心の運転技術
カウンセラーの市岡です。
最近ではヨーガ(ヨガ)というと美容や健康のイメージが強いのかもしれませんが、私がヨーガを始めたころは某オ〇ムという宗教団体のイメージがまだまだ強くて、恐る恐るヨーガの教室のドアを開けたことが思い出されます。
時代が変われば変わります…。
そんなヨーガですが、ヨーガは実践哲学なんて言い方もされます。
「実践する哲学」
大事なことは実践です。
その実践は色々ありますが、「心の使い方」も実践の大きな柱となります。practice、practice、practice…。
死ぬほど言われます(笑)
ヨーガでも、もちろん心の分析は行われます。ただ一般的に思われる精神分析のような分析とはちょっと違います。
私の感覚では分析というよりは観察。心の癖の精密な観察です。そのために身体や呼吸、日常のありとあらゆるものを使います。
観察して自分の心模様を「あぁそうか。やっぱりね」と納得することが目的ではありません。そのうえで、私たちに与えられている命題はどうやったら上手に心の運転できるのか。どうやったら心の安寧を生み出せるのか。そのtための実践が重要です。
つまり、私の不安の原因って過去にこういうことがあったから、とか、私って〇〇なタイプなんだよね。私は〇〇だから。
…そんなことどうでもいいわけです。(乱暴ですが)
大事なのは、だったらどうやって、その暴れ馬な心を乗りこなすのか。ということ。
ただ、ちょっと考えてみると、そこには、乗りこなせれるという大前提があるのです。その根拠がヨーガの人間観などの哲学の部分になります。
今は振り回されちゃって、なんなら振り落とされる時もあるけど、私たち乗りこなせるから。だからこそ、実践してね!というわけです。
その実践というプロセスを通して、心の使い方、つまり心の運転方法を身に着けていきます。そしてそのプロセスを通して自分では気づいていない心模様(心の癖)にも気づき始めます。結果、乗りこなせてるということです。
さて、ヨーガの行者でもない私たちが、いったい何ができるのか?アーサナ? 瞑想? これはこれでおすすめですが、もっと肩の力を抜いて、日常生活という場を使います。
それが「行動」です。
例えば、何か腹立たしいことが起きた時を思い出してみてください。その時は何とか気持ちをおさめます(大人だから)。でも休憩時間にふっと思い出し、イラッ。お昼ご飯の時間に同僚と愚痴を言ってまた思い出し…。
帰りの電車でふいに思い出し…。あぁ今日はお風呂でリラックス~と言いながら思い出し、もう寝ようと思って思い出す…。で、疲れて、なんで私がこんなことで…と虚しくなる…。(若いころの私です)
名付けて<the怒りの反芻>
ということがあるのであれば、ちょっといつもと違う「行動」をしてみるのです。この場合「怒りのコントロール」という心の使い方ではあるのですが、心のことを深堀するのではなく、それはちょっと横に置いておきます。
そして、少し行動を変えてみるのです。例えば、どこかのタイミングで紙に言葉…もしくは言葉にはならないイライラをグリグリ書きなぐる。例えば、家に帰る前にカフェでお茶をするなど。
基本いつもやっていない事なら何でもいいです。
つまり、行動によって怒りとの関わり方を変えてみるのです。
心のことになるとどうしても、心の周辺を深堀したくなります。でも正直なところ深堀りしたって、解決にはあんまりなりません。なぜなら、また怒るから。
心に行動が伴うのなく、行動の後に心が伴ってくるのです。
これもヨーガの実践の一つなんです。
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