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生まれたっぽい町①

 角田光代さんの「八日目の蝉」という小説に、印象的な場面がある。幼少時代を関西で過ごした女性が、大人になってかつて住んだ町を訪れると、自分でもすっかり忘れていた地元の言葉を、おもむろにしゃべってしまうという場面だ。感動的ではあるのだが、僕はこのくだりを読んだ時にこうも思った。

 本当にそんなことあんの?

 別に本当である必要はないのだが、単純にそんな疑問が浮かんだ。そんなことあるわけないでしょうという冷めた目線ではなく、そんな奇跡が起こるなら素敵だなあという、希望からの疑問だ。

 僕は似たような境遇がある。

 といっても、さすがに「八日目の蝉」みたいなハードな生い立ち(赤ん坊の時に誘拐犯の女にさらわれて数年育てられたのちに、元の親に帰される)ではない。生みも育ても同じ親で、今のところ誘拐はされていない。

 生まれは埼玉で今も埼玉に住んでいるが、父親の仕事の都合で一歳の春から六歳の春まで三重県の名張市で過ごした。だから、物心ついた時には三重にいて、最も古い記憶も三重。感覚的には三重生まれなのだ。三重から埼玉に引っ越した当初は、言葉遣いが変だと周囲にからかわれた記憶がある。しかし、今はいたっておもしろみのない共通語を話している。

 これは言葉の面だけで見れば「八日目の蝉」の状況に近い。ということは、当時住んでいた町を訪ねれば、僕も関西弁(三重弁?)が蘇ったりするのだろうか。

 二〇一八年の夏。検証のため、僕は実に二十七年ぶりに名張を訪れた。

 本当は、三重でaikoのライブを見たついでに、せっかくだからちょっと寄ってみようかな、と思っただけだったりは、しなくもない。


 僕は記憶力が良い。例えば、当時住んでいた家の住所や電話番号をいまだにそらんじることができる。他にも、五十巻くらいまでの「美味しんぼ」なら巻数を言われたらその巻の副題を即座に言える。就活には役立たない特技。

 通っていた幼稚園や友達の名前、家のすぐ前にあったバス停のことなども覚えている。しかし、時が過ぎるにつれて、それらは次第に単なる「記憶としての記憶」になってしまった。なんというか、本当に当時のことを思いだしているというより、思い出を閉まってある引き出しの、表に貼ったラベルの名前だけを覚えているような感覚だ。肝心の中身は、鍵がかかってしまい開けられない。

 ひょっとしたら現地に行けば、引き出しの鍵が見つかるかもしれない。おもむろに三重の言葉をしゃべってしまうような、劇的な出来事があるかもしれない。僕は期待と、少し緊張を覚えながら近鉄の特急に揺られ、名張の駅に降りたった。

 まったく見覚えがなかった。

 駅舎が新しい様子だから、建てかわっていたりするのかもしれない。だが、そういう問題ではない気がする。どう見ても初めて訪れる土地だ。

 焦った。降りる駅を間違えたのだろうか。周りを見ると「なばり饅頭」という看板を掲げた土産物屋がある。間違いなく名張だ。でも、この店が昔からあったのかどうかさえもわからない。「こんな店あったっけ?」とすら思えないのだ。もっと広く全体的に「あったっけ?」なのだ。思い出の断片もない。

 とはいえ、よくよく考えてみれば住んでいたのは六歳までのセパ(当時は大人になってそんな名前になると思っていない)だ。電車に乗る機会なんてほとんどない。駅前に記憶がないのは当たり前だ。

 僕は、確実に訪れた経験のある場所へ行ってみることにした。