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生まれたっぽい町②

 人生で初めて見に行った映画は「魔女の宅急便」のはずだ。

 はず、というのは、その時の記憶はおぼろげで、見に行ったという事実を後から親に聞いて補完したにすぎないからだ。

 もっとも、映画自体は何度も見ている。映画のシーンの静止画をコマ割りで並べて、フキダシと擬音をつけて漫画風にしたフィルムコミックを子供の頃に読みまくっていたから、だいたいの台詞もわかる。

 あと「美味しんぼ」の富井副部長が当初は満州出身の設定だったことや、父親が作ってくれた代用ガムを山岡が再現してくれたおかげで仲の悪い弟と仲直りできたことも覚えているけれど、たぶん今必要な情報ではない。

 僕が「魔女の宅急便」を見たのは映画館ではなく、名張の公民館だった。当時は公民館などの公共施設で映画上映がよく行われていたのだ。

 調べてみると、今は市民センターという名前に変わっている。地図で見れば駅前から歩いていける距離。僕は七月の照りつける太陽の下、かつて母親に連れられて歩いたであろう道を進んだ。

 知らない銅像がある。

 公民館改め市民センターの前には、誰だかわからないけれど銅像になるんだからたぶん偉い人なのだと思われる人の銅像(二体だったので正確には人たち)があった。しかし、饅頭の店と同じく、これも当時からあったのかわからない。

 建物の中にも一応入ってみたが同じだった。備品の台車や注意書きの張り紙にはマジックで「名張公民館」と書かれていたから、かつて公民館だった建物なのは間違いない。でも、わくわくしながら上映を待ったあの日の思い出が蘇ったりはしないのだった。

 まずい。

 思ったより何も起きねェ。

 しかし、考えてみれば魔女宅を見に公民館を訪れたのは一度だけ。そこまで思い出深い場所でもない。思いだせなくて当たり前だろう。

 きっと、住んでいた家のそばならば……。そこに行けば間違いなく、劇的な記憶の復活があるに違いない。続いて僕は、かつて住んでいた家のある「つつじが丘」という地名の町に向かうことにした。

 つつじが丘は、公民館のある地区とは線路を挟んで逆側にある。僕は駅の方へ歩いて戻る途中で、かつて母親に連れられてよく行ったジャスコ(今はイオン)に寄ったが、ここでも何も思いだせなかった。ATMコーナーで見かけた「百五銀行」という地銀の名前だけは懐かしかったものの、これは「記憶としての記憶」にすぎない。

 つつじが丘へ向かう方の名張駅の出口は、明らかに新しい洒落た三角屋根の駅舎と、併設のコンビニ、そして、今初めて名張とゆかりがあることを知った江戸川乱歩の像があった。つつじが丘へはバスで向かうのだが、駅前のバス停は整備された綺麗なロータリーであり、これも二十七年前にはないものと思われた。ここはそもそも見たことがなさそうだから何の記憶もなくて無理はない、と僕は自分を納得させた。

 目指すはかつて住んでいた家の周辺と、通っていた幼稚園。バスに乗った僕は「魔女の宅急便」のエンディングテーマである「やさしさに包まれたなら」をイヤフォンで聴きながら、神様がいて不思議な夢を叶えてくれていた頃の町を目指した。

 ちなみに、この曲をカラオケで選ぶときに間違ってシングルバージョンを入れると、映画のバージョンよりだいぶ遅いテンポで聴きなれぬピアノのイントロが流れてくるので注意した方がいいけれど、たぶん今必要な情報ではない。

 バスに乗る時、地元の人たちは全員、交通系の電子マネーで運賃を払っていた。かなりお年を召したご婦人でさえ、当たり前のごとく「ピッ」とやっている。わざわざ整理券を取ってバスに乗ったのは僕一人だけ。自分が一番の田舎者のようだ。

 当たり前だけれど、この町にも二十七年の歳月が流れている。勝手になんとなく、時が止まった場所に帰ってきたような気でいた僕は愚かだった。