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悩むべきことを見定めるコツ〜必然と偶然を区別する

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 人生では日々たくさんの悩み事が起きる。
 「妻に浮気されてしまった」とかの大きな悩みもあれば、「デートの約束をしていたのに風邪をひいてしまった」とかの小さな悩みもある。筆者は、大きなやつだと1年ほど前に難病になって身体障害者になった。小さなやつだと楽天で製品サイズを間違って購入した。

 悩み事は、次から次へと起きる。いちいち全てに頭を使っていたら対処しきれない。どうせ悩むんだったら、悩み甲斐のあることだけ悩みたい。
 そこでこの記事では、悩むべきことを見定めて、無駄な悩みから解放される考え方を、哲学的な観点から説明する。

必然と偶然、物事の2つの捉え方

 突然だが、仮にあなたの親が交通事故に遭い、亡くなってしまったとする。「事故起男(じこおきお)」の運転する夜行バスが、居眠り運転であなたの親の運転する車に追突して、親が亡くなってしまった。あなたは、交通事故を偶然か必然か、どちらと捉えるだろうか?

 偶然か必然か、どう考えるかによって、交通事故にどのように対処するかが変わってくるだろう。
「この事故は偶然だった……だから被害にあったことは諦めよう」
「この事故は必然だった……だから何か原因があるはず。そうだ! 運転手が悪い! とことん追い詰めて裁こう!」

といったように。
 ある人が物事を必然か偶然かどのような捉えるかによって、その人のその後の行動が大きく変わるのだ。偶然だったら悩んでも仕方ないし、必然なら行動する意味がある

 では何らかの事象について、それが必然なのか、偶然なのか、見定める方法はあるのだろうか?

必然とは何か

 そもそも、必然とはどういう意味だろうか?

 必然とは、「ある出来事や現象が必ず生じる」ということを意味する。
 必然は、物事の主要な要因に基づいており、法則を形作る。例えば、水を十分に熱すると100℃で必ず沸騰する。それは、水(と大気)の法則である。

 私たちは、このような必然性を認識する(法則を知る)ことによって、現象を前もって予測することができる。また、必然性を要因とした物事は、何度も繰り返し発生する。

偶然とは何か

 一方、偶然とは、「予期できない現象が生じる」ということを意味する。
 偶然は、副次的な原因に基づいている(注1)。偶然は、物事を早めたり、遅らせたり、といった誤差となって現れる(注2、3)。例えば、水を十分に熱すると必ず沸騰するが、いつ沸騰が始まるかは正確には予期できない。これは燃料の燃え方や大気圧などの副次的な原因が影響するためだ。

注1)偶然の産物にもまた、原因があり、その原因を知ることもできる。

注2)必然性と偶然性を取り扱う学問が確率統計であると考えることもできる。統計を用いることによって、結果から主要な要因と副次的要因を推察することができ、逆に確率によって着弾地点を予見できる。
 以下は「大砲を撃ったときの着弾点のサンプル統計」と「必然と偶然」の対応を表したイメージ図である。

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注3)明確で直接的な要因に分解できないような現象もある。このような現象は全てが偶然であるかのように見えるかもしれない。しかしこれは、現段階の私たち人類の認識力の限界によるもので、科学が発展して私たちの認識が広まれば、いずれ必然性が見い出されると思われる。
 例えば、台風がいつ来るかということは江戸時代の人々にはほとんどわからなかっただろう。しかし、観測技術が発展した今では、台風の進路をある程度の正確さで予測することができる。

物事には必然と偶然が共存する

 さて、物事は必然か偶然か、という問いに戻ろう。
 この答えは、「必然、偶然、どちらも含んでいる」である。
 全ての事物は、必然性だけでなく、さまざまな要因が影響する偶然性の面が同時に存在する。

 再び、交通事故について考えてみよう。
 ここで仮に、「事故起男(じこおきお)の運転手としての労働環境が悪く、慢性的な睡眠不足になっている」といった要因がうまれているなら、事故はおそかれはやかれ必然的に生じただろう。
 しかし、いつ誰がどんなふうに事故に遭うかというのは、偶然決まる。特定の人物(あなたの親)が事故に遭ったのは偶然だ。事故を起こした運転手が特定の人物(事故嫌男)Bさんであったのも偶然だ。

必然性に着目することで物事は前進する

 ある1つの交通事故をとっても、そこに必然なことと偶然なことが共存している。すなわち、事故を「偶然で運が悪かった」と片付けるのは一面的な見方であり、同時に「必然の宿命だった」と考えるのも一面的である、といえる。
 事故の例ならば、「なぜ事故に遭ったのがよりによって自分の親なんだ……」と悩んでも、偶然なので仕方がない。また、事故を起こした運転手が事故起男(じこおきお)であることも偶然なので、運転手個人を徹底的に追い詰めて溜飲を下げても仕方ない。

 有用な態度とは、必然と偶然を区別し、事故の必然の面に目を向けることだ(注4)。そうすることで、次の事故が起きないように物事をコントロールできる。
 運転手の労働環境が悪いことは、必然的に事故につながることだ。そのため、労働環境の改善を訴えることは次の事故を生まないことに繋がる。

 水の例で言うと、「いつも同じ温度で沸騰する」という必然性に着目すると、水の気化と液化の法則を認識し、水の沸騰をコントロールすることができる。
 必然と偶然の区別により、物事の原因や法則を捉え、物事を改善していくことができるのだ。

注4)僕は「失敗は全て偶然、成功は全て必然」と思える能力を身につけているため、日々ハッピーに生きている。

悩むなら、偶然ではなく必然だけ

 悩み事について頭を使うなら、偶然の面については悩んでも仕方ない。そのぶん、エネルギーを必然の面に向けよう。
 悲しい出来事があっても強く生きている人を見てみると、多くの人が必然と偶然を区別している。そして、悲しい出来事を引き起こした必然の面に目を向け、それを変革することにエネルギーを注いでいる。

補足)人生は必然か偶然かというテーマで考えてみよう。
 ある個人に着目すると、その人の人生は、その人個人の努力や偶然の選択の積み重ねだ。しかし、多くの人を集めて傾向を見てみると、育った環境が恵まれているかそうでないかといった要因と裕福な人生との相関が見えてくるだろう(参考例:高等学校等卒業後の進路の状況/内閣府)。

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