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総裁選報道を「競馬新聞の予想記事」にしないために

党員でもないぼくには自民党総裁選の投票の権利がない。だけど、総裁選びは総理選びでもあるから、当然、気になる。

それは誰しも同じだろう。早速メディアには競馬新聞的な勝ち馬予想や、「誰と誰が密かに会っていた」なんて永田町ディープスロート的な読み物が溢れている。もちろん、それも個人的にはおもしろい。だけど、本当に知りたいのは、「この人は総理になったら、なにをやってくれる人なのか」ということだ。

昨年9月、アメリカで開催されたオンラインニュースメディアのカンファレンス「ONA」に出席した。そこで議論されたテーマのひとつが、「大統領選記事の競馬新聞化」だった。トランプ大統領を誕生させた責任は、「誰が当選しそうだ」とか、「こんな人脈の人だ」とか、「こんなとんでもないことを話して炎上した」とかいう記事ばかりを書いて、政策の議論をおろそかにした政治ジャーナリズムにあるという反省から、2020年の報道のあり方を新聞記者たちが集まって喧々諤々と話し合った。

もちろん、「この人が、総理になったらなにをやるか」なんて、予測するのは簡単ではない。公約なんて反故にされたケースはいくらでもある。では、なにを見ればいいのか。

その政治家が、これまでなにをやってきたか、その軌跡を検証することだろう。そこから、政治家の本音が見えてくる。それを、政治ジャーナリズムには徹底的に追いかけてほしい。

 ぼくが新しい首相に期待するのは、透明性だ。公文書の改ざんや隠蔽などが相次ぎ、政府の信頼が失われている状況を改善することこそが、優先度の高い課題だと考えている。さらにいえば、権力者として権力を恐る知性を持っているのか、自らの権力をしばる仕組みをつくることを考えているか、も重要だと考えている。

これまでの改革は政治の権限、首相の権限を強化することにつとめてきた。政治決定のスピード化にとっては必要なことでもあった。しかし、同時にそれを抑制する仕組みが日本の三権分立の中では弱かったのではないだろうか。本来は公文書の記録も歴史の評価という重荷を背をわせる意味で、その一つでもあり、たとえば福田康夫元首相は在任中、力を入れていた。そんな観点から、総裁候補たちのこれまでの実績を検証してほしい。

政治が新しくなるためには、政治ジャーナリズムも新しくならなければならない。

総裁になるチャンスがありながら、それを固辞した数少ない政治家である伊東正義はかってこう言っている。「表紙だけを変えても、中身を変えないとダメだ」と。

政治ジャーナリズムは「表紙」ではなく、「中身」を評価してほしい。











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