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アニメーションのリアルとリアリティ

TVや映画のアニメーション作品を見ていると、ある瞬間、描かれたシーンを非常にリアルに感じることがあります。昨今の作品では作画技術の向上やデジタル表現の多様化でリアルと評される作品も増えたと思います。しかしすべてが絵で表現されるアニメーションにおいて”リアル”とはどういう意味を持つのでしょうか。

現在日本で作られている商業アニメーションは一般的にはセルアニメーションがほとんどで、最近こそデジタルエフェクトを駆使した質感表現もされていますが、基本的には線と色面で構成された浮世絵や錦絵に通じる非常に平面的なアートスタイルです。西洋の古典絵画や3DCGに比べても明らかに画面のもつ情報量は少なく、リアルという意味では現実からはかなり遠いものです。端的に言ってかなり単純な”絵”に対してなぜこのようなリアルな感覚を持つのでしょうか。

高畑勲監督はアニメーションには「現実を再認識させる力」があると語っています。自分自身も高畑監督の作品に携わった時に同様の話を語られていたことを覚えています。
高畑監督の作品『かぐや姫の物語』はご覧になった方はわかると思いますが、一般的なセルアニメーションに比べると特殊な表現の作品です。前回アニメーションの線処理についての記事を書きましたが、『かぐや姫の物語』はそれらとは全く違った手法で作られており、キャラクターはさっとラフに描かれたスケッチのような描線に淡い水彩調の彩色が施されており、一般的なアニメーションの線画よりもさらにシンプルで省略の多いスタイルです。にもかかわらず要所々々で非常に現実味を感じる作品になっています。
リアルではない手法でリアリティを演出するという相反。これもアニメーションの面白いところです。

自分はアニメーションは抽象化の表現だと考えています。先に述べたようにセルアニメーションという表現は非常にシンプルなスタイルでありリアリティを発揮させるためには描く対象をどう抽象化し、本質を捉えるかがキモになります。その意味で優れたアニメーション作品は抽象度が高いといえます。表現は抽象化することで本質的な要素や着目すべき部分に焦点が当たりますが、抽象化された情報が見るものにダイレクトに届くというのが表現としてのアニメーションの特徴であり、アニメーションの”リアル”とは対象の本質を描くことで立ち上がる”リアリティ”を描くことではないでしょうか。

アニメーションで描かれる絵そのものは現実からすれば全くリアルではなく、私達は抽象化された映像を見ていますが、ちょっとしたキャラクターの仕草の中に既視感を覚えるのは、その瞬間、絵そのものの印象ではなく、その絵(画面、シーン)を通して表現された本質が伝わり、その”リアリティ”を受け取ったとき内心に湧き上がる実感が”リアル”を感じさせる。アニメーションのリアルとはそういう構造といえるのではないでしょうか。

以下のムービーはアニメーションのキーになる原画をコマ送りで見ることができる電子書籍E-SAKUGAで「進撃の巨人」のシーンを表示している様子です。完成画面と比べるとこの時点で既にシンプルな形で動きのダイナミックさが表現されているのがわかります。ときおりキャラクターのアウトラインのみで細部が全く描かれていない絵が見えますが、迫力ある動きも実際にはシンプルな形で動きの本質を捉えているのがわかると思います。

しかしこれを実現するには作る者に鋭い観察眼と非常に洗練された表現力が必要で、どの作品でも同じように表現されているというものではないでしょう。現在アニメーション作品の多くは、お約束という”コード”に則って読み取られる”記号”として情報が認識されているというのが現実ではないかと思います。記号を超えて伝わる実感こそがアニメーションのリアリティといえるのではないでしょうか。

鑑賞者が見ているのは絵ですが、感じているリアリティの正体はその絵の向こう側に在る。絵(セル)という抽象レイヤーを透過することによって成立するのがアニメーションの持つリアリティの本質でなのではないか。
これはセル画と背景画の関係を見てもある程度理解できます。セルは平面的であるのに対し、近年のアニメーション作品では背景画はリアルに描かれる傾向にあります。普通に考えれば手前と奥の素材の質感も表現も全く異なる表現が同居する違和感を覚えるはずですが、多くの場合その違和感を超えてその場所がその映像の中に存在しているかのようなリアリティを感じることも多いと思います。
これもセルに描かれる現象のレイヤーを通して見る背景が、単にその場所を描いた絵を見ることとは違った体験を与えているのではないかという仮定に行き着きます。
これに関しては我々がアニメーションのスタイルを見慣れてお約束として許容されているという側面も無視できませんが、慣れだけでは説明できない実感は確かに存在します。実際の場所が絵に描かれる場合は抽象化されることで現実よりも魅力的に見え、更に多くの人を引きつけるということもあるでしょう。実際にアニメーション作品のモデルとなった場所の聖地巡礼などが盛んに行われているのもこの現象の延長にあるように思います。

アニメーションのリアリティ表現の例として、以下のムービーを紹介しておきます。これは現在放送中のとんでもスキルで異世界放浪メシの公式Twitterが公開しているメイキングムービです。制作スタジオは『進撃の巨人』や『チェンソーマン』を制作しているMAPPAです。この作品では毎回主人公が料理をするシーンが見せ場になっており、深夜の飯テロとしても話題になる美味しそうな表現には定評があります。調理のシーンは前に公開した音楽表現の記事にもあるような、専門家が実際に料理する場面を撮影したライブアクションを元に作成されています。
このメイキングムービーを見ると実写のシーンを参考にしつつも単純に引き写すのではなく、現実から如何に抽象化を通して効果的なセルアニメーションの表現に落とし込んでいくのかという過程が分かると思います。


最後に一つ。ある高名なアーティストがアニメーションは平面だから興味がないと語っているのをのを聞いたことがあります。国内国外で活躍される有名な方でしたが、それほどの方でも表面的な印象だけで見抜けないものはあるのだなと理解しましたが、同時に見る目がある人だと思っていた分、とても残念な気持ちになりました。


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