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生まれったぽい町③

 かつて住んでいた家に近いバス停で降りて、僕がまず感じたのは、思ったよりも斜めだなということだった。

 つつじが丘はその名の通り丘陵の町だ。かすかな記憶では坂がとても多く、雪が降るととても危なかった。

 だが、こうして訪れた故郷は坂が多いという感じではなかった。なんというか、斜面に町が乗っているようだ。坂が多いのでなく、坂なのだ。午後の太陽も手伝い、わずか数メートル道を上るだけで、僕は汗まみれになってしまった。

 我が家があった場所は、ハワイアンスタジオという予想外の施設ができていた。家屋の一部をスタジオとして利用しているらしかったが、建物自体もどうやら建て替えた様子。だから、何の懐かしさもない。

 でも、もし当時の家が残っていたとしても何の感慨もないかもしれなかった。さすがに当時から変わっていない道や家だって周りにはあるはずなのに、僕にはピンと来ないのだ。二十七年という歳月は「美味しんぼ」に出てくる料理人「岡星」の、下の名前と妻の名前と弟の名前と弟の妻の名前と、彼らが初登場するエピソードをすべて覚えているくらい記憶力のいい僕の頭から、当時の思い出を奪ってしまうほどに長かったのだ。

 むしろ、「美味しんぼ」の情報の分、押し出されるように抜け落ちたような気もちょっとしてきた。

 僕は最後に、自分が通っていた幼稚園を見て帰ることにした。幼稚園は坂をのぼったところにある小学校(こちらは姉が通っていた)の、さらに坂をのぼったところにある。

 きつかった。

 日差しの強い中を、歩くというより坂をのぼる状態なのがしんどかった。徒歩通園だったから、当時の僕はこの道を毎日のぼっていたはず。

 これも後から聞いた話だけれど、まだ幼稚園に入る前、僕は外に出かけた姉を追って家を飛び出し、迷子になったことがあるらしい。迷子の僕は小学校よりも幼稚園よりも先の、つまり、ものすごく坂をのぼったところの道で発見されたという。とても信じられない。四捨五入したら〇歳の子供に、よくもそんな重労働ができたものだ。どんだけアグレッシブだ幼年期セパ。今はできる限り屋内から出たくない。

 そんなことを考えながら、思っていた五倍くらいの広さがある小学校のそばの坂道をのぼっている時、わけもなく涙が出た。

 理由はわからない。何か懐かしいものを見たわけではない。あたりには相変わらず、初めて見るような町が広がるばかり。それなのに、不意に感極まった。

 これは想像で何の根拠もないけれど、家を飛び出して帰る道もわからなかった、今の半分くらいの背の僕が、同じ道を歩いたのかもしれなかった。記憶にはないけれど、体のどこかで覚えていて勝手に当時の不安が蘇ったのではないか。
 
 二歳の僕にはさぞかし孤独な旅だったろう。涙が出るのも無理はない。でも、今の僕にはその記憶がないことの方が悲しく、寂しかった。