【読み聞かせ】ヒーリングストーリー 千一夜【第5夜】ミステリーハウスの住人
今日もお疲れさまでした
お休み前のひとときに
ココロを癒やすファンタジックなショートストーリー
「ミステリーハウスに人が住んでいる」という噂を職場の給湯室で聞いた。
「ミステリーハウスって……家が斜めになってて、中に入るとまともに立っていられないあのミステリーハウスのこと?」
不審に思いながらたずねてみる。
同僚の男子はニヤニヤしながら、
「そう、それ。古い遊園地とかにあるやつ。あんなとこに住むなんてさあ、ありえないほどバカじゃん」
といった。
わたしは、
「まあ、確かに普通じゃないよね」
と相づちをうったものの、いったいどんな人が住んでいるんだろうと気になって仕方がない。
そこで休みの日に、噂のミステリーハウスを見に行くことにした。
ミステリーハウスでは、若い男がひとり暮らしをしていた。
「いらっしゃい。女性のお客さまとはめずらしい。さあ、どうぞお入りください」
男はミステリーハウスの中で斜めに立ち、にこやかに微笑んでいる。
一方のわたしはというと、入り口の柱にへばりついたまま身動きができない。
うっかり柱から手を離せば、倒れてしまうんじゃないかと思うくらい頭がくらくらしている。
部屋にある階段も、とても上れる気がしない。
「これ……単に床とか壁とかが斜めになってるだけですよね」
「ええ。重力と視覚のバランスの取り方が普段と変わるので、平衡感覚が狂ってしまうんですよ。
でも子どもさんなんかはすぐになれて、平気で走り回りますけど」
そういえば子どもの頃、遊園地のミステリーハウスで一歩も動けなくなっているお父さんとお母さんを見て、不思議に思ったことがあったような……。
それはともかく、もうこれ以上は耐えられそうもない。
「とっ……とりあえず、今日のところは失礼します」
わたしはふらふらしながら、ミステリーハウスをあとにした。
次の休み。
わたしはまたミステリーハウスにやって来た。
今度はなんとか部屋のソファに座ることができた。
それでも頭がくらくらするのは前と変わらない。
「どうしてこんな変な……あ、いえ、どうしてこういう斜めの家に住もうと思われたんですか?」
わたしが聞くと、男は急須を揺らしながらいう。
「ある日、気づいちゃったんですよ。斜めになってるほうが本当だってね」
「斜めになってるほうが……?」
やっぱり普通の人じゃないなと思いつつ、男が淹れてくれたお茶を飲む。
そうこうしている間にも、わたしのように冷やかしでミステリーハウスを訪れる人が何人かいた。
でも誰も中には入れず、ふらふらしながら帰っていく。
中には「わけのわからない家に住むなっ!」と吐き捨てていく人もいた。
男は、
「まあ、ボクからすると外の世界のほうこそ、わけがわかりませんけどね」
と肩をすくめるだけだった。
ある日、社員食堂のテレビからとんでもない放送が流れた。
『政府の公式発表です。実は今まで世界を20度傾けておりました。だましてて本当にごめんなさい。今日の12時半から正常な傾きに戻します』
「12時半って、もうすぐじゃん」
同僚の男子がうどんを食べる手を止めた。
「正常な傾きに戻すって……急にそんなこと——」
わたしが言い終わらないうちに、床が斜めになり窓から見える景色が大きくゆがんだ。
世界が正常な傾きになってから1週間。
みんな道路を這いつくばったり電柱にしがみついたりしながら、なんとか生活していた。
わたしはミステリーハウスに行っていたせいか、辛うじてなにかに頼ることなく歩けてはいる。
でも世の中が斜めに見えているのは、ほかの人と同じだった。
ふらつきながら会社に向かっていると、向こうからミステリーハウスの住人が歩いてきた。
その颯爽と歩く姿に周りの人たちは唖然としている。
「あれっ、あなたは」
男がわたしに気がついた。
わたしはゆらゆらしながら頭を下げる。
「どうも。あなたがいうとおり、斜めになってるほうが本当だったんですね」
「ははっ、もう斜めじゃないですけどね」
確かに今までの斜めが斜めじゃなくなったわけで、斜めだったほうが本当で……つまり——
「うううっ……頭がどうにかなりそう……」
「大丈夫ですか?」
しゃがみ込むわたしを男がのぞきこむ。
「はい、なんとか……。でも、まだ混乱してます。1週間もたつのに……それなのに、わたしには今もあなたが斜めに立っているようにしか見えないんです」
つい悲しげな声になってしまう。
「わたしが今まで信じていたものは、いったいなんだったんでしょうか。子どもの頃から教え込まれて、信じ込まされて……それがいまさら全部ウソだったなんて……」
すると——
「心配はありません。すぐに自分でまっすぐ立てるようになりますよ。ただ気づけばいいだけですから。これが本当の世界なんだと」
男はそういって、わたしに手を差し伸べた——。
↓第6話
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