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Jリーグへの幻想

 スポーツクラブ(フットボールクラブ)は何のために存在するのでしょう?

 「スポーツクラブ(フットボールクラブ)がスポーツ(フットボール)を通じて、豊かな社会を形成するため」に他なりません。フットボールクラブの目的は、勝ち続けることでも、Jリーグに加盟するためでも有りません。

 私が居住している東京都町田市を例にとると、「FC町田ゼルビア」は、「町田市民」にフットボールを通じて、豊かな社会を形成するための「手段」「装置」として、存在しています。FC町田ゼルビアのオーナーである藤田晋氏が示したような2021年のJ1昇格や、2025年にACLで優勝すること(2019年10月11日、サポーターミーティング)が、サッカークラブの目的ではありません。

 ITが進み、AI化が加速していくこの社会で、人と人との繋がりをより濃密に実現できる装置が「スポーツ」、「フットボール」です。

 J1昇格やACLで優勝しなければ、FC町田ゼルビアは「目的」を達成できないのでしょうか。そんなことはありません。世界には何千、何万のフットボールクラブがあります。その一つ一つが「おらが街」を代表するフットボールクラブであり、その全てがトップリーグを目指す必要は、一切ありません。

 フットボールクラブには規模の大小こそあれ、その地域の人々にいかに愛され、必要とされ、そして支えられているかというのが、一番大切なことであり、それがJリーグ加盟やJ1昇格、ACL優勝でしか達成されないようなクラブは、本末転倒です。

 2014年から岡田武史さんがオーナーを務めるFC今治を見てみましょう。

 FC今治の企業理念は、「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」とあり、「2025年に目指す姿」として、

・OKADA METHODを用いた今治全体での長期一貫指導により日本一質の高いピラミッド(今治モデル)が構築されている
・トップチームは常時J1で優勝争いをすると共にACL優勝を狙う

とあります。ですが、併記として、

・地域の人たちに愛され、常に満員のサポーターに応援される
・今治モデルから毎年トップ選手が輩出される

とあり、クラブとして本当に大切なことが記されています。

 岡田さんは約15万人の都市・今治に、ゼロからスタジアム、クラブハウスを作り、「今治」を拠点にしたフットボールクラブを作りました。

 私が言いたいのは、まず「拠点」がないと始まらないということ。そして「育てる」ことが重要であるということです。

 本題に戻りましょう。

 このブログのタイトルを「Jリーグへの幻想」としましたが、「誰が」抱いている幻想なのでしょうか?

 それは、多くのJリーグを目指すクラブが抱いている「幻想」です。

 それらの多くは「拠点」がありません。練習場もなければ、勿論スタジアムもありません。それでも「〇〇からJリーグを目指す」と声高に訴えます。練習場やスタジアムは当然のことながら後付けです(勿論、そうでないクラブも有ります)。

 これが、本当の「クラブの形」なのでしょうか?

 スポーツ発祥の地であるヨーロッパでは、下部組織がないクラブはありません。何故ならそこに住む人々が必要に応じて作ったのがスポーツクラブであり、「プロリーグ加入を目指すために」つくったクラブではないからです。

 私は2018年、ロンドンに2週間滞在している間、ロンドン近郊の5~8部相当(日本でいう地域リーグ、都道府県リーグ相当)のクラブの「スタジアム」を視察しました。

 そうです。イングランドでは5、6部のクラブでも「拠点」があるのです。

 日本でいう5部の「ナショナルリーグ」に所属するBromley FC、6部の「ナショナルリーグ・サウス」に所属するSlough Town FC、7部の「イスミアンリーグ・プレミアDiv.」に所属するCarshalton Athletic FC、8部の「イスミアンリーグDiv.1・サウスセントラル」に所属するBracknell Town FCのスタジアムなど付帯設備を見てみましょう。

 いかがでしょうか。どのスタジアムへ行っても、クラブハウスが有り、パブがあり、何よりも必ず観客席が有ります。グッズショップや、子供たち向けの遊具が置いてあるクラブすら有ります。

 これがイングランドの5~8部のクラブです。日本の地域リーグ、都道府県リーグのクラブとは比較できないくらいの差が有ります。比べようがありません。これこそが「フットボール文化」ではないでしょうか。

 クラブの「拠点」なくして、クラブの「存在」は有りません。「ホームスタジアムは有りません、練習場も有りません、勿論クラブハウスなんて言うまでもない。しかし、Jリーグを目指します」では、話が逆なのです。

 そういうクラブはまずトップチームを強化して、一つでも上のカテゴリーに昇格しようと躍起になります。「フットボールクラブ」がそもそも何のためにあるのかという意味も考えずに。

 しかし、日本では、下部組織が無い(あっても、それはあくまでもJリーグに加盟するために下部組織が必要だからという理由であり、トップチームより下部組織に、ヒト・モノ・カネを注力する事はありません)、練習グラウンドが無い、スタジアムが無いのは「常識」であり、Jリーグを目指しているクラブにとっても「常識」です。

 繰り返しますが、本当のフットボールクラブとはどういうものでしょうか?

 街があり、フィールドがあり、その近くに住む子供から大人まで、全ての人々がフットボールを楽しむ場所、フットボールを通じて人生を豊かにする場所。それこそがフットボールクラブであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

 今の日本では、練習場が無く、スタジアムが無くても、近隣の学校や、行政が所有するグラウンド、競技場を借りて精力的に活動しているクラブはたくさん有ります。そのクラブを運営している関係者には、その情熱に本当に頭が下がります。

 しかし、「Jリーグを目指す」ということであれば、話は別です。「Jリーグを目指す」ということは、スタジアム、練習場、クラブハウスなどを整備するということです。

 それは、誰の「お金」ですか?全て自前でやりますというのなら、話は別です。お好きにどうぞ。

 しかし、「税金」が投入されるということであれば、話は別です。スタジアムや練習場、クラブハウスを整備するのに地域住民の税金が使われるということに、そこに住んでいる人たちの合意を得ていますか?それを踏まえた上での、「Jリーグ昇格」なのでしょうか?

 方法論が全く逆なのです。本当にJリーグに入るようなクラブを目指すのであれば、

① 拠点となる地域で全世代が楽しめ、プレイできる、集まれる場所、環境を作る
② そのクラブで、優秀なフットボール選手を育成する
③ クラブで育った選手が活躍し、クラブが好成績を収める

 このサイクルで一つ一つ煉瓦を積み上げることが重要であり、Jリーグに昇格する、しないはさして重要な事ではありません。

 何年かかろうが、上記のような流れで、クラブがその地域にとって無くてはならない物、必要とされる物に成る事が、本来のクラブの形ではないでしょうか?それでこそ、地域住民の理解を得ることができ、ひいては行政の支援を受けることができると思います。それを強引に進めようとしても、「種」を蒔かない限り、「花」は咲きません。仮に「Jリーグ昇格」という花が咲いたとしても、それは「造花」でしかありません。

 プロスポーツクラブは「公共財」と言われます。「公共財」になるためには、地域の人たちに愛され、必要とされ、支えられなければなりません。実現するためには、長い年月をかけて、地道に育てていく以外、方法はありません。

 上ばかりみて、Jリーグを目指してきたクラブが多いので、今のJ2、J3のクラブの中には、中身が伴っていないクラブがあまりに多いと感じます。

 その一例が、選手の「使い捨て」です。高卒、大卒の選手を獲得しては、1~2年で解雇します。「プロの世界」だからしょうがないのでしょうか?

 高校・ユース、大学まで真剣にプロを目指してフットボールを10年以上続けてきた選手が、J1のクラブに入団できず、仕方なく自分を獲得してくれるJ2、J3のクラブへ行く。そこでの給料は、とてもプロと呼べるような給料ではありません。解雇された後、1年でも「J」が付くクラブにいたという「実績」で、地域リーグや都道府県リーグのクラブに入団する。そこでサッカーを続けていく事が、本当にその選手にとって幸せなのでしょうか?

 「プロ」になれるか、なれないかが成功の基準ではなく、普通に働きながら、普通にフットボールを楽しむという環境が、今の日本にはもっともっと必要です。「プロ」になることだけが、人生の成功ではないということを、大人たちがもっとキチンと教えるべきです。

 各カテゴリーで代表や地域選抜に選ばれるような選手以外は、プロではなく、高校生は他の学生同様、大学へと進学し、大学生は普通に企業へ就職すべきなのです。

 仮に、大学を卒業して、J2のクラブに入団できたとしましょう。5年間現役を続けた(5年でもJリーガーの平均選手寿命としては長いほうです)として、プロとしてどれほど稼げるというのでしょう。大卒で普通に企業へ就職した人とは、生涯年収でどれだけ差がつくのでしょう。年収が全てとは言いませんが、冷静に考えれば分かることです。

 ここで重要なのは、就職しながらも、サッカーは続けられる環境があるということです。つまり、地元のクラブで好きなフットボールを続けられる環境がある、そういうクラブが日本各地にあるということが重要なのです。

 日本の地域リーグ、都道府県リーグのクラブに、ヨーロッパのように「拠点」を持つクラブが一つでも増えることこそ、将来この国に「フットボール文化」が根付くかどうかの物差しとなります。

 決してJクラブが増えること、プロサッカー選手が増えることが、その基準では有りません。いかに下部リーグでプレイする選手たちが、幸せにボールを蹴れるかどうかが、重要なのです。

 そうした環境下でも、実力のある選手は上のリーグへ「昇格」できます。プレミアリーグ・レスター所属のジェイミー・ヴァーディ、そして2019年のJ1優勝クラブ、横浜F・マリノスのGK、朴一圭のように。

 では、100年以上の歴史を持ち、すでにスタジアムやクラブハウスがあるイングランドをはじめとするヨーロッパの各都市と違って、スタジアムも無い、グラウンドも無いという日本で、どうすれば、そういうクラブ、環境を整えることができるのでしょう。

 時代に逆行していると言われるかも知れませんが、その一つの方法は「企業クラブ」です。

 元々、クラブとは閉鎖的なのものです。同じアイデンティティを持つ人たちや、地域や学校などの拠点を元に、何らかの共通要素を持ち合わせた人たちが集まって作られるのがクラブではないでしょうか。企業は、「そこで働く」という非常に結束しやすい要素を持ち、企業が福利厚生として所有しているグラウンドなどを地域住民に開放して、地域住民と共に歩んでいくのであれば、すぐにでも、素晴らしいスポーツクラブを立ち上げることができます。

 企業が持つグラウンドや練習場を改修し、クラブハウスや観客席を整備することは、日本各地で可能かも知れません。例えば、東芝府中事業所内にあるグラウンドを何度か訪れたことがありますが、もしその敷地内に小規模でもスタジアムやクラブハウスが有り、地域住民も自由に出入りできる環境があれば、理想のクラブとなることができます。アクセスも武蔵野線・北府中駅に直結しており、言うことはありません。

 スタジアムといってもJリーグのスタンダードに合わせる必要は一切有りません。前述のイングランドのクラブ同様、1,000人規模でも十分でしょう。何よりも、スタジアム内に、気軽に人が集える場所を整備することのほうが重要です。

 企業クラブは日本独特の素晴らしい制度だと思います。選手は社員として、引退後の生活も保障され、選手も安心して区切りをつけて第二の人生を歩めます。これほど優れた制度をみすみす見逃す手はありません。企業スポーツは景気に左右されると言われますが、それは「企業」なので当然のことです。なので、前述したとおり、立派なスタジアムなどは必要ありません。身の丈にあった投資で十分です。

 日本各地で、地域に根差した企業と住民が手を取り合い、地域住民が気軽に利用できるスポーツクラブを設立すれば、いまのJ2、J3のクラブよりも、もっともっと地域社会に貢献できるクラブが増えるでしょう。

 そういった意味では、Jリーグが企業クラブを排除しているのが疑問でなりません。J1はしょうがないとしても、J2、J3では企業クラブを容認すべきでしょう。Jリーグも企業名という「足枷」に捉われることなく、ブンデスリーガの「バイエル・レバークーゼン」のように企業名を容認するべきです。

 個人的に「名古屋グランパス」は「トヨタ名古屋」、「横浜F・マリノス」は「日産横浜」でも違和感はありません(あくまでも個人の感想です)。

 もう一つの可能性として、廃校となった学校です。これはすでに実績が有ります。水戸ホーリーホックのクラブハウス、練習場がある城里町七会町民センター「アツマーレ」です。

 しかし、写真で確認すると、残念ながら、観客席が有りません。何故、プロクラブの練習場なのに観客席がないのでしょう。「プロ」は見せる、見られることが前提ではないのでしょうか。1,000人規模でも屋根付きの観客席を作り、地域の人々がプロの練習や下部組織の公式戦などを気軽に観戦できるようにすべきです。

 話を戻すと、廃校になった学校だけとは限りません。現在、生徒が通っている学校でも、これから少子高齢化が進み、生徒数は目減りしていきます。それによって、空き教室も増加するでしょう。中学校、高校では部活動も有り、難しいと思われますが、小学校を拠点にすることは可能ではないでしょうか。

 空き教室をクラブハウス、カフェ、ジムなどに改修し、グラウンドも土から人工芝へ、そして簡易的な観客席も設置すれば、学校にとってもプラスになるはずです。子供たちに対するセキュリティが気になるのであれば、完全会員制にし、出入口にはICカードを設置するなどの対策を施せば、可能なはずです。

 何よりも、地域住民と子供たちが触れ合う場所、親以外の大人から様々な刺激や教育を受けることができます。これこそ、地域コミュニティの復活につながることだと思います。

 今、日本に必要なのは、「Jクラブ」ではありません。イングランドのように5~8部のクラブでも、「拠点」の近くに住む全ての人たちが気軽に楽しめ、利用できるスポーツクラブ、フットボールクラブこそが必要なのです。

 フットボールクラブに関わる人たちが、このことを理解せず、地道に種を蒔いて育てることから始めなければ、いつまで経ってもこの国に「スポーツ(フットボール)文化」が根付くことはなく、「幻想」を追い求めることになるでしょう。(了)

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