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『オウルシティと“傷無し”』前編

 ふと手のひらサイズの黒い画面に目を向けた。何となく嫌な予感がしたからだ。
 数秒後に画面が切り替わり、枕真想まくらまそうという名前が表示された。キッチンに移動しながら、スワイプして電話に出る。

「どうせ仕事だろ」

 相手の声を聞く前にズバリ言ってやると、想は受話器の向こうで笑った。

「相変わらず勘が鋭いですねえ」
「白々しいぜ……。で、なんだ」

 換気扇のスイッチを入れ、煙草を取り出し、咥えて火を点ける。仕事の話は煙草でも吸ってないとやってられない。

「フォルトレスが出現しました。今、タブレット見れます? メールで送ったURLに飛んでください」

 吸いかけのWinstonウィンストンCABINキャビンを灰皿の上に置いて、キッチンカウンターに置いてあったタブレットの電源を入れ、言われた通りにする。
 指定のURLは動画サイトだった。今日のニュースの録画のようだ。画面には丸焼けになったバスの写真と死者41名というテロップが出ている。41名のうち39名は生徒で、2名は教員らしい。野外学習へ行く途中に襲われたようだ。サイトを閉じる。

「ニュースになってるってことは、完全に後手だな」
「ええ。我々が捕捉するより早く政府の手に渡りました。ニュースの事件はそのあとに起きたものだと思われます」
「そんなに早いってことは、真眼まがん使いか」
「恐らく。うちの“嘘無うそなし”は受動的ですからねえ。捕捉は早くてもこちらが聞かなければ口を開いてくれない」
「相手が真眼の野郎なら、もう手遅れだろ」
「いえ、完全なる後手では有りますが、“偽無にせなし”はフォルトレスかどうかを見抜いただけでしょう。実際政府が内々で管理するならあんな目立つようなことはしない。まだ挽回はできますよ……いえ、挽回不可能な場所から挽回するのが僕の仕事です。政府が良い気にならないようにね」

 想は時々、静かにいきどおることがある。語気が荒いという程ではないが、声質がちょっとだけ重くなる。低温がざらつくってーのか。多分本人は無意識だろうが。

「では、今から電車でそちらに向かいますので——」
「アホか。俺が車で行った方が早いだろ」

 煙草の火を灰皿に押し付けながら、言葉を消すように被せる。

TSARツァルは私有車での出退勤を推奨していませんから」

 ため息を吐きながらリビングへ移動する。

「あのなあ。それでそのあと徒歩で移動とか言い出すんだろう?」
「よくわかりましたね」
「嫌な予感がしたんだよ。面倒くせえ。それに急いでるんだろうが」
「それはそうですが、ゼンさんの車目立つからなあ」
「大丈夫だ。車で行く分には全く嫌な予感がしねえからな」
「そうですか。じゃあ信じます。事務所の前で待っていますね」

 電話を切り、ハンガーラックからラペルドジャケットを手に取り羽織る。黒地にダークグレーのタータンチェックが入ったお気に入りだ。こいつを着て行くと想は「派手な服着て来ましたねえ」なんて言うが、そんなに派手か? 黒だぞ。ラックの前の鏡に自分を映す。いや別に派手じゃあねえだろ。模様が入っている、つったってジャガード織りだから、そこまで主張は激しくない。それにこの服に袖を通しても嫌な予感がしなけりゃ、その日の仕事は上手くいく。

 ……ん? んー、なんだかいつもと違う感じはするが、決定的に嫌な予感はない。試しにジャケットを脱いでみた。
 ボタンダウンの白シャツにブラックデニムを穿いた金髪野郎が眉間に皺を寄せている。

 俺は思案の末、やっぱり着ていくことにして、テーブルの上のレザートレイから車のキーを取り、ジャケットのポケットに入れた。



 風が走って、額に被った前髪をかき上げ、後ろに流していく。耳に掛かっていた髪もその裏側でスネアドラムの様にシャリシャリと音を立てている。風を浴びて、切るように走る。この感じが好きだ。

 ——MASERATIマセラティ GranCabrioグランカブリオ MCマセラティ・コルセ……。

 四人乗りできるオープンカーを探していたらこいつに行き着いた。そうは目立つとか言っていたが、そんなことはない。だって黒だぞ。黒色でシックに決めてんだ。落ち着いた大人って感じがするだろ。どう考えたって黄色のVitsヴィッツの方が目立つ。黄色だぜ? 黄色。赤信号の次に目立つじゃあねえか。

 ツァルの事務所があるビルの前の歩道横にマセラティをピタ付けすると、ガラスの向こうのロビーから男が歩いてきた。細いアーモンド形の瞳と目が合う。緩くウェーヴ掛かった黒髪が耳に被るくらいのところで切りそろえられている。ふんわりとボリュームのあるボブが、歩くのに合わせて揺れる。ダークグリーンのビジネススーツに白シャツ。襟にはモカブラウンのネクタイ。ナイロン地のビジネスバッグ。へえ。秋っぽくて良い取り合わせだな。今度真似してやろう。にしてもこれから動くかも知れねえのに、いくら仕事中とはいえビジネススタイル過ぎるだろ……ああ、さすがに靴は歩きやすさと安全性を考慮して安全靴か……ってダセェ!

「どうせならヘルメットも被って来いよ」
「何のことですか? 今日はそんなに危険な仕事になりそうなんですか?」
「それを決めるのはお前だろうが」
「そうでしたね。でも僕が安全な仕事を選んだところで、向こうから危険が迫ってくることもありますし、そういった意味合いで言えば、ゼンさんが安全だと言ってくれた方がよほど信憑性が高いですから」

 想は左側のドアを開けて、助手席に腰を下ろした。

「やっぱり目立ちますよ。この車」
「アホ言え。黒だぞ」
「いや色の問題じゃないんですよ」
「じゃあどういう」
「えーんーじーんーおーん!」

 俺はそれに応えるようにフォオン! っと一度だけアクセルを踏んだ。


 信号待ちの間に、そうは弄っていたタブレットの画面を俺に向けた。

「今回のフォルトレス。跳浦はねうら莉々りりです」

 丸い金縁のサングラスをずらして画面を見る。そして疑うように、助手席で薄笑いを浮かべる想を見た。

「まだガキじゃねえか」

 跳浦莉々と書かれた名前の上にある少女の顔写真は、小学一年生になるかどうかというようにしか見えなかった。フレームアウトしているが、恐らく肩の下あたりまで伸びた艶々の黒は綺麗なストレートで、前髪はパッツン。おまけにおしろいでも塗ったかのように白いキメの細かい肌。まるで人形のようだなと言う月並みな感想が浮かんだ。こんな顔を昔どこかで見た気がするが、引っ掛かって出てこない。こんなガキの知り合いはいないはずだから、ただの気のせいかも知れないが。

 俺が煙草を銜えて火を点けると、想は断りもなく、車のオーディオ機器のUSBポートにタブレット端末のコードを伸ばし、充電を開始した。同時に、音楽がシャッフルで流れ始める。聴き覚えはあるが、曲名不明。多分、いつも想が勝手に流しているから覚えているだけだろう。

foxフォックス captureキャプチャー planプランです」と勝手に説明し始めたから、サングラスを掛け直しながら興味なさそうに「聞いてねえよ」とだけ返した。なのに想は、満足そうに目を細めた。

 信号が青に変わる。想から目を切り、アクセルを踏み込みながら問う。

「そんなガキにまで“欠落無くしラックスレイカー”は手を出すのかよ」
「“欠落無くし”の発生については不明ですからね。ただ、絶望の淵に現れるとは言われていますが」
「そんなうら若き過ぎる乙女にいったいどんな絶望があったんだよ」
「跳浦莉々は交通事故で両親を亡くしました」

 煙草の煙を吐き出して、ドリンクホルダーに置いてあった缶コーヒーを手に取り、すする。べたべたに甘い。

「そしてその車に乗っていた跳浦莉々は無傷でした。これに目を付け、アプローチを仕掛けたのが政府です。事故発生当日にマスコミの報道が一切なかったので間違いないと断定しています。その間に“偽無にせなし”の真眼まがんでフォルトレスかどうかを見抜いた。そうして彼女を完全に手に入れた後で、マスコミへのプレッシャーを解いた。マスコミはこぞって彼女の奇々怪々ききかいかいさらし続けた。政府の管轄かんかつから外れても、マスコミが張り込み、近隣住民も注意を向けますから、我々も容易に近づくことはできないという段取りです」
「なるほどな。で、莉々は一体どんな欠落を無くしたんだ?」
「傷です。傷付くことができないから、両親が共に即死するような事故にもかかわらず、彼女は無傷だったわけです。ですので“傷無きずなし”と名付けられました」

 微かな違和感。V8のエキゾーストノートだけが鼓膜を揺らす。

「ん……おいちょっと待て。それはつまり両親を亡くしたタイミングで既にフォルトレスだったってことじゃあねえか。辻褄合わねえよ」

 想は、大袈裟に肩を竦める。

「そうですねえ。合いません。ということは二人が死ぬ前から既にして絶望的な状況に追い込まれていたということになります。先ほど見てもらったバス焼きのニュースに因果関係を求めるならイジメの線が考えられますが、決定的な証拠はありませんし、ただのブラフかも知れません。憶測に憶測を重ねては、全てが邪推じゃすいになり真実が有耶無耶うやむやになってしまうのでやめましょう。今はその合わない辻褄を合わせている時間では有りません。彼女がフォルトレスという事実だけを追い、一刻も早く、政府から引き離さなくてはいけない。政府が今後跳浦莉々をどう使うのか分かりませんが、現段階で既にまともではない使い方をしてします。更なる被害の拡大の前に奪取してしまいましょう」
「奪取つったってそう上手くいくかよ。政府がかくまってんだろ?」
「ええ。取り敢えずは慈善福祉事業団体の児童養護施設という名の隔離施設に預けているでしょうから、その間は手を出せません」
Casablancaカサブランカには手を出すなって、誰かが言ってたな」
「うちの所長ですよ。それ」
「そうか。で、どうすんだよ。政府とマスコミの目をごまかして、カサブランカまで相手にするなんて器用な真似、できねえぜ?」
「今回のバス焼きが跳浦莉々の私怨によるものなのか、はたまた政府やカサブランカの思惑があるのかは分かりませんが、彼女に目を付けた企業はいるでしょう。だとすれば、割と早い段階でその企業がアプローチをしてくるはずです。そしてそのタイミングなら、企業との癒着を知られたくない政府が、マスコミを封殺しているはずですから、カサブランカの手を離れた所を狙えば、両方面の死角の中で奪取できます」
「上手く奪取できたとして、そのあとはどうするんだ?」
「適材適所を見極め、その人物が能力を活かせる職場を提供するのが人材派遣会社としての務めですが、彼女の場合はまだ幼いですし、これ以上問題を起こす前に殺す以外に手段はないでしょう」
「殺す、つったって、傷がつかねえんだろ? なら無理だろ」
「殺せないものを殺すのがゼンさんでしょ?」
「勝手に俺を人外にするなよな」

 前方から目を切らず、多分薄笑いを浮かべながら俺の横顔を見ている想に、ふと疑問を投げかけた。

「なあ。さっき、早い段階で、って言っていたよな」
「はい」

 俺はサングラス越しの視線で斜め前の車線を行く車を指した。

「例えば不自然にフルスモークの高級セダンに乗せられて、もう既にドナドナの最中ってことはねえのか?」

 想はタブレットのカメラをセダンに向けてシャッターボタンを押した。何やら操作しながら問い返してくる。

「ゼンさんの俯瞰的直感オウルシティでは見抜けませんか?」
「俺のは自分の身に降りかかることしか分からねえ。というより、具体的に解ったためしはねえよ。今のも何となく嫌な予感がしないでもないってレベルだ。だから誰が乗っているかなんてところまでは分からねえ」
「僕からの仕事の連絡は解るのに」

 残念そうにため息を吐いたあと、タブレットを見て「ビンゴ」と呟いた。

「カサブランカの所有する車ですね。阜良亜ふらあさんが引っ張ってきました。追えますか?」
「追えるが」

 右ウィンカーを出して、ターゲットの2台後ろに入る。

「手を出すな。なんだろ?」
「カサブランカから離れて相手方に渡った瞬間に皆殺しにしましょうねえ」
「大丈夫なのかよ」
「上にはあとから話を通しますよ」

 相変わらずの微笑みを浮かべたままだ。

「悪い奴だぜ、まったく」

 煙を吐きながら、煙草を消した。

「ええ悪党です。巨悪の不義ふぎをぶちのめす、正義の大悪党」

 へらへらと、特に表情は変わらない。まあ、そうじゃねえと務まらねえわな。想が上手くやるってのなら俺もやるしかない。だが行動するにあたって一つ気掛かりがあった。

「てーか、元々は葬儀屋の爺さんを迎えに行くところだったんだよな?」
理三郎りざぶろうさんには、駅のカフェで待っていて貰いますよ。今から連絡します」

 想は、またタブレットの操作に戻った。先のようにメールを送っているのだろう。


 追跡を始めて数十分の間に、次々に車が右折していった為、セダンとの距離は一気に詰まった。間には大型バイクがあるだけだ。恐らくバックミラーに俺らは映っていることだろう。嫌な予感がする。もう既に勘付かれているかも知れないな。

 よくよく見てみると、間を走るバイクはAvintonアヴィントンだった。ヨーロピアンスタイルのバイクには相応しくないハーレーのエンジンが積まれている。その走りは控えめに言って化け物。そんなバカでかい化け物に気付いたのが今更だったのは、乗ってる奴もバカでかかったせいだ。身長が高いってだけじゃあなくて、体の厚みも相当あるな。そんな奴が膨張色の白のライダースーツを着てるんだから余計にでかく見える。そしてこれまた大きなものを背中に担いでいる。2mはあろうかというウッドベースの入れ物。楽器を運ぶには荒々しい運搬方法だが、車が無ければ仕方ないのか。さっきからずっと嫌な予感がしているが、まさかこけねえだろうな。

 しばらく後ろに付いて走っていると、車線が減って、建物の類も少なくなってきた。手入れのされていない畑や古びた電信柱くらいしかない。いよいよ本格的に何もない、閑散かんさんとした風景になってきた。それでもバイクが追従しているあたり、セダンとの関係性が疑われる。偶然とは思えない。そんなことを考えていると、前のバイクが本当に少しずつだが、減速を始めた。バイクとは言えアヴィントン。そんな超ど級の大型が真ん中を走っていては抜くに抜けない。そうこうしている内にセダンとの距離が開いていく。不味いな。追い抜き禁止の道路だが、仕方ねえ。そう思いハンドルを切りかけた瞬間。

 とてつもなく嫌な予感が頭をかすめた。

 俺はアームレストから咄嗟とっさにコルトガバメントを取り、セーフティレバーを外した。瞬間、オーディオから流れる曲が変わった。ああ、これは俺も知っている。

——『ACIDMANアシッドマン』の『FREEWHITEフリーホワイト』……。

 前を走るバイクから何かが投げられた。拳大の黒い塊が跳ねながら道を転がってくる。
 俺はそれが何かも確認せず、すぐさま窓から腕だけを出し、一発撃つ。
 弾丸に弾かれたそれが上空を舞う。肉眼で視認した限りじゃああれは。

「しゅ、手榴弾しゅりゅうだん!?」

 そうが叫ぶ。
 俺は上空を舞う手榴弾にもう一発当て、後方へと飛ばす。

 予想される爆発から逃れる為、アクセルをベタ踏み。この際バイク野郎をき殺してもやむを得ない。そう思ったがしかし、バイクはこっちが加速するより早く前進していた。後方に爆発音を聞いた。バックミラーで見る限り、炎上するタイプじゃなく榴弾りゅうだんをまき散らすタイプだ。上空で爆ぜていたら、二人とも死んでたな。

「ダンスタイムだ、イカレ野郎」

 バイカーが次の行動をするより早く、アームレストに控えてあるもう一丁のコルトガバメントを手に取る。両手撃ちじゃなきゃあ、対応しきれない気がした。そうすると、操縦者が不在だ。今、ハンドルは誰も持っていない。
 オートクルーズに切り替え、アクセルから足を放し、立ち上がりながら吼える。

「想! ハンドル握ってろ!」
「無茶言いますよねえーー!」

 反論しながらもハンドルを握ったのを目の端に見て、構えた銃をぶっ放す。二丁からさながらマシンガンの様に放たれる弾丸は、全弾前方の地面に向かっている。バイカー本人にではない。初弾が地面に到達するかどうかというタイミングで、そこに相手が投げた鉄製の何かが飛来し、ぶつかり、甲高い金属音を発しながら車線の外側に弾け飛んでいく。同じく放っておいた弾丸とそれらがぶつかり合い外に流れる。マセラティの行く先に落ちるはずだったそれらは、マキビシだった。えげつねえもんばらきやがって。

 だが、相手は相手でこちらの動きに面食らっているはずだ。なにせマキビシを撒くより早く弾丸を放っている。次の行動を迷わせるには十分な一手だったはずだ。

 だがなんだろうな。この速度域だからか、相手に照準を合わせると嫌な予感しかしねえ。確かに倒れてバイクごと轢いたらこっちもタダじゃあ済まされねえだろうが……。

 俺の思考の間隙を縫うように、バイクは突然加速した。俺は座席に座り直し、想と操縦を変わり、アクセルを踏み込んだ。
 たとえ相手がハーレーのエンジンを積んでる化け物だろうが、こっちも時速100kmに5秒で到達する化け物だ。初速で出遅れてもすぐに追いついて見せる。そしたら抜き際に鉛玉くれてやる。が、点になったバイカーが、バイクを左に寄せて降りているのを視認した瞬間、またも嫌な予感がはしった。男はウッドベースカバーから身の丈程の鉄の塊を引き抜いた。

 ——不味まずったぜ……!

 俺はブレーキを踏みながら叫んだ。

「伏せろ!」

 想は言われた通りに頭を抱えて体を折り曲げていた。俺は操縦を放棄し、ハンドルの下に体を滑り込ませた。



 ——バキャガリィイイイン!!

 フレームとガラスが捻じ切られながら吹き飛ぶ音を頭上で聞きき、マセラティは男の横を滑って行った。

 完全に止まったと同時に、跳ね上がるようにして座席の上に立つ。敵との距離は20m無い。二丁の拳銃を敵に向けながら、上がりそうになる息を制し、睨み付ける。

 男はいつの間にかヘルメットを脱いでいた。張りのある短い黒髪が風にあおられている。射る様に鋭い切れ長の双眸。堀の深い谷に嵌め込まれた黒はとても無機質的で、感情を読むことはできない。バイクに乗っている時から感じていたが、とんでもない巨躯きょくの持ち主だ。身長は2mを越え、胸の厚さも常人の三倍はあろうかと言ったところ。顔立ちだけなら日本人だが、体躯だけは海の外を感じさせる。

 で、そいつが担いでいるあれはなんだ。今のところ俺のマセラティをぶっ壊したっていう罪状しか分からねえ。
 奴がさっきウッドベースカバーから取り出した、鉄の塊。としか言いようがないものだが、今改めてみると、それは刀の形状をしていた。だが、その全長は刀のそれでは無い。なにせ2mを超える男の身の丈と等しいわけだからな。刀身だけなら150cmくらいだが、柄を含めた全長は200cmを越えている。剣の幅が、そうが持っているタブレットの画面よりでけえ。破邪はじゃ御太刀おんたちっていう、人が扱うことを前提にしてねえ、お祭り用の400cm越えの刀を見たことがあるが、迫力としてはあれに近い。確か重さは75kg。全長こそ破邪の御太刀より短いが、幅がある分同じくらいの重さはありそうだ。

 それをぶん回して高速で突っ込んでくる車を大破させておきながら、本人は脱臼どころか傷一つ負ってない。化け物が化け物に乗って化け物を振り回しているっていう、とにかくやべえ状況だ。

「カサブランカには手を出すな。知らんのか、貴様ら」

 その声に、目の前の男がターミネーターじゃねえってことが解ってホッとして、思わずにやけちまったぜ。落ち着いた低い声だが、ドスを利かせているわけじゃあない。銃口向けられて余裕かよ。

「知らなかったな。なに、お前カサブランカの奴なの?」
「そうだ。知らなくても、今知っただろう。この件は手を引け」

 用件だけ言って、多くは語らないタイプか。逆に面倒だ。

「手を引くって、何から?」
「白々しい。助手席の男、お前が応じろ」

 想は降りかかったガラスで手を切らないように慎重になりながら、上着を脱いで頭を振る。ガラスがパラパラと落ちる。
 ふぅっと大きく息を吐いて、男に向き直った。

「ま、あのセダンを追いかけているのは明白でしたからねえ。うちの渓谷けいこくが白を切ってしまい申し訳ありません」

 男の眉がぴくっと一瞬だけ動いた。

「渓谷……渓谷然壽ぜんじゅか」

 へえ、俺の名前知っているとはね。

「あの滅茶苦茶な狙撃もオッドシーカーなら頷ける」

 なんだよ、すげえばれてるじゃねえか。カサブランカすげえな。

「お前のフラグメントはなんだ?」
「よくもまあ一方的に聞いてくれますね、うちの社員に。渓谷はあなたに言われた通り、僕が応じることを前提にしていますから、徹底して口を開きませんよ」

 と、今にも口を開こうとしていた俺より早く想が前に出る。

「ではお前が答えろ。奴のフラグメントはなんだ」

 想は俺の顔を伺う。物凄く申し訳なさそうに顔を歪める。そのまま男に振り返る。

「言ったら、こちらの損失がとても大きくなります。何かそちらからも情報を頂けますか」
「取引をしてやる義理はない。俺が一方的にする質問に、お前らはただ答えろ。もしも素直に答える気があるなら、代わりに見逃してやろう」
「へえ。見逃してくれるんですか。それはそれはこちらにとって大変ありがたいことです。しかしなぜ今見逃してくれるのですか? 渓谷のフラグメントがそれほど重要ですか?」
「ただの興味本位だ。貴様らが今から追いかけても追いつけまい。車もその有様だからな」
「なるほどなるほど。つまり初めから僕たちを殺すというより、セダンとの距離を空けるための時間稼ぎが主だった任務だったわけですか」

 お。しれっと情報聞きだしたぞ。

「ふむ。ということは、あの車はカサブランカの車で、中に乗っているのは跳浦はねうら莉々りりということで間違いないですねえ」
「断言できまい」
「いえいえ。たった一台の車を、これほど強い人が護衛する理由って一つしかないんですよ。それは、政府の目から離れて、マスコミが邪魔してくれない状態でも、対象者の何事も損なうことなく護送しなければいけない時です。そんな状態が現状身に起きているのは跳浦莉々を除いて他にはいません。まあ、あなたがカサブランカの人間なら、政府の目みたいなものですが。
 そう言えば先ほどあなたは追いつけないと仰いましたねえ。それってつまりこのまま陸路で行くということですよね。もしも空路や海路に切り替えるつもりなら、たとえ追いついたとしても意味はない、というような含んだ言い回しになるはずですが、あなたは直接的に追いつけないと言った。これは距離さえ開いてしまえばいい時に使う言い回しだ。そしてあなたがここで我々に対して攻撃を仕掛けてきたことは、これまでの道がブラフではないことを指し示している。Uターンして市街地の方へ行く前提があるならこんなところでターゲットの車を大破させるような真似は絶対しない。もしくはここで僕らを始末するつもりならそれも有り得ますが、ただの時間稼ぎだったことをあなたは告白してしまいました」

 男の表情が険しくなる。想は穏やかに宥めるような所作で両の掌を前に出した。

「そんなに怒らないでくださいよ。それじゃあまるで、僕の言っているデタラメな空想が全て大当たりだったみたいじゃあないですか。そんな馬鹿な話はないですよねえ、時和ときわ透駕とうがさん」

 男は一瞬驚いたような素振りを見せてから、フンと鼻で笑った。

「貴様は自分の立場が解っていないようだな」
「いえいえ。十分わかっていますよ」

 もうそちらの調子に合わせてやる必要はないと言ったように、時和透駕と呼ばれた男は一歩前に出た。大太刀をゆっくりと横に構える。俺はと言えば、銃口を向けたまま一発も放てないでいる。相手の情報を聞き出したいからじゃあない。嫌な予感がしまくって、撃つことができない。こういう時に無理をして、事態が好転したためしはない。だがこのままだとあの鉄塊の餌食だ。想が死ぬ。男は今一歩前進。どうする。撃つか——。

「渓谷のフラグメントは未来予知です! さあ、僕らを見逃してください!」

 言い放った想は薄笑いを浮かべ、両腕を広げている。
 大太刀を構えたまま、虚を突かれたように凍り付く男。

 それから間を置いて大きな肩を揺らし始め、時和は口角を少しだけ上げて、しばらく想の顔を興味深そうに見た後、大太刀をウッドベースカバーにしまい、バイクにまたがった。

「面白いな、貴様。名を何という」
枕真まくらま想」
「枕真。俺と一緒に来ないか」
「政府は嫌いですので」
「カサブランカは政府ではないぞ」
「政府の貯金箱でしょ? なら同じです」

 想は目を細めた。それを見た時和は苦笑いを浮かべ、アクセルを回して走り去った。

 俺は奴が走り去るまで一発も放てなかった。頭をぶち抜くタイミングがあればしていた。だがそうしてはいけないという危険信号、嫌な予感の方の俯瞰的直感オウルシティが発動しっぱなしだった。

 想は俺に振り返ると、大仰にため息を吐いた。

「あー、ゼンさんが引き金を引かなくて良かったー!」
「嫌な予感しかしなかったからな」
「やっぱり俯瞰的直感オウルシティは素晴らしいですね」
「あいつもオッドシーカーなのか? こっちの攻撃が通用しなくなるタイプの」
「いいえ、彼はオッドシーカーでも、ましてやフォルトレスでもありませんよ」
「は? ……ただの人間ってことか。じゃあ、あいつを殺したらツァル側が不利になるとか?」
「仮に不利になることがあったとしても、彼を殺せたらそっちの利益の方がでかいでしょうね」
「なら俺の俯瞰的直感オウルシティは何に反応していたんだ?」
「彼に弾を撃っても避けられてしまうからでしょうね」
「冗談だろ」
「冗談なら嬉しいんですけどねえ。事実なんですよ」
「ただの人間だろ?」
「ええ、ただの人間です。でもただの人間って結構強いんですよねえ、これが」

 呑気にタブレットを弄りながら言う。そんな想を見て、確かにそうかもなと思った。



 葬儀屋の爺さんが駅でタクシーを捕まえてここまで来ることになった。
 それを待つ間、未だ漂う鉄の焼けた臭いを嗅ぎながら、壊れたマセラティの状態を確認していた。足回りとエンジン系は大丈夫だ。ただオープンカーが更にオープンになっただけで。

「これ保険降りるのか?」
「無理でしょうね。説明できます? バカでかい刀で薙ぎ折られたって」
「できねえし、恥ずいよな。絶対保険屋に白い目で見られるわ。あー、クソ」
「車で行くのに悪い予感はしなかったって言いませんでした?」
「ああ。だがあのセダンの後ろに付いた後、ずっと嫌な予感がしてた。まさかこうなることへの危険信号だとは思わなかったわ。完璧じゃあねえな、俯瞰的直感オウルシティも」

 車の中に置いてあるコルトガバメントのマガジンをジャケットのポケットに突っ込む。

「そう言えばお前、よくあの状況で嘘付けたよな」
「拡大解釈ですけど、実際未来予知みたいなものでしょう? それにその方が今後手を出しにくくなるでしょうし。一石二鳥ならその先に鬼が居ても石を投げますよ」

 相変わらず人を食ったような野郎だ。

「何の能力もねえのに、よくやるよ」
「ゼンさんが味方であることがもう何にも代えがたい能力みたいなものですからねえ」
「その唯一の能力である俺が動けなかっただろうが」
「いいえ。ゼンさんが銃を構えていてくれてなかったら、問答無用でぶった切られていましたよ。やはり渓谷然壽けいこくぜんじゅの名は伊達だてじゃあないなあ」

 いつにも増してにやにやしている気がするな。何もかも上手くいった時みたいに。

 ——あ。

「お前もしかして、俺の情報カサブランカに流したのか」

 そうが俺の顔をぎょっとした顔で見て、それから嬉しそうに笑った。

「おお!? やっぱりゼンさんは勘が鋭いなあ!」

 俺は天を仰いで大きくため息を吐いた。
 マジかよ。味方の情報を売るか、普通。

「まあまあ。恐れられていた方が敵も近寄りづらいでしょう? 情報戦って言うのは徹底的に情報を守るだけじゃあないんですよ。相手を騙す為に虚実織り交ぜてやるのが一番効果的なんです。例えばネットの掲示板にもわざとツァルの悪口を書いてみたり。悪口に賛同する人たちを結集してSNSでグループを作ってみたり。それで数日後にそのアカウント消してみたり。殺されたんじゃあないかとかいう噂を立ててみたり。……その殺し屋はどうやらとんでもないフラグメントを持ったオッドシーカーで、超絶強いっていう情報だけを流せば、あとはゼンさんの実際の仕事ぶりが後押しして、カサブランカのネットワークに引っ掛かる頃には都市伝説級の無敵最強戦闘人間にしたて上がっているわけです」
「戦闘人間ね」

 俺はCABINキャビンを咥えて火を点した。

 ビターチョコレートのような味わいが口に広がり、ほのかに甘い香りが立ち込めた。初めて口にした時は、ただ苦かっただけだ。姉貴はよくもまあこんなものを吸ってるな、偉いなと思ったもんだ。このフラグメントだって、姉貴がフォルトレスになった時に得た副産物だしな。姉貴からはいつも貰ってばかりだ。そうか、あれがあってから、もう7年も経つのか。ああ、そうか。跳浦莉々はねうらりりの顔、どこかで見覚えがあるなと思ったら、あの時母さんが助けたガキに似てんだな。雰囲気ってーか、幸薄そうな感じが。


#創作大賞2023

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