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いかなる花の咲くやらん 第1話   (原作大賞応募用)

令和元年(2019年) 夏 平塚

湘南の太陽が容赦なくアスファルトを熱している。
海からの塩気を帯びた風が頭上の七夕飾りを渡って行く。
ここは神奈川県平塚市。七夕の町。
昭和二十六年に戦後の復興と繁栄を願い、仙台を範として、ここ平塚でも七夕祭りが始まった。全長445メートルのスターモール商店街を中心に、並行する商店街と合わせて三千本の豪華絢爛な七夕飾りが並び、その美しさとからくりの工夫を競い合う。竹飾りは主に地元の企業と商店が用意するが、幼稚園や小学校の提供する飾りもある。その値段は一本十万円から数百万円する物もあるらしい。頭上にずらりと並んだ風にたなびく飾りの中を歩いていると、まるで天の川の中を歩いているようだ。夜は飾りに明かりが灯り、昼とは違った幻想的な雰囲気を醸し出す。普段は静かな海沿いの町だが、この日ばかりは、全国から150万人もの観光客が押し寄せる。
車を通行止めにした通りの両側には、ぎっしりと出店が並び、焼ける醤油の匂いや、綿あめの甘い匂いが漂っている。父親に肩車された子供が、下駄が片方ないことに気付いたが、人の流れの中で探すことは無理そうだ。商店街の西側、見附台広場の交差点には舞台が設置され、司会者がパレードの開始を告げている。市長、市会議員が行進した後、ミス七夕が艶やかな笑顔で沿道に手を振る。近くの保育園児たちが、七夕音頭に合わせて踊り、その可愛らしさがパレードに花を添えている。
パレードの終盤あたりに、「疾風乱舞」が出演する。
湘南は近年よさこいが盛んで、疾風乱舞は平塚のよさこいのグループだ。主に中学生から大学生が所属している。日本舞踊から発展して、様々なダンスの要素を取り入れ、長袢纏を基本にした色とりどりの衣装で踊るよさこいは、七夕の雰囲気にぴったりだ。
今年の疾風乱舞の衣装には紫の地に白い藤の花が大きくあしらわれている。帯は藤のつるが巻き付いたようなデザインになっており、手には竹細工で作った藤の花を持っている。
「永遠―、ドキドキするね。」
「大丈夫、あれだけ練習したんだから。」

親友の和香に話しかけられたのは、佐藤永遠。平塚市内の中高一貫校に通う十六歳、高校二年生だ。スラリとした長身と白い肌は気品を漂わせているが、はっきりとした顔立ちは華やかな印象だ。その容姿はまるで大ぶりの白藤のようだ。幼いころから習っている日舞はすでに師範の免許を持っている。また、高校のストリートダンスコンテストでは、友人たちとグループを組んで優勝している。その時は近隣の男子高校生が永遠を一目見ようと押しかけ、体育館は一時騒然としたものだ。永遠は疾風乱舞に入って日が浅く、今日のパレードに出ることは知られていない。後日今日のことを知った男子高校生たちは、さぞ悔しがるだろう。「そうだね。間違えたらどうしようって、怖い気もするけど、大丈夫、楽しもう。」
「そう、怖いと思えば怖い。楽しいと思えば楽しい。」
「永遠ちゃんって、おとなしそうだけど、へんに度胸が据わっているよね。頼りにしてます。ウフフ。さあ、出発だね。」
緊張はしていたが、いつも踊りの音楽が流れ始めると、体が勝手に動いていく。永遠はこの時の体とともに心も踊る感覚が大好きだ。
「あー、緊張するー」
友だちの和香は何やらきょろきょろとしている。
「どうしたの?和香ちゃん」
「んー、あっ、これで良いや」
「?」
「もう一個、同じような石ない?」
「石?これは?」
ベンチの上にあった、おはぎのような黒い石を永遠は、和香に渡した。
「あっ、良いね。何処にあった?」
「ベンチにあったよ」
「おかしいなあ。さっき見た時は無かったけどなあ。まあ、良いか」
和香は二つの石を火打石のようにカチカチと合わせた。
「時代劇でやっていた。これから何かをするときにうまくいきますようにって、こうするんだって」
もう一度和香が、カチカチと石を合わせた。「しゅっぱーつ」

先頭が動き始める。踊りが始まった。その時、大きな風が吹いた。ざわざわと竹飾りが揺れる。永遠は少しくらくらとして、町も仲間も薄れていく感じがした。
ぶんぶんと頭を振って、しっかりしなきゃと踊り続けた。気が付くと、そこはいつもの商店街ではなかった。どこか田舎の村のお祭り広場のようだった。
「えっ、何?」
村の人々が突然お祭り広場の舞台に現れた娘の、今まで見たこともないような、激しい踊りとその美しさに見とれていた。
その村人の中にとても目を引く青年と永遠の目が合った。
(どこかで会ったような気がする。遠い昔)
和香の声がして、我に返った。
「永遠、永遠、楽しかったね」
「えっ?」
「終わっちゃたね。喉乾いた」
気が付けば、パレードのゴールに仲間とともに立っていた。
「あー、なんか一瞬意識飛んだような気がした。急に田舎のお祭り広場にいたの。そこにすごい素敵な男の人がいて、こっちを見ていた」
「なにー、それ。永遠、危ない。熱中症じゃない。早く、なんか飲もう」

(何だったんだろう。前にもこんなことがあった。
幼い時、日舞の発表会の後で、曽我の梅林に家族で寄ったときのことだ。)

平成二十年(2008年) 春 曽我

「永遠の『藤娘』は上手く踊れましたね。すっかり藤の髪飾りを気にいってしまって」父と母が微笑みながら話している。
発表会が終わって着替えるとき、永遠は
美藤の髪飾りを外したくないと言ってそのまま付けていた。
「お父さん、お母さん、見ててね」永遠は、小川にかかる木の橋を舞台に見立て、踊ってみせた。
その時足元の小さな黒い石につまずいた。景色が揺らめいた気がしたが、気にしないで踊り続けていた。
気が付くと両親の姿は見えず、着物を着たしい少年がこちらを見ていた。
「あなたも発表会?私も着替えたくなかったけど、脱がされちゃった。頭の飾りだけ残してもらった」
驚いて見つめる少年だったが、永遠はおかまいなしにおしゃべりを続けた。
「ねえねえ、何を踊ったの。一緒に踊ろう。私は藤娘」
「僕の得意な踊りは獅子舞だ」
二人はしばらく楽しくおどっていたが、母の呼ぶ声が聞こえた。
「永遠、永遠、風が冷たくなってきたわ。そろそろ帰りましょう」
「あれ?男の子は?」
「男の子って?」
「今、一緒に踊っていたでしょ。獅子舞が上手な男の子。」
「そんな子はいなかったわよ。さあ、売店行くわよ。梅干し買って帰りましょう」
「えー、おかしいなあ。あっ、待ってー。シソ巻きも買ってくれる。甘いのと酸っぱいのがお口の中で混ざって、美味しいんだ」
「はい。はい。お母さんも好きよ。買いましょうね」

(あの時と同じだ)

安元二年(1176年) 春 河津

少年の名は一万。うとうとと夢を見ていた。
夢の中で一面の薄紅色の海原が富士のすそ野まで広がっていた。
花のような甘い香りがむせるほどだった。
「ここはどこだろう。あっ」
小川にかかる木の橋の上に突然、女の子が現れた。不思議な着物を着て、頭には藤の花の髪飾りをつけて踊っている。まるで藤の花の妖精のようだと、驚いてみていると、女の子から声をかけてきた。
「あなたも発表会で踊ったの?一緒に踊ろう」
一万は何を言っているか理解できないまま、自分の得意な獅子舞を踊って見せた。
一万の暮らす伊東では、祭りの時に獅子舞の奉納をするので、一万は毎日練習していた。
しばらく一緒に踊っていたが、不意に、女の子が消えてしまった。そして一万は目が覚めた。(夢?かわいい藤の妖精だったな。また会えるかな)と、まどろんでいた。

「おかえりなさいませ」
「うむ」
「領地の見回りはいかがでしたか」
「おお、今年も豊作で、刈り入れは大忙しだぞ」
「うれしい悲鳴ですね。でも、みんなでにぎやかに、楽しいですね」
「そうだな。伊東の荘は半分になっても尚豊かで、何も憂慮することはない。お父上とのいざこざで、工藤祐経殿には、迷惑をかけた。この度はお上の評議で、領地を折半することに決まり、すっきりして良かった。祐経殿とは同じ一族。これから伊東の繁栄のためにともに手を取り合って、仲良くしたいものだ」
この男は河津祐泰。伊東、河津を領土とする伊東祐親の嫡男である。見目麗しく、がっしりとした体格の大男であるが、気性はたいへん穏やかで優しく、子供たちをたいへん可愛がっていた。学問に優れ何か意見を言うときも立場を深慮し、技芸に秀で弓矢も強弓で矢継ぎ早の名手である。
先々代からの領土争いが、悩みの種であったが、この度、ようやく訴訟が収まり、父祐親と叔父の祐経が伊東の領土を半々に収めることが決まり、心が晴れ晴れとしていた。

「お父様、お帰りなさいませ」
一万が領地の見回りから帰っていた父親に絡みついている。
「お父様、お母様、僕は妖精に会ったよ」
「あら、そうなのですか。妖精に?」
「はい。藤の花の妖精の見ました。薄紅色の海の橋の上で踊っていました。不思議な服を着て、頭に藤の簪を刺していました。とても可愛かったです。一緒に踊れと言うので、僕も一緒に獅子舞を踊りました」
「それはそれは。一万は獅子舞が得意ですものね。」
「はい」
一万は母に踊って見せた。
そこへ弟の箱王も乳母に抱かれて帰ってきた。幸せいっぱいの河津家であった。いつまでもこの幸せが続くと思っていた。

ところが祐親の叔父、工藤祐経はお上の評定におおいに不満を持っていた。
「えーい、忌々しい。何故、にっくき河津祐親と領土を半々に折半せねばならないのだ。
私の父伊東祐継が早くに亡くなったばかりに、今まで祐親の好きにされてきた。もともと伊藤の荘は父の領地。それなのに、祐親は伊藤、河津の二つの荘をわがものとし、私を都へおいやった。祐親の娘と一度は結婚させておきながら、その妻さえ奪い返されてしまった。
十四歳から二十一歳まで私は都の武者所で仕えた。その間何度も所領を返してもらえるように訴訟をしてきた。
祐親の根回しでなかなか訴訟は受け付けられなかったが、この度ようやく訴えを聞き届けていただけた。しかし、何故、すべての伊東の荘がわが物にならぬ。半分半分とは情けない。」
長年の訴訟が聞き届けられ、先祖からの領地を半分取り返した工藤祐経の嘆きである。
「いっそ、恨みの矢でも射かけてから死んでしまおうとも思うが。」
それを聞いていたのが、長年の郎党である大見小藤太と八幡三郎である。
「もし、殿が伊東の所領をお持ちなされていたならば、我らも権勢を誇れたはず。こうなっては、我らにお任せください。必ずや隙を見つけ、一矢で仕留めることをお誓いいたします。」こうして、祐親は全く自分の知らぬところで、大見小藤太と八幡三郎に命を狙われることになった。

その年の秋、珍しい出来事があった。
武蔵、駿河、伊豆、相模の四か国の大名たちが「伊豆の奥野で狩りをしてあそぼうではないか」ということになって、伊豆の国にやってきた。
伊東祐親は大いに喜んで、色々ともてなし三日三晩にわたる酒宴が催された。
それを聞きつけた大見小藤太は、
「狩場では、狙う好機が多くあるだろう。この機会を逃す手はない。殿、いよいよ運が巡ってまいりました」
「うむ。ついに時がやってきた。必ずや祐親を亡き者にしてくるのだ。そして伊東の領地をすべてわが物にするのだ」
「八幡三郎よ、さあ、行こう。今こそ殿のご無念を晴らすのだ。そして、工藤の繁栄の時代を迎えようぞ」
そして、大見小太郎、八幡三郎は、猟師の姿になり大勢の中に紛れ込んだ。
しかし、七日間の巻き狩りの間、夜も昼も付け狙ったが、矢を射かける機会が見つけられないまま、むなしく狩りもおわろうとしていた。後の狙い所は帰り道だけである。
「殿は気をもんで、今か今かと朗報を待ちわびているだろう。手ぶらで帰るわけにはいかん。
最後の覚悟を決めよう。ここは先回りをして、伊豆の赤沢山の麓の児倉追立辺りで待ち伏せをすることにしよう。あそこなら大きな椎の木があり、その陰に身を隠すことができる。また、細い獣道が多くあり、事をやり遂げたのち、逃げるのにも都合が良い」
二人は赤沢山の麓に先回りをして、三本の椎の木陰に身を隠し、最初の矢を大見小藤太が、次の矢を八幡三郎が射ることにした。ところが待てど暮らせど、一行がやってこない。
それもそのはず、その頃一行は、帰路の途中の柏原で、車座になって酒宴を催していた。

五百余騎の人々は狩りを終えて帰るところ、柏の木の生えている野原に出た。そこは百町ほどの広さがあり、柏の木が高く伸び密生していた。峰から吹き降ろす風に吹かれた紅葉の葉が、それぞれの笠にはらはらと散り、雅やかな風情を醸していた。
「伊豆の山々はどこも美しいけれど、ここはまた一段と美しい。このほどの名残を惜しんで酒宴を催してはいかがでしょう」と、懐島平権守景義が言うと、あちらこちらから「それが良い」「それが良い」と声が上がり、酒宴が始まった。そのうち相模国の山之内滝口三郎と、駿河国の相沢三兄弟で相撲が始まった。山内は相撲を三番取った後、伊豆国の竹沢元太に負けた。竹沢も五番相撲を取った後、駿河国の荻野五郎に負けた。荻野も七番取った後、同国の高橋大内に負けた。このように、主だった若者たちが入れ代わり立ち代わり相撲を取ったところ俣野五郎が出て来た。
「俣野殿は怪力であるから、負けたものはさっさと退き、次から次へ行きつく暇も与えず、寄せ合わせ、寄せ合わせ」と若者たちが順番に取り掛かったが、俣野五郎はたちまち三十二番の勝負に勝った。調子にのった俣野五郎は宿老である相模国土肥次郎実平に「年寄りでもお出ましなされ、手並みのほどを見せてあげましょう」と言った。
伊豆国河津三郎祐泰は穏便で控えめであったので、自分からはなかなか出て行かなかったが、長老に対するこの無礼が我慢できず、自分も一番相手をお願いしたいと申し出た。
俣野は東国の大男であったが、河津はさらに五、六寸ほど大きかった。両方から寄り合い油断なくして河津は俣野の上首を打ってそらせ、立ち退いて
「やはり、たいしたことはない。しかしこれほど勝ち誇ったものを情けなく打ってはバツが悪いだろう」と一度二度苦戦のふりをしてから俣野の上首をちょうと打つ。討たれた俣野が左右の手で俣野の上首を打とうとする。その懐に河津がさっと入る。俣野の右の前足を片手で取るや、放り投げた。
これが世に言う「河津掛け」である。

陽が傾き、風が冷たくなってきたころようやく面々は腰を上げた。ほろ酔い気分の坂東武者たちが愛馬にまたがり、今回の巻き狩りの成果や、先ほどの相撲のこと、そして家で待つ家族のことを思い浮かべながら帰路へ着いた。
八幡三郎と大見小藤太は、ひたすら待っていた。必ずここを通るはずだ。日没してしまえば狙撃は困難。薄暮であっても標的は見づらい。武士たちも暗くなる前に宿へ着きたいと思えば急ぎ足でかけてくるであろう。薄暗がりの中、早馬で行かれては、祐親を仕留めることができるであろうか。まして狩り装束は誰も似たようなもので、判別は難しい。大きな夕日が山の端に落ちかかっている。
いよいよ、待ちかねた一行がやってきた。思ったより、一行はゆっくりと歩を進めていた。一番に通るのは波多野右馬允、二番に通るのは懐島平権守景義、三番は大庭三郎景親、海老名源八季貞、土肥次郎実平、土屋次郎義清と続き、遙かに遅れて流人の源の頼朝。この次に伊東と河津の親子がやってきた。
優れた乗り手に、名高い名馬であるから、倒木や岩や石もかまわずゆったりと歩ませていた。乗り換えの郎党一騎も近くにいない。土肥の配下の谷の向こうの山を登っている。
前後に人はいなかった。
さんざん待っていた大見小藤太であるが、天性の臆病者で「どうしよう。どうしよう」と思っているうちに目の前を通りすぎて行った。
次の射手、八幡三郎は落ち着いて、白木の弓に大きな鹿矢をつがえて引き絞り、ヒョウと射た。
その矢は河津三郎祐泰の鞍を割り、腰から太ももに貫通した。
祐泰は弓を取り、矢をつがえて、馬の鼻を引き返し、周囲を見回したが、真っ逆さまに落馬した。萌黄の布で裏打ちした竹笠が風に舞った。
「しまった。祐親ではないぞ。息子の祐泰が先に進んでいたとは」
後ろから来た祐親を大見小藤太が射たが、これは外れた。
続いて八幡三郎の射た矢が飛んできたが、矢は左手の指二本を射切り手綱をちぎった。
「山賊がいる。搦め手(からめて)を回せ、先進は引き返せ、後進は進め」と祐親は叫んだが、とても足場が悪く、もたもたしている間に、大見小藤太と八幡三郎は逃げ延びてしまった。
「祐泰、祐泰、目を開けろ。しっかりしろ。祐泰」
祐親の嘆く声が伊豆の山々にむなしくこだまするばかりであった。

祐泰の遺体は編駄という板に乗せられて宿所へ帰った。祐泰の母は遺体に取りすがって
「私も一緒に冥土の旅に連れて行っておくれ」と身悶えして声を振り絞って泣き続けた。 父親の祐親も
「同じように矢に当たったのに どうして自分だけ助かったのだ。お前はどうしてあっけなく旅立ったのだ。私のような年寄りが助かって 若いお前が何故」と嘆き悲しんだ。妻は二人の男の子を膝に乗せて
「お前たちよくお聞き。昔、周の幽好王という人が 殷の仲好町に滅ぼされた時、母の摩低夫人の体内に宿っていた子は七ヶ月になっていました。夫人は王に先立たれた後 あまりの悲しさに 体内の子に向かって 『たとえと月に満たなくても 早く産まれて 父の仇を討っておくれ。』と言い聞かせました。その子は八か月で生まれ 七歳十一ヶ月の時に 見事仇を討ち果たしました。 世の人は感動し、その子を国王にしました。お前たちも この話をよく覚えておくのだよ。父を討ったのは 工藤一郎祐経に違いない。二十歳になるまでに 祐経の首を取って、この母に見せておくれ」と悲しみの涙を流しながら、強く 強く言い聞かせた。三歳になったばかりの箱王は 母の言葉が分からず ただ悲しそうな母を 慰めるように 母の頬を撫でていた 。五歳の一万は「 十五歳で父の仇を討ちます。二所権現様 三島大明神様 足柄明神様 富士浅間大菩薩様 氏の大神様 どうか私に力をお貸しください」と父の遺骸に誓った。
祐泰の遺骸は花園山へ運ばれて 荼毘に付された。 三十五日の法要で 伊東祐親は出家をした。一万は父の使いならした鏑矢や鞭などを取り出し、「自分もいつかこれらを使いこなして、工藤祐道を討ちまする」と言った。箱王が「父上はどこへ行かれたの」と尋ねたので、母は「父上は仏となって極楽浄土というとても素晴らしいところで平穏に暮らしておいてです。私もいつかはそこへ行って一緒に暮らしたいと思っているのです」と答えた。すると、すべてを分かっていたと思われた一万が「そうなのですか。それなら今、参りましょう。母上も乳母も急いで 身支度をして私を連れて行ってください。私は父上が恋しくてなりません。早く早く」と母を急き立てた。 集まった人々が一万のいじらしさに心を打たれた。(この子は父の死を本当に理解したとき、本当に仇討ちをするかもしれない。この子が本当に仇討ちをするなら必ずや力を貸そう) と強く思った。

祐親と同じように、母の万劫御前も出家しようとしたが、
「このわしは老衰しておる。そのうえ工藤祐経はまだわしの命を狙っている。いつ死ぬかわからん。そなたが出家した後幼い子供を誰かに預けてどのように育つと思っているのか。どんな人とでもいいから再婚して二人の子供たちを、祐経の形見と思って 育ててくださるまいか。もし、この願いを承知できないのなら まず この入道が自害しよう。それを見届けてから そなたの思い通りにするがよかろう」
そこまで言われて万劫御前は背くことができなかった。 そして遠い親戚である曽我祐信と再婚をした。 輿入れの前に祐泰の墓前で「 今はおいとましなくてはなりません。蘇我の里へ参ります。 どうか私と子供達をお守りください。私もまたどこにおりましても あなた様の菩提を弔います。」と挨拶をすると、その母の横で幼い一万が「おじい様の言葉に従って 母上様のお供をして曽我の里へ参ります。父上様の仇 工藤祐経を討つまで どうかお守りください」と泣きながら祈る姿に 皆涙ぐんだ。
こうして万劫御前は曽我祐信の元へ嫁いできた。
 
その頃、一万は、必ずや父の無念を晴らすを決意をし不動明王あてに手紙を書いた。
 
ふどうめう王様え申し上げ候。われらけうだいは。ちちにはなれ。母ばかりをたのみ。
おもしろき事もなく。けうだいづれにて。ほかゑまいり候ゑば。むかいやしきの平どのに。
せびらかされ。うばやしたじたまでも。をなじやうに。せびらかし候ぬゑ。うちゑかゑり。
ははさまにつげ候ゑば。いろいろとしかられ。せつかんにあひ申候まま。かなしくそとへも出で申さず。
はこ王とふたり内にいや。ただちちの事ばかりをおもひ。まことのととさまのないゆゑに。
よそのものにも。われわれ申候。はよう。大なをとこになり。かたきくどうすけつねをうち申たく候。
はは様の大じにせいと。おんおしゑ候。まもりほんぞんにて候へば。はようねがひを。すけつねをころし申たく候恐々謹言。
                                                     一まんより
をふどうさま

 
それから二年、世は平家の世から源氏の世に移っていた。
その昔平家の時代、流人だった頼朝と娘の八重姫の間に子がいることを知った工藤祐親が、平家を恐れて二人を別れさせ、その子供をす巻きにして川に沈めてしまったことがある。そのことを恨んでいる頼朝は工藤祐親を処刑した。
その頃、平家に関係したものはお腹の子供まで殺された。兄弟も平家側の人間として処刑されるところ、曽我祐信の嘆願で処刑を免(まぬが)れた。
石橋山の戦いで命を懸けて頼朝様をお助けした恩賞で得た駿河国八群の大介の任をご辞退して、二人の命を助けてくれたのだ。貧乏にはなったけれど、それでも祐信は二人が助かったことを、本当に喜んでくれた。
 
万劫御前は兄弟を救ってくれた曽我祐信にいたく感銘した。
「子供たちが助かって本当に良かった。祐泰が亡くなった時は、悲しみのあまり 一万には辛いことを言ってしまった。
まだ一万が五歳の時のこと。もう仇討ちのことは忘れているだろう。これからは貧しくとも、平穏にこの曽我で親子幸せに暮らしていきたいものよ」

しかし、歳月は幼な児の心にともった仇討ちの炎を消すことはなかった。


参考文献 小学館「曽我物語」新編日本古典文学全集53

次回へ続く


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