ざらつく11月
このレポートについて
これは、私の妹、入院その記録です。2019年に入って何度か自殺未遂をし、今回精神科に入院しました。彼女は現在、休養しながらこの先をどうしていくか考えています。(2020年現在、休学を決め、いきいきと過ごしています。)
全部無料で読めるけど、頑張って書いたから100円くれたら嬉しいです。
内容としては
・時系列を追って入院〜退院までの記録
・お役立ちかも情報(精神科の病棟ってこんな感じ・警察沙汰ってこんな感じ・入院になったらやること)
・家族目線のレポート
です。
先に結論を書くと、
・身近に精神的に参っている人がいるがどうしたらいいかわからない
・家族を介護しているがしんどい気持ちがある
このような気持ちが少しでもある方は、間違いなく、勇気を出して「公」に頼って大丈夫です!(そのための税金じゃないか!)
精神科の初診まで1ヶ月待ち、普通にあります。こんなことになるとは思わず、我々は病院探しに挫けました。後悔しています。病院探しは骨が折れますが手伝ってくれるところはたくさんあります。まずはお住まいの保健所に電話📞で大丈夫です!←デンワでてくれた保健師さんめっちゃ優しかった
第三者にどうか頼ってください。大丈夫です。
悲しいことが起きないよう願っています。
プロローグ
町の家は、父と長女(私)・妹(入院した人)・末妹の4人家族。母は10年以上前に他界。父は6月に心筋梗塞で倒れしばらく入院した。
把握している最初の自殺未遂は3月。そのあとも何度かあった(本人の希望で家族には言わず私しか知らなかった。)。6月に実家でそれをしたときに、家族会議がはじめて行われ地元の精神科に通い始める。しかしアクセスと、先生との相性の問題で、通うのを中断していた。その時のことについてはブログにあるのでよかったら読んでください。
11/5 (火)
23時に妹から電話がかかってきたが、切れる。直後に「ねてる?」とラインがきた。かけなおしたらすぐ出た。苦しそうな呼吸が聞こえ「またやったな」とわかった。
「どうした?大丈夫?」
「…マチちゃんと話したかっただけ…」
「そっか。深呼吸して、お水飲んで、落ち着きな」
「…」
咳き込む声と、荒い呼吸の音が聞こえて、そのあと
「…また失敗した。薬いっぱい飲んだんだけど、吐いちゃった…気持ち悪い…」
"オーバードーズ"というやつだ。言葉だけは聞いたことがあった。身近で経験したことがない。吐く音が聞こえてきて、まずそうだと思いすぐ調べた。
「とにかく全部吐いて、水飲んで」
「水もう飲めない無理…トイレ行く」
「これURL送るから、それもみて」
「むりむりむりむり」
その間にもずっと泣く声、吐いてる音が聞こえてくる。どうしよう。救急車ってどのタイミングで呼べばいいの?震える手で調べている間にも、状態が好転する気配はない。だんだん意識が朦朧としてきたのか
「ほんとに、マジで無理かもしれない」
と言われたので「救急車呼ぶからね」その電話を繋いだまま、社用ケータイで119を押した。初めて呼んだ。
「火事ですか救急ですか」
「救急です」
「住所を教えてください」
………
私が現地にいないことを伝えると、来れるか聞かれた。時間は23時半。終電はまだあるだろうと思い、「行きます」と伝えた。上着を着て財布とケータイだけ持ち、電話を繋ぎっぱなしの妹に話しかけ続ける。
「なんか電話かかってきた…」
「それ救急隊の人だから出てね、一旦切るからね、今から行くから」
「…うん」
電話を切った。駅に向かっていると私のケータイに隊員から電話。無事に家着いたので、搬送先決まったら連絡すると言われた。
マジの終電。上り列車、数少ない乗客はほとんどが酔っ払い。前にこんなことがあったときは電車でずっと泣いてた。今回は涙が出なかった。ソワソワして落ち着かず、立ってドアにずっと寄りかかっていた。「落ち着かなさ」と「冷静」は同居する。明日出社できない旨を上司や同期に連絡した。お父さんにも末妹にも、ルムメ(元ルームメイトのマブダチ)にも、🐘ちゃん(付き合ってる人)にも連絡した。
3、40分後に電話があった。
「妹さん、お薬を大量に飲んでいて緊急性が高かったので◯◯医療センターに搬送しました。最寄りは◯◯駅です。」
震える手で携帯のメモに残す。駅についてすぐタクシーに乗った。980円の距離が永遠に感じられた。(最近のタクシーは電車のようにモニターがついているのだな、あ、スイカ使えるんだ〜へ〜)などとスイカの残高を確認していたら着いた。そのスイカで払おうとしたら「ちょっと時間かかるから現金がいいんですけど…」と言われ、「すみません一万しかないんですけど…」と現金で払った。まさか運転手さんも1万が来るとは思わなかっただろうな。ごめんな。
「さっき家族が救急車で運ばれて」
「ERにいると思います、ここをまっすぐ行って………
ERの病棟に行き、処置室前のインターホンで名乗ると、処置中だから待合室で待つよう言われた。
とにかく座ろう。待合室に入ると男の人が2人いた。この人たちも家族とかが運ばれたのか…大変だな…と思っていると
「◯◯さんのご家族ですか?」
話しかけられた。あまりに怪訝な顔をしていたのか警察手帳をみせてくれて「生活安全課の◯◯です」と名乗ってくれた。
あ、そうか、自殺って警察沙汰か。ドラマでよく自殺を警察が止めに入ってるもんなぁ、と妙に冷静になった。警察の人は「自他に害を及ぼさないか確かめたい。」ということだったが、「自殺したくなってしまう人を助けたい」という気持ちも伝わってきた。どっちにしろ、事情聴取されることになった。
仕事でお客さんに聞くことと同じことをきかれた。全ての仕事はヒアリングから始まるんだな、とまた妙に冷静になった。家族構成、出身地、住所、学歴、どんな趣味、家族それぞれなにをしてるか。それから、様子が変わったのがいつからか。話している間、頭は冴えていてカラッカラだった。
「妹さんが今日入院できるなら僕たち帰ります。入院にならないのであれば、このまま帰すわけにはいかないので、保護させて頂かないといけないと思います。」
そう言って、23条という法令について丁寧に説明してくれた。
1.警察官通報の趣旨
法第23条に基づく警察官通報の規定は、他の申請・通報・届出と同様、当該通報に基づき、都道府県知事及び政令指定都市の長(以下「都道府県知事等」という。)が調査の上で措置診察の要否を判断し、必要があると認めるときには精神保健指定医(以下「指定医」という。)による措置診察を経て措置入院を行うことを通じて、精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれ(以下「自傷他害のおそれ」という。)のある精神障害者に対し、適時適切な医療及び保護を提供するためのものである。
法第23条 警察官は、職務を執行するに当たり、異常な挙動その他周囲の事情から判断して、精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められる者を発見したときは、直ちに、その旨を、最寄りの保健所長を経て都道府県知事に通報しなければならない。
ー措置入院の運用に関するガイドライン
要するに「コイツ1人にできねぇ」って判断されたら、通報⇨保護⇨入院という事だ。この23条通報による入院だと、入院する病院は「都内のどこか」になるらしい。それこそ都心から高尾までのどこか。そしてその警察の方曰く、強制入院になるため手足を縛り注射で眠らされるシーンを目の当たりにするからショックかもしれない、と。23条を使わないのであれば、ご家族で病院を探していただくしかない。と言われた。
非常に困った。来週父が地元で入院する予定だ。私はそっちにも一度いかなければならない。もしも高尾に連れてかれたら、通えない。この話を聞くまでは、処置が終わったら妹を実家に連れて帰ろうと思っていた。…でも待てよ、こいつ実家でも(未遂)やったことあるぞ。東京にいても地元に居ても同じことだ。
入院して治療しないとやばいのか、とその時やっと知った。
「致死量の薬を飲んだそうですから、これは明確な自殺行為です。そういう方を放っておく事はできないんです。
…もし入院にならないとしたら、ご家族は◯◯さんをどうするつもりですか」
そう聞かれて、答えようとした時。わっと涙が溢れてきた。
「わかんない」
というのが率直な気持ちだった。「生きていてほしいが、私たちの知識の範囲でしてあげられる事はもうなんもない。助けて」の涙。
もはや23条通報してもらうしかないかと考えていたちょうどその時、看護師さんがきた。
「まだ処置中なのですが、入院になると思うので、さきに書類お渡ししときますね」
と、いうことは、23条はひとまず免れた…。
お父さんからあと2時間で着くと連絡があった。すでに夜中の2時。わたしは父が来るまで、警察は医師に聴取できるまで待たなきゃいけなくて、3人でずっとしゃべっていた。たくさん相談窓口を教わった。警察にも窓口はあるし、市区町村の福祉課、保健所、そういうところにSOSをだせば必ず教えてくれるそうだ。必死にメモした。最終的には仕事の話、転職の話、恋バナまでした。こんな時でも好奇心が止まらなくて色々質問してしまった。
一時間後。
「ご家族の方…」と呼ばれ、部屋に入った。
重症そうな患者さんがカーテンで仕切られ、並んでいた。通路を進んでいくと、妹がいた。眠っている、いや眠らされているようだ。鼻にも口にも、腕にも首にもたくさんの管と機械が繋がれていて、肩と手首、足首を固定されていた。衝撃的だった。ほんとうにショックだった。直視する事はできなかった。
「2、3日は入院になります。手続きも明日お願いします。」
「先生とお話できるって伺ったんですけど…」
「今別の急患の対応しておりまして…明日ご説明させていただきますので、きょうは帰っていただいて大丈夫です。」
は、はぁ…少し拍子抜け。
「身につけていたものと、これは部屋から回収した薬ですので、持ち帰っていただけますか」
渡された薬の空箱や空き瓶を見て、びっくりした。こんなに、こんなに一度に飲んだのか。眠気覚まし用のカフェインの空箱が四つくらいと、風邪薬の空箱、空き瓶…。絶句。
一度待合室に戻り、警察の方にしばらくここで入院になること、医師はまだ時間がかかりそうと伝えると、「入院であればひとまずは安心できる」と言うことで、次の現場に向かって行った。
本当にありがたかった。警察の方に言われなければ入院を考えられなかった。きっと一期一会だけど、ずっと感謝するだろうなと思う。
お父さんが来るまでまだまだ時間があったので、院内のコンビニでノートとペンを買った。もちろん書き残すために。
11/6(水)
朝4時に父到着。「救急車で運ばれたから今から来てほしい」としか言っていなかった。心配して事故でも起こしたら大変だと思ったから。会って「自殺未遂が原因だ」と伝えたら、薄々わかっていたと言われた。そうだよね。
2人で処置室に入る。固定されて眠らされてる妹をみる。
「管がたくさんついているので絶対安静なんですが、覚醒や起き上がりが激しくて、体を固定させてもらってます」
と聞いた。処置をしてくれた先生の手が空いたので、話を聞くことになった。大黒様にそっくりな先生だった。
そこで初めて、彼女がなにをしたかを知ることができた。
「今娘さんの体は、100錠以上お薬を飲んだため急性薬物中毒になっています。一つはカフェイン、一つはアセトアミノフェン。カフェインは多量に取ると血圧や心拍数が上がって、ずっとマラソンしている状態になります。アセトアミノフェンっていうのは風邪薬に使われているもので、肝疾患を引き起こすことがあります。娘さんの場合、吐いたときに肺に入って、肺炎の懸念もあります。いま、胃の洗浄と、血の透析をして薬を抜いています。」
大黒様の淡々とした説明を聞いていると、なんだか他人のことのように思えた。てか、大黒様というよりバナナマンの日村みたいだな〜とボケェっと見ていた。
「我々は救命で、内科的なことしかできません。ウチにも精神科ありますから、今後のことはそこの医師と連携して決めてもらう形になります」
日村からの説明を聞き終え、父と一緒に妹の家に行った。外は暗かったが、6時をまわっていた。家の中は一体どんな状態なんだろう、怖かった。
玄関のドアを開けると、ケミカルな匂いがした。キッチンを抜け、部屋に踏み入る。いつものように散らかっているが二つ、異質なものを見つけた。一つは、どんぶりいっぱいの茶色と白と赤の錠剤。この皿に全部あけて、ザラザラと喉に流し込んだのだろうか。どんなに苦しかっただろうか。もう一つは、膝くらいの高さの脚立に、真っ白い縄が結びつけてあったこと。首吊ろうとして、やめたのだろうか。白さが眩しくて恐ろしかった。
どちらからともなく、無言で掃除をし始めた。ゴミを捨て、寝具をたたみ、洗濯機を回して干した。吐いたって言ってたからお風呂場が大変なことになってると思ったけど、お上品に洗面器に吐いてたわ、育ちがいいね。洗面器ごと捨てた。
あらかた片付け、8時頃に近所のスーパーに朝ごはんを買いに行った。全然眠ってないのに、目を瞑っても眠れなかった。カップ味噌汁を飲んだ。
9時頃病院に戻った。まだ鼻にも口にも管つけて眠らされていたが、「午後になったら口の管が外れますから、そしたらお話しできますよ」と言われた。
病院のカフェでお昼を食べることにした。おとんに先にお店に入っててもらい、会社に報告の電話をしに外に出た。現状を話し、休ませてもらう日を決めて、電話を切った。涙がぼたぼたでた。昨日から目がパンパンに腫れて痛くてしょうがない。昨日も今日も地続きで、ぼうっとしている。おとんと合流して、アイスティーを飲んで味のしないサンドイッチを食べた。
「どうしても抜けられない仕事があるから、今日の午後と明日はなんとかしてくれ」
と言われ、おとんは帰っていった。
おとんが帰ってすぐ、ルムメちゃんから「今から行くね」と連絡が来た。
「◯◯のこともマちゃんのことも気になりすぎて早退した。上司に言う時に泣いちゃって、びっくりされたよー」
と話してくれた。そうだ。ルムメちゃんもファミリーじゃん。ずっしりと愛を感じた。
14時頃にルムメちゃんと合流した。顔を見たらお互い泣き出してしまって、ドラマみたいに駆け寄って、抱き合って泣いた。
一緒に妹のところへ行くと、口の管も、拘束も取れていた。人の気配を感じたのか、目をぱちっと見開いて、ベッドの左右に立つ私たちをキョロキョロと見た。妹の大きな目から涙がつつーっとこぼれた。安心したのかな。頭も体も動かせないようだ。洗浄のせいか、喉が傷ついて声が出ないらしい。熱があるのか顔も真っ赤だった。本当にただ生きているだけ。赤ちゃん。「このまま植物状態になってしまうのかな」とよぎったが、それでも良いやと思えた。生きてたらそれでいい。彼女は「死ぬの失敗した、死にたかったのに死ねなかった、生かされてる」と思っているかもしれないけど、もう死ぬのを諦めてほしい。
一旦病室を出て、おやつを食べた。病院のカフェのソファ席に座って、やっと眠くなってきた。「寝な!」と言われてしばらく仮眠をとった。
夕方にまた病室に行った。ささやき声と筆談でやりとりをした。「明日バイト入ってるみたいだけど、電話しておこうか?」ときくと、筆談でこう返ってきた。
「バイト先うらぎりたくない」「インフルエンザはやってるから」「風邪って言って」
う〜ん。かなり悩んだ。この状態になってしまってはすぐに復帰できるとも思えない。ましてや前回と同じ理由だ。やっぱりクビになってしまうんじゃないかと不安だった。どっちにしろ判断するのはバイト先だし休みの連絡はしなければならない。意を決して電話をかけた。
すると。
「やめるかどうかは、保留にさせてください。私はここに着任して日も浅いですし、完全にコミュニケーションが取れているわけではありませんが、◯◯さんのこと待っているつもりです。」
と店長さんに言われた。拍子抜け。たじたじしてしまった。世の中ってもしかして優しいのかもと思った。人に恵まれている。
早く知らせなきゃと思い、病室に戻った。
「店長が待ってるって言ってたよ!いい人だね!!」
「なんて伝えたの?」あ。げっ。そういえば。
「インフルで一週間休ませてくださいって言った」
うそついた。ホッとしていたからいいか。あとでホントの事言おう。
「明日の10時以降に精神科の医師が診察してくれる」ときいた。明日の朝また来るね、と18時頃に帰ることにした。離れ難かったけど、疲れてもいたし。
課長から「最寄りまで行くよ」と連絡が来た。私の様子が気になるからと。ちなみに課長は女性。
もうすぐ最寄りに着くという電車の中で、🐘ちゃんからラインが来た。その通知を見たらほっとして、涙が出てきた。返事を返すと電話がかかってきた。電車の中だったし泣いてたけど、出た。彼の前であんなに泣いたことなかったとおもう。
「あ、電車だった?」
「(泣いてる)」
「泣きながら電話してたら周りの人もわかってくれるよ…笑」
声が聞けて本当に安心した。電車を降りてもしばらく話した。
「明日午後大丈夫だし、◯日は休みだし、◯日も休みだから、呼んでくれたら行くからさ」
「じゃあ明日たぶん呼んじゃうけど…」
「わかったよ笑 じゃあ休憩そろそろおわるから、またね」
「また連絡するね」
電話を切った。たしか今日は泊まり勤務で、この時間は貴重な休憩時間だったはず。彼のやさしい気持ちにまた涙がこみ上げてきた。落ち着いてたのに。ルムメちゃんになだめられた。
駅を出ると、課長と係長(どっちも女性ね)がいた。顔見たらまた泣いた。「これ食べなー」とルムメちゃんの分まで差し入れをくれた。「ほんとは私たちが行くようなことだったのに、行けなくてごめんね」と。そんなことないですって言った。来てくれなくてよかった。信頼してるし好きだけど、メーワクかけたくない存在だし、気を遣う存在だから。あの状態で気も遣ってたら今頃失神しとる。
2人が帰るのを見送ったあと、「いい上司だね」「そうなんだよね、でも、転職するんだけどねー」と笑った。
明日病院一緒に行ってほしいとルムメちゃんに頼んで、ルムメの家に泊まった。さっきの差し入れは杏仁豆腐だった。「めっちゃ美味しいけどカルディのパンダのやつの方が美味しいからこれは2位」という結論が出ました。
11/7(木)
早起きして電車に乗る。病院の最寄駅は二つあり、今日は、昨日とは別の駅から向かうことにした。そっちの方が乗り換えが少ないから。
駅に着いたはいいが、病院行きのバスがちょうど来ない時間だった。タクシーもいない。マップを見ると「徒歩30分か…」「まぁ歩けなくないよね」この選択が地獄を見ることになる。
空が真っ青で、日差しが暖かくて散歩日和だった。
「なんか不思議だよね。きのう◯◯が自殺未遂して、今も寝たきりで。私たち悲しいはずなのに、今は楽しいね」
「そうだね、おかしいね」
走ったり歩いたりずっと喋ってて、すごく楽しかった。この坂をのぼれば到着、というところで病院から電話がかかってきた。「あの…10時にいらっしゃるとのことでしたが…」時計を見ると10時半。「いやだって昨日、10時”以降”言うたやん!!!!!」とは言えないので平謝りして走った。坂駆け上がるのはとてもきつかった。
今日はだいぶ元気そうな妹。腕は動くようになったらしい。「ここまで歩いてきたんだよー、ばかだよねー」と話すと目を真ん丸にしていた。家から歩いてきたんじゃないよ。
精神科の先生がみえた。ルムメちゃんも同席させてもらえた。先生に、これまでの経緯を全部話した。入院をさせたいかどうかを聞かれた。警察の人にも言われたし、まよわず「一人にさせられないので、入院させたいです」とこたえた。
「私も入院した方が良いと思います。ただここは救急センターなので、転院する必要があります。今日は救急センターで入院できますが、明日転院できる先を…。こちらではA病院とB病院に電話かけてみますが、空いてるとは限らないので、ご家族の方でも探してくれますか?東京都の福祉保健局がやっているひまわりというところに電話して、今日明日で入院させられる先を探していると言えば教えてくれるはずです」
「ひまわり…?」
「子供の急な発熱、これから診てくれるところは?」
「休日やっているお医者さんは?」
「通勤途中に立ち寄れるお医者さんは?」こんな時、医療機関案内サービスひまわりが365日24時間ご案内しています。
いつでも気軽にお電話ください。
医療機関の所在地、電話番号、診療科目、診療曜日・時間などをご案内しています。
提供する情報は、東京都福祉保健局が都内の全医療機関を対象に収集しているものです。
-24時間医療機関案内 東京都福祉保健局
ほう。この時は正直、不信感が募ってしまった。だって看護師さんてクッソクソクソ忙しいじゃん。今まで少々お待ちくださいが少々だったためしがない。身勝手だとはわかるけど、ようするに自分らで探してねと言われたのだ。でも私たちのためだから仕方ない。絶対入院させないとまずいから。
一旦ロビーに出た。はあ、ちょっと休憩。もやもやする。すると、ルムメが切り出す。
「🐘ちゃん午後休みって言ってたよね。なんかさぁ、お茶でもすれば?」
「うん…さっきラインしてみたんだけど、返事が返ってこない」
「電話しちゃえ!」
待って、という前に通話ボタン押され、コール音が数回。出た。
「んん~~~」寝起きだ!?!?
「ごめん!寝てた?」
「うん…いま起きた…どうしたの…」
「今日さ、お茶しない?○○駅なら🐘の家から近いよね」
「うん…ねむい…」
「あの、ルムメちゃんもいるんだけど、いい?」
「…ルムメちゃんいるならおれいらないんじゃ…」
ルムメちゃんがしびれをきらし「嫌ならいいよ!!!!」と聞こえるように言うと
「わーーわかったわかった!!行くね!3時くらいになると思うけど大丈夫?」
「うん!!待ってるね」
会えるとなるとにっこり。元気が出た。よし、電話をかけまくろう。
まずひまわりに電話。至極事務的なオペレーターの人が病院を何軒か教えてくれた。
「ありがとうございます。この教えてくれた病院って、医療保護入院の対応もしていますか?」
「そう言ったことは私たちはわからないので病院に問い合わせてみてください。」
「あー…わかりました。」
「あ、たしか保健所が管轄してるので…ちょっと待ってくださいね」
市の保健所の番号を教えてくれた。なんだ、やさしい。電話を切って早々
「マちゃんってもしかして、電話下手くそ?」
事務をやってるルムメに言われた。うーん、図星。
「うん、電話ダメ…」
「言うこと書いてあげるからその通りに言いな」
情けないがルムメに台本をかいてもらい、次は保健所に電話をかけた。事情を話し、担当者の名前を控えることも忘れず、病院を複数軒教えてもらった。これでさっき病院側が電話してくれる予定の所と合わせて7軒。家や駅からの近さで順位をつけて、上からひたすら電話をかけた。
1軒目は「人が足りなくて受け入れられない」2軒目は「こちらの担当者からそちらの病院に問い合せてから折り返します」。なかなか難しい。「うーん…さっき先生が言ってた2つの病院、かけてくれたかなぁ?」「わかんない。かけちゃえ」条件的には一番よかったA病院の方にかけた。
「病院からの依頼じゃないと受け入れられないんです」
チーン。「つぎかけたらとりあえずお昼食べようよ。」「そうだね…。」4軒目「病院の担当の方からご連絡いただければ、ベッドは空いている状況です」きた!!!みつかった!!!
急いで病室に戻り、看護師さんに
「病院が見つかったので、先生に伝えてほし「あ、マチノさん!転院させてくれるところ見つかったので、急なんですが今から向かってくれますか」
さっきの精神科医が割り込んできて、そう言われた。ポカーン。
ていうか、めちゃくちゃ早。すげー対応早。さっきオラついてごめんなさい。
そこからはてんやわんやあれよあれよで退院し、タクシー捕まえA病院へ。🐘ちゃんはもうこっち方面に向かっているようだったので、A病院の最寄りに来てほしいとお願いした。来てくれた後のこと、何も考えてなかったけど、ドタキャンもしたくないなと思って…我々がA病院に着いたと同時に🐘ちゃんも駅に着いたらしく、迎えに行った。とりあえず全員集合させよう、という試み。
病院ロビーにて、全員集合。「あっあの人が」という視線の飛び交う(ほぼ)初対面のメンバー。これが妹でこれがルムメちゃんでこれが🐘ちゃんですと紹介する。「こんにちは〜」ルムメちゃん、鬼のコミュ力により全員爆速でなじんだ。妹は車椅子に乗せられてぽーっとしていた。その間に入院外来手続きをするわたし。
「まずは外来で診察してからになりますので、精神科の受付に行ってくださいね」
4人でゾロゾロ向かう。なんの集まりだと思われただろう。全員若人で。
まずは先生の問診。妹は声が出ずぐったりしていたので私がほぼ答えた。穏やかな女性の医師で、地元の友達に似ていてなんだかホッとした。この人が主治医か〜。いい病院だなー。医療保護入院のことをあらかた説明され、その場で先生が父に電話をし同意を取った。血液検査や心電図、CTの検査をしてから入院、という流れになった。
妹が検査中、ルムメと🐘ちゃんと3人で少し話した。なんだか変な感じ。好きな人と好きな人…両手に花じゃん…この空間、愛しかねぇ。ルムメはお腹すいたと騒いでいた。私もだ。そういえばお昼食べ損ねたんだった。ハイチュウを食べて飢えをしのぐ。
検査が終わり、入院病棟に案内される。閉鎖病棟の、さらに隔離された特別な病室に入院することになった。精神科の病室ってどんなだろう…真っ白無機質で何にもない、シリアスな空間かなぁと想像する。
イメージはMr.brainのコレ
(この回はとても面白いです。第6話)
病棟の前に来ると、「すみません、ご家族しか入れないので…」と言われ、🐘ちゃんとルムメちゃんは締め出されるかたちとなり、同じフロアの待合室に案内された。私と妹だけ通された。理屈ではわかるんだけど、突然のことで戸惑ってしまった。ここまで来てくれたのにダメなの?!ルムメちゃんがすごく悲しそうにしていて、私も悲しかった。血縁の人が本人のこと一番考えてるなんて、昔のまやかしだよ。こんなにおもってくれてる人がいるのに。悔しかった。家族ってなんなんだろう。
きっと書類上の法的家族じゃなきゃ、ここには入れないんだろうなと思うと、悔しい気持ちがした。
部屋の内装は、予想と全く違っていた。
まず鍵を開けてもらい入院病棟に入る。手荷物検査をし、さらに奥にある閉鎖病棟に通される。ここも鍵を開けてもらい、最終手荷物チェック。
奥の病棟はおそらく隔離や管理がより一層必要な方が入院するんだろうな、という作りをしていた。数部屋あり、シャワー室もある。ここから出ないようになっている。
病室のドアは防火ドアのように分厚く、外側から見える小窓がついている。
重いドアを開けると、変な温かみのある部屋だった。
木造で、ちゃんと木の匂いがする。ドアのないトイレと、ベッドと、ナースコールだけ。外に面しているのはすりガラスの窓。もちろん開かないし外は見えない。
どう考えても隔離された冷たいスペースなのに、木によってあたたかみが出てチグハグの気持ちになった。
入院に必要なものリストを渡された。「今買ってきます」と伝えて一旦病棟を出た。病室を出るのにも、病棟を出るのにも鍵を開けてもらう。ルムメちゃんと🐘ちゃんと合流した。
「もう会えないの?」
「うん…。家族しか入れないって…」
私を待ってる時、ルムメちゃんは泣いていたようだった。
買い出しの前に、3人でファミレスに行った。お腹すいたとさっきから騒いでいたので、ご飯もデザートも全部同時に出してもらった。そしたらパフェが最初に来てつらかった(アイスが溶けるから)。へんな食事会。「2人が同時に存在して嬉しすぎる」って言った。すごい疲れていたけど、すごい嬉しくて、へんなきぶん。そのあとドラッグストアで買えるものをそろえた。下着って意外と売ってない。パジャマは売ってる。ドラッグストアに家族以外の人と行くと、その人の生活習慣や育ちがわかって面白い。シャンプーやボディーソープをどんな基準で選ぶかとか、体を洗うときに何で洗うかとか。
病院の入り口まで🐘ちゃんに荷物運ぶのを手伝ってもらい、そこで別れた。来てもらったのになんのお構いもできなくておまけに手伝ってもらって、すごく申し訳ない気持ちと、めちゃくちゃ感謝の気持ちだった。
ルムメちゃんと病棟まで荷物を運び、入り口で「◯◯の家族です」と言ったら2人とも入れてもらえた。侵入成功。
看護師さんは夜勤の人に交代していた。「三姉妹ですか?」ときかれ「そうです!」と答えた。嘘は言ってない。このことに関して質問されるのが嫌だったので、看護師さんを質問攻めにした。「夜勤って大変ですよね」「お子さんいるんですね!反抗期大変ですか?」「木の部屋って素敵ですね!」「下のカフェって何時までやってるんですか?」などなど…営業の腕の見せ所である。
いつのまにか21時になっていた。ルムメちゃんは明日仕事があるから、惜しみながらも帰っていった。ほんとにほんとにありがたかった。
22時頃、おとんがきた。病室の造りにぶつぶつ言っていた。「ニスの塗り方が雑」らしい。看護師さんが入ってきて、いろんな資料を渡された。
「主治医が明日診察しますから、同席お願いします」
なんと、さっきの女性は臨時の人らしかった。男か〜…わたしの中のとんだ男性恐怖症がアンテナピコピコさせた。
「そろそろ消灯時間なのですが、帰れそうですか?◯◯さんにも睡眠取ってもらわないと、病院って朝早いですから。」
くつろいじゃってすっかりここがどこか忘れてた。帰ろう。
病院を出てさっきのファミレスにまた来た。おとんがあんみつを食べるのを見守った。私は食べたばかりだったから、お茶をすすっていた。
妹の家に帰り、ひとまず寝ることにした。せっかく片付けた布団を広げるのがおっくうで、床に寝た。床で快適に寝るコツは、頭に枕、おしりにクッションを敷くこと。
11/8(金)
起きて、コンビニに行った。朝ご飯を買い、限度額適用認定証の申請書と、高額療養費払戻の申請書を印刷した。ネットプリントに番号を入れると印刷ができるのだ。
高額療養費とは、同一月(1日から月末まで)にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合、一定の金額(自己負担限度額)を超えた分が、あとで払い戻される制度です。医療費が高額になることが事前にわかっている場合には、「限度額適用認定証」を提示する方法が便利です。(中略)
「限度額適用認定証」を保険証と併せて医療機関等の窓口(※1)に提示すると、1ヵ月 (1日から月末まで)の窓口でのお支払いが自己負担限度額まで(※2)となります。
ー協会けんぽ
入院中に「限度額適用認定証」を提出できれば、請求が限度額までになる。
初めて精神科にかかり始めた6月の時点で申請しておくべきだったな。まさか入院になるとは思っていなかった。妹の行動力をなめてた。
入院に必要なものを準備して、病院へ向かった。
主治医のU先生と初めましての挨拶。関西弁で、私と同じくらいの背。つかめない雰囲気の先生だった。
「ご本人まだ声出づらいようだから、先にご家族にお話聞きましょうか」
おとんと二人診察室へ通された。
「朝、◯◯さんと話しましたけどね、刑務所みたいって言われちゃいましたよ!ハハ」
こんな調子である。
U先生に、メモと記憶を頼りに必死にすべてを伝えた。中学生のとき不登校だった時期があること、対して高校生の時の活動ぶり、小さい頃の話、母が死んでからの反応、親戚や家族の既往歴、家族との関係…。「お姉さんやお父さんからみて、どうみえましたか」といった主観を求められることが多くて驚いた。まあ完全な客観性などどこにも存在しないのだけど。
話終わり、先生はこう言った。
「ご家族の話聞いてると、どうも病気ではないと思うんですよね。双極性障害だったり、統合失調症だったりっていうのは、明らかにわかるサインがあるものですが、それがない。言い方が拙いですが、未熟さや、思春期の延長というか⋯。高校生のときこれだけ活動的だったことをみても、◯◯さんはエネルギーがものすごいんです。鬱の人でこうはいかない。エネルギーの矛先を見失っている。だからひとたび自己破壊にはしると、自殺というところまでいってしまうのではないでしょうか。」
”病気じゃない"
そのことばが衝撃的だった。そうか…だから最初にかかった精神科の先生は、診断をすぐしなかったんだ。6月に別の病院に初めてかかったとき、なかなか病名を診断してくれなかった。そのことが、妹にとって「自分は病気じゃないのにどうしてこんなに辛いのだろう」と苦しめる原因でもあったから通院を中断していたのだった。セカンドオピニオンの重要性を痛感した。もう、今更遅いけど。
最後に「初めての入院でしょうし、何か質問があれば何でも聞いて下さい」と言われたので、
「質問ではないのですが⋯私の親友が、妹とも10年近く仲良くしてくれていて、とても心配しているんです。面会することはできないですか」
「そうですね⋯今は医療保護入院という形ですから、申し訳ないですが…。任意入院に切り替わったら、考えましよう」
あっさり断られた。チクショー!
そのあと妹の病室に行った。精神科は手荷物検査がきびしい。さらに妹の場合、希死念慮があるということで「紐」の持ち込み厳禁となった。だから充電コードも×、ジャージの紐も×、靴紐も×。パジャマや運動靴を持ってきたが、入念にチェックされ紐だけ抜かれて返された。
妹は機嫌が悪そうだった。
「朝、ドクタ一XみたいにU先生が回診に来た。持ち物取り上げられんのむかついたから刑務所みたいって言った」
なるほど、発言の真意を知る。
「絵をかきたい。スケッチブックと、家にある文房具ボックスを持ってきてほしい」
といわれ、こたえてあげるが世の情け。一旦病院を出て、妹の家に戻った。ペンがなん十本も入ったプラスチックボックスは見つかったが、スケッチブックが見当たらなかった。「近所にスーパーがあるから、買いに行くか。」百均や雑貨屋なんかが入っているスーパーへ。そこは、妹のバイト先でもあった。
無事にスケッチブックを買い、ふと思い立っておとんに言ってみる。
「ここまできたついでにバイト先に挨拶に行こうよ。」
一瞬渋るおとんに「こんなに迷惑かけてんだよ。」と脅してなだめた(どっち)。
差し入れを買って、バイト先訪問した。もちろんアポなし。従業員に話しかける。
「すみません、こちらでお世話になっている◯◯の家族なんですが⋯」
「あ!◯◯さんの!」
その反応をみて、妹が慕われていることを直感した。涙が出そうだった。
「今日は店長さんいらっしゃいますか?」
「少々お待ちください!」
裏へ走っていった。すぐに店長と思しきひとが出てきて、控室へ案内された。
店長とバイトリーダー、おとん、わたしの四者面談。ここはおとんがメインで話を進めた。店長からきちんと「ずっと待ってますから」と聞くことができて、安堵した。今度こそ、本当のことを教えてあげようと思った。病院に戻るクルマの中、何度も「ほんとにいいバイト先だね」と言った。
スケッチブックを渡し、さっきの出来事を話した。「そっか」と言っていた。どう思ったかな。
タ方に、父は地元に帰っていった。しばらくは来られないという。
私は、明日の予定について悩んでいた。明日は、二つ大事な予定がある。1年ぶりに会う友達とランチの約束、転職したい会社での面談と食事の約束。
モヤモヤしたけど急にハッとした。私の人生の主役はわたしだ。それに、何のために入院させたんだ。私たち家族がついてなくても安全なように、だ。気にしてくっついているのなら入院させる意味ない。
「明日来られないけど、大丈夫?」
「うん大丈夫だよ」
「明後日は来るからね。」
18時頃病院を出て、帰宅した。🐘ちゃんからラインが来た。「出張の帰りに町のんちの最寄りを通過するよ」なにその報告!「途中下車してもいいんだよ」と言うと、「えー」と言いつつうちまて来てくれた。やさ〜。スーツ着ているところ初めて見た。かっこいい
........こんな頻度で会えるの学生の時以来だなと思った。出張の大変だった話をきいたが、「でもマチノのほうが大変だったよね、ほんとにお疲れ様」となぐさめてもらった。🐘ちゃんがかえったあと、すぐ寝た。その日は、久々にぐっすり眠ることができた。
11/9(土)
昼に友達と会った。恵比寿でランチをした後、渋谷の109で妹の靴を買った。紐の靴がダメなので、びりびりの靴かスリッポンを探す。今後もはけるように真っ黒のVANSを買ってあげた。友達とファッションビルを見回るのは楽しい。これが似合うあれが似合うとはしゃぐ。あ一楽しい!感情を取り戻した気分。
タ方、転職したい会社へ。詳細はブログで書くが、家族のことを打ち明けてもドン引きもなにもされずむしろ「家族のことを優先して」と言われた。それを聞けて安心した。「こういう経験をしているから、町のさんはそういう雰囲気になったんですね。やっとわかりました。」と言われた。何もかもがわたしをつくってくれていると感じた。その場で「来年からよろしくお願いします!」と決まり、帰りに「妹さんとお父さんお大事にね」とおやつを大量に持たされた。
妹に「今日、面白いことがあった。明日話す」とラインをした。
11/10(日)
昼頃お見舞いへ。夜、どうしても仕事が入ったためスーツを着て向かった。
暇そうにしてるので本をもっていってあげた。「和菓子のアン」とけみおのエッセイ。
私の転職物語を話して聞かせた。「⋯ということで、マちゃん転職するね。まだお父さんには内緒ね!」と念押しした。わたしのこの活動が、妹にどんな影響を与えるだろう。"わたしもがんばろう"になるか、"わたしは頑張れていないのに周りは進んでる"になるか。少し気になった。
17時頃病院をでて、都心に向かった。仕事のアポ。課長が同行してくれた。転職を決意したはいいが、課長に言わなければならないのか⋯と思うと気が重く、愛想笑いもそこそこになってしまった。こんなに迷惑をかけて、そのうえ仕事辞めるなんて言ったら、どう思うだろう⋯と。
無事に仕事が終わり、課長とも別れ帰宅。無事成約に至ったが、さらに複雑な気持ちになった。
11/11(月)
10時からソーシャルワーカーのNさんと三者面談。電車を間違え遅刻。
U先生に伝えたことをもう少し簡略に話した。第三者を通して妹の話を聞くのは今回これが初めてだった。
「今回お薬を飲んでしまったきっかけってなにか思い当たりますかね」
私は決定的なことがわからず、黙った。すると本人が話し出した。
「10月は、バイトから帰ると毎日首を吊ろうとしていて。でもくるしくて全然だめで。調べたらカフェインを1000ミリ飲んだら死ねるって書いてあったから、飲みました」
初めて知った。
普通にラインしてくれていた日々が、死にたい日々だったのか。妹はぼろぼろ泣き出した。
Nさんが言った。
「私は、退院後の生活をお手伝いする役目があります。だから入院中は先生にしっかり見て頂いて…治療方針が定まっていないのでなんとも言えませんが、使える制度についてご案内しておきますね」
公から民まで、支援制度について教えてくれた。自立支援医療制度、訪問看護⋯·。有益な情報をたくさん得られてうれしかった。ソーシャルワーカーという仕事をこのとき初めて知った。なによりNさんが頼もしくてすごく輝いて見えた。「こうなりたい」と思えるひとが目の前にいる、その事実もうれしかった。私もいつか、困っている人のためのアドバイザーになりたいなと強くおもった。
午後、🐘ちゃんが「休みだから会えるよ」というので、デートをした。家族のことも、転職をすることも話した。いろいろ込みで最高のデートだった。(ちなみに冒頭の写真はデートの時の写真で、ここのパン屋さんですべてのことを話した。)
どれだけ支えになってくれているか知れない。私も支えることができているのだろうか。
11/12(火)
この日は久しぶりに出勤した。U先生から電話で「今日から任意入院に切り替えます」やったー!妹からも普通の個室に移ったと連絡が来た。
「普通の個室になったら外出してもいいって言われたから、お出かけしたい」
「じゃあ明日行くときに、外出届書いて一緒に出そう!」
土曜にルムメと3人で出かけることになった。うれしー!
11/13(水)
今日は関東大移動の陣だった。ミッションは二つ。1つ目は妹の病院へ行き外出届けを提出すること。2つ目はおとんの病院へ行き入院手続きをすること。カテーテル手術のため今日から入院なのだ。
朝早く起き、満員電車にもまれてお見舞いへ。大きなカバンには着替えが入っているからかさばって大変。揺れる電車と踏ん張る足腰。
やっとたどり着き、外出届を書く。外出届は出すだけじゃダメで、主治医のサインが要る。U先生は木曜休みで、金曜に提出じゃギリギリだから今日しかチャンスない。無事にサインをもらったことを確認し。とんぼの勢いで東京駅へ。地元行きの高速バスに乗るため。売店でおにぎりとおかずのセットを買い、バス待ちの列で立ち食いした。
ふと一人旅の時を思い出した。私はこと一人旅となると寝食を忘れがちだ。奈良に一人で旅行したときにもコンビニでおにぎりをかう女なのだ。なんだか懐かしい気持ちになった。
無事に地元についたはいいが、病院までのバスがあと一時間こない。昼に来て欲しいといわれていたのにすでに13時。どうすっぺ。
せっかちの思考は短絡的だ。いったん実家に帰り、チャリで行くことに決めた。(後でわかったが、急ぐ必要は全くなかった。優雅にバスが来るまでお茶すればよかった。)そんなことはみじんもしらず、「14時半までには行く」とおとんに連絡した。
実家まで歩いている時、妹からラインが来た。
「ねぇねえマちゃん。私休学したいかもしれない。
けみおに影響されているだけかも。けみおの本読んだら『この本説んだら人生変わりました』っていう感じになった。学校に行きたいと思えない。とりあえず休んでみたい。すきにいきてみる。逃げてるだけかと思われるかもしれないから、仮進級の作品だけは仕上げようと思ったけど、けじめとかあほらしいと思った。
単純に油絵をかきたくない。今まで、自分を保つために描いていた気がする。それって大切だけど、それじゃ前に進めないよね。昔は好きで書いてたけど今はもう"自分のできることが絵しかないから、なんとかそれをしている"状態。もうここらで限界だと思う。高校生の時から、ホントに絵が好きかどうか美術が好きかどうかわかんなかった。全部大人ぶってやってただけかも。いつかほんとにやりたいことがでてくるかもしれない。今やりたいことはわからないけど、大学に行きたくないということだけわかってる。逆にやっぱり油絵がやりたいと気づくなら、気づくまで待ちたい。仮進級するには今頑張んなきゃいけなくて、私は今頑張れないから。
まあけみおの本は後押しで、わたしはわたし。今まで頑張ったことは無駄じゃない。あれが無駄だったらそれこそ私は死んでる。」
ばーっと気持ちが送られてきた。意図が汲み取れないところがあったので、妹のツイッターを見た。
11/11 20:51 診察で言われたこと・私は突発的に死にたくなった時、自殺を行動に移せる一般人らしく、病気でも鬱でもない。先天的に極端な思考に加え、エネルギーが有り余るほどあるから。何の疾患でもないけど普通じゃないから治療は必要。突然ものすごく死にたくなってしまうところは謎。言葉を選ばずいうと"病気じゃないけど変"。いろいろなことがまだつかめてない要因になっている。
11/12 22:46 こうしてガチの限界の底まで落ちて俗世から離れて暮らしてみると、おそらく10年以上、自分の思考はどれだけ自分を責めながら生きてきたか分かるな、全く思考に自由はなかった。今まで、大学を卒業して就職して結婚して子育てしておばあちゃんにならないと世間から排除されて死ぬと思ってた。本気で。今休学とか全然ありだなと思ってる。
…妹に夢を聞くと「普通の家庭を作りたい」といつも言うのが不思議だったが、ようやくわかった。片親だから、憧れてるのかな、と思っていたが。憧れなんてやさしいものじゃなかったのだと知る。
11/13 23:10 嘘みたいにどんどん自分が透明になっていく感じがある、今まで追い詰められてた。異常だった。私今ちゃんと言える、今大学行きたくないしそんなに油絵描きたくない。自分の思ってることを声にするのも文字にするのもこんなに勇気がいるんだね。今わたしすごく体も脳もナチュラルで、生きたいとか死にたいとか特に気にしてなくて、素直にやりたいことを探していける気がする。
私を縛ってた鎖が全部とれた感じ、あとはその部屋を出て探しに行くだけ。
すごく泣いている。やりたいことはモデルかもしれないしシンガーかもしれないし、ミュージシャンかもしれないし小説家かもしれないし、もしかしたら漫画家や画家かもしれない。
休学しよ。お姉ちゃんに決意だけ言ってあとは全然相談してない。だって自分の人生をきめるのは自分だから
幼いながら自分の"普通ではなさ"に気づき、"いわゆる普通"になろうとしていた。だから苦しんでいたのだとわかった。普通ではないことの要因はまだわからないが、苦しみの正体を知ることができ、きっとすこしは楽になったんじゃないかとおもう。
ツイッターとラインを見て、やっと彼女の言わんとしていることを理解した。そして返事を返した。
「今までの積み重ねでしかこの先を決められないなんて、そんなわけないんだよね。絵しかやったことなかっただけ。まだやってないことがたくさんあるよ」
いま考えてみれば。妹の中で「美大に受かる」と「美大に行きたい」は、全く別のことになってた。だって「美大に行って勉強したい」とはいままで一言も聞いたことなかったから。今までやってきたすべてのことは「美大に受かる」ため。私や父の中では、「美大に受かる≒美大卒のステータスを得られる」と思って応援していたが、妹のなかには方程式が存在しなかったようだ。ただ美大に受かりたいだけ。それは、普通になるため。
同じ方向を向いていると思っていたが、初めから違っていたのだ。私たち家族がその先を想像させなくちゃいけなかった。そして「あなたは普通でも普通じゃなくもなく、あなたという人間なのだ」と、話して聞かせればよかった。
本当に私と妹は似ている。私の話をするが、去年は昇格することだけを目標にし、「昇格して何したいか」を全く考えなかった。できてから考えればいいと。でも、昇格してから心の準備をする時間はなく、ギャップについていけなくて、どんどん心がさいなまれていった。でもね、迷って考えたからこそアンテナが敏感になったし、将来が見えて、転職というチャンスを掴めたんだと思う。だから迷った時間は無駄ではなかった。私はやりたいことを見つけた。妹もみつかるよ。
…実家についた。末妹のチャリをパクって漕ぎ始めた。何度か道に迷いつつ、ちゃんと14時半についた。1時間近く漕ぎっぱなしだった。
汗だくで病室に行くと「おう、わるかったな」といつもどおり態度のでかいおとんと、いとこのお兄ちゃんがいた。いとこと入れ替わり、病院で入院の手続きをした。
「明日の手術、9時半からだからご家族の方は9時に来てってさ」
「はえ〜〜〜〜」
またチャリを漕いで実家に帰った。時間を気にしなくていいので楽しかった。
実家に着くと5歳上のいとこのお姉ちゃんが遊びに来ていた。結婚して引っ越したから、アパートを引き払いに戻ってきたらしい。末妹はというと、ふとんで爆睡していた。チャリで行った話をすると案の定「アホじゃん」と言われた。
夜は、近所の大叔母の家にみんなで行ってタ飯を食べた。ご飯だけは食べなさいといつもおいしい料理を作ってくれる。自身も心臓を患い、爆弾を抱えながら、わたしたち一族をどれだけ世話してくれたことか。「もう74なのにあんたら全然安心させてくれない!」と笑っていた。
11/14(木)
末妹は大叔母の家に朝食を食べに行くのが日課だ。私もついていった。
朝ご飯をごちそうになり、今日こそバスに乗って病院へ。
ストレッチャーに乗せられた父と一緒に手術室へむかった。「一時間くらいで終わっから」といって、入って行った。のちにそれはただの本人の希望だったことを知る。結局、3時間待った。おかげで本が読み終わったのでよしとするほかない。
手術終わり、私は面談室に通され手術の結果をきいた。心臓の血管に2か所ステントを入れる手術で、そちらは成功した。だが小さな傷がみつかり、それの様子をみるために時間がかかってしまったらしい。担当の医師に
「父が一時間でおわっから!って言ってたので心配になってしまいました」
「え?!二時間って言ったはずなんだけどな…ご本人の希望だったのかも知れないですね」
と笑われた。心臓にあった血栓はこの数か月の投薬治療によって消え、脳こうそくの恐れは限りなく低くなったそうだ。ほっとした。手術に向かう前、これが最後になったらどうしようと不安になっていた。なにはともあれひとまず無事に終わった。いろんな人に手術の成功を連絡した。
病室に帰ってくると「腰が痛い」と唸り、勝手にベッドを起こして看護師さんに「あと何時間は絶対安静なんで動かさないでください!」と怒られるおとん。しょんぼり。
なんか、苦しそう。手首にも、足の付け根の動脈にも、手術の名残。手術着には血がついていた。怖くなってしまい、今日東京に戻る予定だったが、やめた。明日また見に来てから戻ることにしよう。明日の朝、動けるようになれば予定通り退院できるらしい。
家に帰ると、末妹もちょうど帰ってきた。2人でダラダラし、21時ごろ「夜遊びしようよ」と言ってふたりで近所のファミレスまで散歩した。
なにがきっかけか忘れたが、突然進路相談が始まった。やはりお金のことを気にしているようだった。
「公立行かないとさ…」
「お父さんあたしらのこと大好きだから、行きたい学校があるって言ったら、絶対出してくれるよ。ていうかマちゃんもがんばるし。行きたいとこ選びなよ」
というと、ぽつぽつ本音が出てきた。「本当は医療系に行きたいわけじゃない。公立で、ここしかなかったから」「東京じゃないところで一人暮らししてみたい」「語学に興味がある」どんどん出てくる希望をメモに書き殴った。二人でマイナビをみて、希望に近い大学をピックアップした。
家族の入院という一大事を、たった17歳で受け止めようとしている末妹がけなげに見えた。
11/15(金)
昼前におとんのお見舞いに行くと、ベッドを起こしてテレビを見ていた。動いてもよくなったのか。ほっとした。看護師さんが着替えさせてくれるというので、病室を追い出された。
暇だし、お昼を食べることにした。ここの病院はでっかいので、最上階にレストランがある。レストランって名乗ってるけど食堂。食券制でぇす!(すするTVのマネ)
生姜焼きを注文した。生姜焼きにハズレなど存在しないと思っていたが、私の舌でもわかるくらいの絶妙な生姜焼きだった。漬物がたっぷりついていたのでよし。
妹からラインがあった。診察で「早く出たい」と言えたらしい。それは逃げ出したいという意味ではなく、やりたいことがあるから卒業したいという意味で。先生は喜んでくれたそうだ。「あなたは長くここにいる人ではないけど、エネルギーが高くて不安定だから馴染んだら出ましょう。」と言われたらしい。月曜日にいつ出るか話し合いがもたれるそうだ。「過活動になりやすいから、週末は0.7倍の元気で過ごしてね」と釘を刺されたようだ。よくわかってるやん先生!
病室に戻って少し喋った。「これ」と渡されたのはおとんがかけてくれてる保険の証券だった。お手頃さがウリの会社のやつ×2社。保険料は合わせて5000円、入院日額は合わせて1万くらいだった。あんなに保険嫌い嫌い言ってたのに…なんだかんだ親だなと感じた。
最初の救急センターでの1泊2日の入院が10万を超えてビビってた。高額療養費の払い戻しは3ヶ月後なので、保険金が出ればかなりたすかる。保険金は、出るよ!の承認が降りてからは爆速で払われる。(遅れたら遅延金がプラスされるのがふつう)限度額適用認定証もまだ発行間に合ってないし。
高額療養費制度について以前自由研究をしたのだが、どっちにしろ8万くらいまでは自己負担なんだよなぁ…8万って、20代の感覚だったらふつうに痛手だよね。ぽんって出せるものなの?
そう考えるとやっぱり保険ってある程度必要なんじゃないか…?特に、収入が高くない世帯は。「払ったって病気にならなかったら無駄」「貯金でなんとかする」(「絶対病気にならないから大丈夫」「病気になったら死ぬから大丈夫」って言う人はさすがにどうかとおもう)と言って毎月の保険料分をこつこつ貯金できる人って果たして、現実にいるのだろうか。それならば保険料として、助け合いの気持ち+世の中への投資+リスク管理を同時にした方がよくね、って思う。しかし、自分の年収に合わない保障をかけすぎるのはよくない。明らかに要らない高額な保険金をかける(持ってる資産によるけど独身で実家or賃貸暮らしなのにびっくりするほど死亡保障もつ)とかよくない。あと言われたまんま入るのもよくない(相談する相手はやみくもに家族友人ではなく、知識のある人からのセカンドオピニオンがいいと思う)。
リスクに対して、備えておかないことはものすごくリスクの高いことだと思う。ほんとに平均に合わせちゃいけない、人それぞれで自分の家計を考えなくちゃとひしひし感じる。最近は、若い人は現金を100万とりあえず早く貯めて緊急費用にしておけばいいのかな、とも思う。保険よりも何よりも一番早く出るからね。…この件はまだまだ研究しているので、あくまで個人的な意見です。
病院からそのまま東京に戻ることにした。停留所に着くとちょうど駅行きのバスが来て、駅につくとちょうど高速バスが停まっていて、乗れた。ラッキー!高速バスは快適だ。寝れる。寝ざるを得ない、酔うから。
自宅に帰り、三回も洗濯機を回した。ガンガン洗ってコインランドリーを3往復して乾かした。
夜はお友達を励ます会をした。美味しいご飯を食べて議論をして充実。
帰ってくると、🐘ちゃんから可愛いラインが来た。酔うと可愛いラインをしてくる。私も酔っていたので可愛い可愛いだった。
11/16(土)
12時半に病院に着く。遠足の前みたいなワクワクがある。今日は念願の外出だ。21時まで遊ぶ。妹にとっては久しぶりの下界だ。
お洒落で落ち着くカフェでお茶をした。ルムメちゃんは「◯◯って姪っ子みたいな感覚なんだよねぇ。ひたすら可愛がりたい」と言っていた。なんとなく、そんなふうに接しているのがわかる。
私の服を貸してあげたのだが、つんつるてん。しかもスッピン。我慢ならないらしく「早く服買いに行きたい」とだだこねていた。ルムメちゃんのメイク道具を借りてメイクアップを済ませ、いざゆかん、私が大好きな古着の町へ。
気になるお店を片っ端から見回った。ルムメちゃんと3人で遊んで分かったことがある。妹はやっぱり妹で、ルムメは友達じゃない。今存在する言葉の中で近いものは"配偶者"。実の家族より仲良しだし、姉や妹という感じもしないし。配偶者がいるならこんな気持ちだと思う。妹と一緒にいるから保護者然としなくちゃと思いつつ、配偶者がいるから甘えてしまい、心のバランスが取れなくて勝手に疲れた。でも楽しかったんだよ。
無事にカワイイ古着を買い、カラオケで騒いで解散した。
11/17(日)
この日はデート。
11/18(月)
「水曜に退院してもいいって」やったね!!!親などの迎えは不要らしく、1人で退院できるようだ。2週間という長いようで短い入院生活が終わるのか。
「研究室の助手さんに面談頼んだ。金曜日にマちゃんきてくれる?」
「もちろん!」
11/19(火)
病院から電話がかかってきた。「概算ですが医療費をお伝えします。入院が20万、外来が1万7000円です」ニジューマン!!!入院と外来を別々で伝えられたことで、思い出した。高額療養費制度って、病院ごと合算できずさらに入院と外来も合算できないということを。さよなら、外来の医療費…。限度額適用認定証が届くまで退院しないでクレェと思うが、そうは問屋が下さない。(結局届いたのは退院の翌日だった。)
ちなみに、医療費を事細かに書いているのはプレッシャーをかけるためではない。精神科の入院てこんな感じなんです。
11/20(水)
この日。退院の日。保護者の付き添い不要とのことで、1人で退院したらしい。
ああ、一旦の区切りだ、と思った。でも、これはただの区切りだ。終わりも始まりもしていない。
退院その後
11/22(金)
今日はおとんが来た。用事を済ませる日。二つの病院に医療費を支払いに行き、市役所に自立支援医療制度の申請書をもらいに行き、バイトに挨拶に行き、学校に面談に行き、保険の請求をした。自立支援医療保険証がもらえると、月の医療費の限度額がグンと下がる。妹の場合、精神科での外来は月に一万円までが上限。
保険金の請求をして改めて学んだことがある。契約前に約款を読むべき、ということ。日額いくらかより、支払われない場合が何か、ということが大事なのだと…
A社のコールセンターでは「入院を◯日しました」「それでは書類を送りますので、領収証のコピーをつけて返送してください」と言われた。領収証には病名書いてないので、どう査定されるのか分からないが、多分おりる。
B社は、雲行きが怪しかった。入院の日数、病名、医療機関をこたえると「後日担当者から回答します」と言われた。なんか違和感…。
あっ!自殺が原因だと出ない会社あるよな…?と思い出し、B社の約款(契約書みたいなやつ。今はどこの会社もネットで見れるけど、あり得ないすんげー細かいので自分で読むより問い合わせた方が早いです)を調べた。案の定、"保険金を支払わない場合"の条項に「被保険者の自殺行為、犯罪行為または闘争行為によって被った疾病」と書いてあった。ンーー😨 入院一時金がでるちょこっといい内容のものだから、仕方ないな…と思った。
11/25(月)
金曜日に電話したB社の担当の方から連絡があった。「故意の事故ですとお支払いが難しくて…」やっぱり。「1回目の入院は急性薬物中毒とのことでちょっと難しいかもしれないのですが、2回目の入院は疾病の治療とみなされるかもしれないので、確認しましたらご連絡いたします」と言われた。ちょっと希望が…!
午後に担当の方が電話をくれた。最初の入院は難しいが、転院後の入院に関しては診断書で支払い可否を判断するとのことだった。やっぱりね。その診断書になんて書いてあれば良いのだろうか…書くところが病名だけで済むならいいけど。原因まで書かれたらたぶんだめだもんなぁ。とりあえず請求してみる。
エピローグ
結局、A社は支払われたがB社は診断書を取り寄せ中だから、まだわからない。待っていると年が明けてしまうので、一旦この記事を閉じます。(2020年1月追記:年末にB社からも給付金支払われました。転院し治療として入院した方の給付金でした。)
妹は退院後しばらく実家に戻り、12月からは大学を休学しフリーターをしています。やはりまだ生きる道筋を立てるのは相当難しいようで、死ぬ気持ちはもうないと言っているけれど、いかんせん薬でコントロールしているわけでもなし油断はできない。
でも、だいぶ楽になったのは感じる。そして辛いときにも辛いと言ってくれる。最近はジムに通うことを検討しているみたい。心の中で10万いいねした。
この一件があってから、町の家はやっと家族らしい家族になった。お互いを心配したりされたりする家族になった。
妹はまだ不安定だ。生きることを選び続ける人生を歩んでほしい。なんにでもなれるもんね。
(追記2020年10月 もうすぐ一年が経ちます。妹は月一で通院をしています。薬は飲んでいません。落ち込むことはあるようですが、エネルギーの矛先を見つけつつあるようで生き生きとしています。)
長い長いレポートを読んでくださった方、本当にありがとうございました。日々すれ違うたくさんの人々は、たくさんの複雑さを抱えて歩いていることを忘れないようにしたい。全ての人に優しくできるならそうしたい、それが理想と分かっていてもなるべく。
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