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SFC「テトリス武闘外伝」

 スーパーファミコンで発売されていた「テトリス武闘外伝」というゲームソフトを遊んでみたかった。「武闘」と書いて「バトル」と読む。

 そもそも何で知ったんだっけ。たしか「TVチャンピオン」か何か、ゲーム好きを決める大会みたいな番組で、ほんの一瞬取り上げられていた。

 テトリスといったら、任意で崩せる賽の河原みたいな印象だった。よっぽど暇でない限りはそんな地獄の苦行みたいなものはやる気が起きない。

 ところが、テレビでちらっと見かけた「テトリス武闘外伝」は何やらポップで楽しそうだった。テトリスなのに可愛らしいキャラクターをプレイヤーとして選択でき、パズルゲームなのに必殺技が使える。テトリスを地獄の苦行とか言いながらも、落ちもの系のパズルが好きだった僕は、この異質なゲームに心惹かれた。

 本屋さんにたまたま攻略本があって買った。その頃、僕は欲しいゲームがあると攻略本をまず買った。なぜならゲームそのものは高くて、お小遣いではやすやすとは買えなかったからだ。ゲームができない分、暇さえあれば攻略本を何度も読み返していたので、いざゲームで遊べるようになった時には何もかもネタバレしていたことも多々ある。

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 攻略本には登場キャラクターのプロフィールや技の紹介、対戦でのテクニック、設定資料、スタッフへのインタビューなどが載っていた。著名人によるテトリスの思い出なんて記事もあった。漫画家の室山まゆみ先生が写真つきでコメントしている。僕は「あさりちゃん」の単行本を持っていた姉よりも、室山まゆみ先生の顔をよく知っていたに違いない。

 本を何度も読み返し、ラスボスの正体や隠しキャラを出すコマンドまで覚えた僕はいよいよ欲しくなり、お小遣いを溜めて線路の向こうのゲーム屋さんまで自転車を飛ばした。

 置いてなかった。

 そりゃそうだ。メジャーなタイトルじゃない。しかし、かえってそのレア感に惹かれた僕は初めて店頭でゲームの注文をした。ゲームどころか「メーカーに商品を注文」なんてことをしたのは初めてかもしれない。当然、定価の新品になるから子供の財布には厳しかったが、それでも欲しいという情熱は消えなかった。数日後、晴れて手に入れたそれは緑の箱に金色のタイトルロゴがでかでかと据えられており、地味な白いカバーの攻略本よりもずっと華やかで、いたく感動した。

 その後、あまり長くは遊ばなかった。

 つまらなかったわけではない。ストーリーがネタバレしていようと、パズルゲームだからそんなに重要じゃない。消したクリスタルを消費して技を使うシステムは斬新だし、ゲーム中に流れる音楽もキャッチーで、遊んでいて心地よいものだった。

 問題はこれが「対戦に特化したテトリス」であることだった。対戦に特化している以上、人と遊ぶのが最も楽しいはず。しかし、他にも「マリオカート」やら「桃鉄」やら「ボンバーマン」やら、わかりやすく面白いゲームが我が家にあるというのに、わざわざこれで遊びたがる友達は居ない。いくらポップでも基本は単調な「テトリス」で、そもそも好きじゃないとあまり楽しめない。

 一番まずかったのはこのゲームを持っているのが自分だけということだった。普段からプレイしているのは僕だけだから、当然僕が一番上手い。対戦すれば大抵勝ってしまうから、友達は面白くないのだ。みんなが持っているゲームなら次までに自分の家で練習しようという気にもなるけれど、そうはいかない。友達からすれば「タクロウの家に行くとタクロウが勝つだけのゲームをやらされる」始末なのだ。遊びたいはずがない。

 かくして「テトリス武闘外伝」は、たまに一人でふと遊んでみては強すぎるCPUにボコボコにされてそっと電源を切る、というゲームと化してしまった。攻略本を読みながら、まだ知らぬBGMに思いを馳せていた頃が最も幸せだったのかもしれない。

 それから数年後、キーホルダーサイズのちっちゃいテトリスが流行した。簡素なモノクロの液晶で、小さいから見にくいし操作もしにくい。画面にはテトリスのブロックとせいぜいスコアくらいしか表示されておらず、ひたすら消しては落下スピードが上がっていくだけのシンプルすぎる仕様だった。音もチープなビープ音。

 それなのに、むやみやたらと流行っていた。普段ゲームをしない人も遊んでいた。男子はともかく女子までもが休み時間に教室できゃっきゃ言いながら地獄の苦行に勤しんでいた。

 あんなにポップな武闘外伝には、見向きもしなかったのにな。

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