ながーーーーーーーーい、お付き合い

 僕は並ぶことが苦手である。苦手という表現は少し嘘があってずるい気がする。並ぶことが嫌いなのである。

 僕の子供が小さい頃、回転寿司の大手チェーン店に行く機会が多かった。そしてたっぷりと並んだ。一時間半ほどの時間待ちをすることもざらにあったと記憶している。

 ディズニーランドやUSJのアトラクションの順番待ちも辟易する。暇な時間が苦手なわけではないし、立ちっぱなしという状況で体力的にしんどいことが嫌なわけでもない。並び待つ、という環境に置かれることが嫌いなようである。

 30年近く前に、つぶれる直前の寂れた遊園地にデートで行ったことがある。その日は曇り空で時々雨が落ちてくる時間もあったように思う。
 全盛期にはそれなりに賑わっていたようだし、決しておざなりな造りの施設ではないのだが、超大型遊園地の出現や他にも娯楽が増えたことから徐々に人気が無くなっていったのであろう。
 閑散としている、とはこのような状態であるという雛型のような園内だった。
 僕たちの他にもう一組だけカップルがいたと思う。乗り物は乗り放題で、待ち時間が無いことは当然のことながら、我々が利用しない間はそもそも稼働させていない。
 気付いた。程度問題であると。
 並び待ちの時間も遊園地を楽しむためのスパイスの一端を担っていたのである。
 もちろん、それ以外にも他の利用客の話し声や笑い声が無いせいで活気が無いなどの理由もあるだろうが、並ぶ時間というものに気分を盛り上げるようなメカニズムがあるのだと知ったのである。

 そのメカニズムは飲食店においては空腹という最高の調味料として機能する。
 並んでいる間、渡されるメニューを見ていると、店の奥からは食欲をそそる匂いが流れてくる。想像力がかつてないほど活発に働く。やっと席に着き、運ばれた料理を口にするときの喜びはひとしおである。
 なんとも行列万歳である。

 それでも、僕は行列が苦手、もとい、嫌いである。
 今ではスマホから予約できるシステムを採用している施設は多い。有難いことである。
 皆様におかれましては、行列というものとの距離感を十分に保ちながら、用法容量を守って正しくお使いくださいませ。

 中村文則先生『列』からのインスピレーション。機会がありましたら是非。

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