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静寂の1分

カウンセラーの市岡です。
心のことを扱う時、肉体を使うというところがヨーガや東洋の智慧の大きな特徴です。

悩みがあるときや、もしくは体調が思わしくない時というのは、気がかりなことが四六時中、心を支配します。そして、その同じ心をつかって、ああでもない、こうでもない、〇〇しなければならないとジタバタしがちです。

「いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできない」

これはアインシュタインの言葉ですが、これは自分の心のことでも言えます。

さて、そうやって頭のなかでジタバタしているのは、コップの泥水の中でもがいているようなものです。

不安や怒り、後悔や期待というような感情だけでなく、思い込みの泥が目まぐるしくグルグル回ってコップの中が濁って見えない状態。

視界不良で上も下も左右もわからない中でもがくのは、なかなか苦しいものです。

でも、その泥水は静かにそっとしておけば、自然と泥やゴミを沈殿させながら、水は澄んでいきます。

心も同じです。心が波立ったままジタバタしてもうまくいきません。それどころか、様々なヒントや大切なことを見落としてしまいます。

ではどうやって心の波を静かにし、泥を沈殿させていくのか?
一番身近で誰もがいつでも使っているものを使います。

「呼吸」です。

呼吸を使って心を落ちつける簡単な方法やり方は以下の通りです。

・軽く目を閉じておへその辺りに両手を置きます。(寝転がってでも座ってでもOKです)
・呼吸に伴うおなかの動きに意識を集中させます。
・吸い始めから吸い終わり、吐き始めから吐き終わりまで、おなかの動きを感じます。

途中、心が呼吸の動きから離れて、いろいろと考え始めます。音楽が流れることや抽象的なイメージが浮かんでくることもあります。

それは普通のことです。そんな心の動きに気づいたら、またお腹の動きに意識を集中させます。

無になることが目的ではありません(無にはなれないですしね)。こうして心が行ったり来たりしながら、泥を沈殿させ、少しずつ心に静寂の時を取り戻すのです。

静寂は心の泥やゴミという濁りを落ち着かせてくれます。走り続けていた心が立ち止まる時間です。まずは立ち止まってみるのです。

それで、解決するわけではありません。でも、立ち止まることで、今、自分ができることが自ずと見えてきます。そしてできないことも。

それは小さな一歩かもしれませんが、次につながる大きな一歩です。

たとえそれが1分でもいいのです。その1分があるのとないのとでは雲泥の差が生まれます。

日々の暮らしの中に静寂の1分を。






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