工面することは
ものすごくバランスを崩してしまう要因なのである。

 しかし一方では僕はとてもわがままな理屈を並べていることにも気付いている。それは先述の通り、勧められることの利点も十分に理解していて、そのことを望む僕がしっかりと居るからである。

 おすすめされた作品は読んだり観たりした後、ほぼ確実に感想を求められる。
 「ボクニハアワナカッタヨ。」この言葉を躊躇せずに投げられる人がどれほどいるだろうか。
 僕はといえば、極力嘘のない範囲で、無理矢理にその作品の好きなところをほじくり出して感想に変えることが多い気がする。一流のグルメリポーターなどはこの能力が抜きんでているのかもしれない。

 何しろこの作業が僕の神経をすり減らすのである。もっと適当に感想を述べればよいのかもしれないけれど、この部分においては神経質なのだろうと思うしそれを自覚したところで感情のコントロールは難しい。

 僕もよくおすすめを聞かれることがある。そして聞かれれば答える。
 それでも、相手の無防備さが心配になることは多々あって、気が向けばでいいからね、感想は求めないから気楽に楽しんで、などと一言添えることもしばしばであるが、それもまた、感想を共有しあうことまでを醍醐味とする価値観もあるわけで、なるほどおすすめという文化は社会の縮図であるのかもしれないと、そろそろ今回を締め括りたくて月並みな物言いになってきた気がしている。

 以前にも使用した言い回しを濫用するが、おすすめもまた用法容量を守って正しくお使いください。

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