不思議なフラーレンのつくりかた――研究は『わからない』から始まる
今日はきれいな形で少し不思議な物質「フラーレン」についてお話しましょう。その性質もさることながら、作り方について考えるとなぜ出来てしまうのか首をひねってしまうかもしれません。
天然のサッカーボール フラーレン
世の中にあるきれいな形の物質、不思議な性質の物質の中から、天然のサッカーボールと言われるものを紹介しましょう。名前は「フラーレン」といいます。なんで天然のサッカーボールといわれるかは、画像を見ればわかると思います。
ね、サッカーボールでしょう?
図の解説をしますと、灰色の球は炭素原子を表しています。白い棒は炭素同士のつながり方を表しています。分子式はC60、すなわち炭素原子が60個つながってできています。(※注)
実際、形をよくみるとサッカーボールと同じように五角形と六角形が貼り合わされたように炭素がつながっています。(機会があればサッカーボールの白黒模様と比べてみてください。)
このように何故こんなものが自然界に存在するのかも不思議な形をしている上に、HIVの特効薬になるかもしれないとか、フラーレンの中の空洞になんか入れちまったぜと言った研究者がいっぱいいるとか、量子力学的な性質としてダブルスリットを同時に通過するとかいうことがわかっていて、研究者も興味津々で大変可愛がられている物質なのです。
フラーレンという物質の形と性質について少し知ることが出来ました。ではその作り方は……ということなのですが、実はその生成過程を考えると少し奇妙なことがおきていることに気づきます。
普通の物質のつくりかた
ちょっと脇道にそれますが、普通は化学物質の合成をするとき熟練の化学者たちがどうするかというと、(これもよく考えると不思議な話なのですが)物質の構造を調べた上で特定の部位を狙い、物質同士をきまったところにくっつける反応を起こすのです。例えば下の画像は、物質同士を(100%完璧とは限らないが)狙ったとおりにくっつける反応の一例です。
(図は、天才化学者が根気強く研究して素晴らしい薬品を発見した結果として青いHと青いCを交換して赤いCの隣にくっつける反応ができるようになった例。そして最終的には適切な訓練を受けた化学者が材料を買えば誰でもできるようにする。有機化学とは大体そういうもの。出典はchem-stationより、エモリー大学のDavies教授らの研究 画像は筆者作)
変わったフラーレンのつくりかた
ところがフラーレンの合成法はそのような丁寧な作り方をしておらず、非常に確率的な作り方をします。いまから紹介するのは、1990年に発見されたアーク放電法という名前の合成法で、フラーレン研究初期に見つかった簡単でかつグラム単位で合成可能な方法です。(以下作り方は季刊フラーレン No.6 平成6年7月号 東大工 丸山茂夫 を参考にした。PDF注意)
1.まず真空の筒をつくります。
2.そこにアルゴンガスという普通は特になんの反応もしない気体をちょっとだけ(大体普段地上で暮らしていて感じる気圧の10分の1くらいが目安)入れます。
3.そして黒鉛でできた電極を通じて、基本的に電気を通さないアルゴンガスに超無理やり電圧を掛けて、アルゴンガスが発光するレベルまで電気を通します。
4.すると黒鉛の電極からススができるので、その中を調べるとフラーレンがそこそこあります。
5.かき集めると一日100mg程度は作れます。
おおまかにいうとこういう手順です。超無理やり電圧を掛けるといっても想像がつきにくいかもしれませんが、筒の中をずっと通電してるミニ雷だと思ってもらって大体大丈夫です。
黒鉛というのは鉛筆の芯みたいなものを想像していただいて構いません。黒鉛もC原子の塊なので、無理やり電気を通すと分解してくっついてフラーレンになるのです。
本当にそれで出来るのか?
でも分解してくっついてフラーレンになるといっても、その過程をつぶさに見ていくとやはりなにかがおかしいことに気が付きます。
1.まず超無理やり電圧を掛けて筒の中が高温になると、C原子の塊である黒鉛の一部が分解して、C原子が1個ずつ誰ともつながっていない状態になる。
2.放電中はC原子が誰かとつながろうとしても高エネルギーのためつながりが切られて基本的にひとりぼっちです。
3.放電が終わって冷却が始まるとC原子は勝手に他のC原子同士つながり始めます。
4.好きなようにつながったC原子同士はたいてい乱雑な形になるのですが、一定の割合でフラーレンになっています。
いや、おかしいでしょう。
C原子同士を1個ずつに分離してもう一度組み立てたら勝手にサッカーボール型になっていて、しかも1個や2個偶然できたのではなく10の23乗個レベルで存在しているというのです。
たとえるならば、ガンダムのプラモデルを大量に買ってきて全部パーツを切り離した後もみくちゃにしていたらなぜか完成しているガンダムがそこそこあるというくらい不思議な話といってもいいでしょう。
じゃあ逆に天才化学者の頭脳を使ってC原子を1個ずつ組み上げる方法で作ったらもっとうまくいくんじゃないか? そう思われるかもしれません。そして多くの化学者が挑戦して、2002年、ついにその方法を編み出しました。しかし更に改良を加えた2008年段階でも確かにC原子のムダは少ないが手間的にも大量合成的にも今後に期待という状況です。謎の確率的方法を使ったほうがまだ効率的かもしれないというのもまた不思議な話ですね。
なぜ自然とできるのか
なぜこんなものが自然とできるのか。もちろん理由はいくつかあります。
ひとつは、こう見えて反応のゴールであるサッカーボール型が意外と安定な形であること。
もうひとつは、フラーレンを作るときにベンゼンという非常に安定な物質を5つくっつけた皿状の物質を経由すると、安定な形を経由しながらサッカーボールがつくれることがわかっていることです。
つまりフラーレンになる前の中間的な形状の物質が安定なためそこに落ち着く割合も多く、そしてフラーレン自身も最終的に安定な形なのでそのゴールまで到達する割合も多いということなのですね。
わかったかわからないかより大事なこと
今回紹介したアーク放電法はフラーレン研究の最初期に見つかった合成法ですが、その後トン単位でフラーレンがつくれるようになってからも原理としては基本的に変わりません。純度が高くなければグラム500円で売っていた時代もあったらしく、もはやフラーレンが作れるのは当たり前で、その方法も実質放置に近いようなものです。
ここまでサッカーボール型の物質「フラーレン」の作り方についてお伝えしてきました。この記事を読んで作れる理由がわかったと思われたでしょうか、それともやはりこんなものが勝手にできるというのは不思議な話だと思いましたでしょうか。それは興味の方向性という個性ですから、どちらでもいいと思います。
おっと、今日はどうでもいい、もうわかったと思ったかもしれません。しかしまた別の機会に、この記事とは全く別の問題についてあなたは不思議だと思うかもしれません。わからなくてもやもやする、その瞬間のことを思い浮かべてみてください。
いまここでフラーレンの不思議な話をすることが出来たのも、この物質を不思議だと思って研究した人がいて、全世界に発表してくれたからです。
その研究の原動力は不思議、わからない、知りたいだと思います。
実際のところ、どのような分野でも研究というものはここまでわかったという段階が1mmずつ進んでいくような感覚です。全く進まずとってももどかしいものなのです。フラーレンのように多くの研究者の目に留まってずんずん進む場合もありますが、ほとんどの研究は世界で一人しかそのことについて知らないし誰もやってないというものばかりです。
そのような研究という活動において、一人ひとりの研究者が貴重な人生の時間を割いてちょっとずつ分かったことを論文として発表します。実はその論文に書かれていることはまだ正しいとは限りません。読んだ人が試してみたり研究者同士で議論したりして「やはり違う気がする」とか「どうも正しいらしい」とかいう論文を新しく出し、そしてまた議論になります。これが論文というシステムなのです。
研究はそうやってちまちまと進んでいくので「ここまでわかった」と「しかしまだこれがわからない」が同時に発生することが日常的です。むしろ論文が発表されたことで「これがまだわからない」ということが増えてしまったとしても、そのために多くの研究者の目に留まって活発な議論がなされ、かえって多くのことがわかったりすることもあります。
「わからない」そして「知りたい」
わからないというのは答えがハッキリしないので気持ち悪いことに感じるかもしれません。うやむやなままでいるよりは、スッキリした答えがほしいというのが人情だと思います。
それは多くの研究者も同じで、人生のすべての問題について答えを曖昧なままにしておく人はいないと思います。しかし自分が興味を持った問題については、自分の中で「不思議だ」「わからない」から「知りたい」が生まれて、それが研究のモチベーションになるのです。そうして人それぞれ違った「知りたい」を分担して研究することで、人類全体の知識がほんの1mmずつ進んでいく。それが研究というものなのです。
さて、この記事を読んで作れる理由がわかったと思われたでしょうか、それともやはりこんなものが勝手にできるというのは不思議な話だと思いましたでしょうか。
どちらの感想を抱いたとしてもよいのです。そしてもしわからないと思い、もっと知りたいと感じるものに出会ったのであれば、そのことを突き詰めていくことによって新たな世界を切り拓くことがあるのかもしれません。
研究の世界へようこそ!
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