電子オルガンコースを首席卒業し、他コースの大学院へ! 洗足に6年間通った私が“プロの音楽家”になった話
こんにちは! 私は今年、洗足の大学院を修了した、呼野 阿美香(よぶの あみか)と申します。現在は作編曲・演奏家、そして洗足オンラインスクール助手としても働いているのですが、大学は「電子オルガンコース」で学び、大学院では「音楽・音響デザインコース」で作編曲を学んでいました。
気づけば、社会人生活が始まってから約半年。少し生活も落ち着いてきたので、大学生活6年間を振り返ってみよう! と思い、この記事を書いています。
振り返ってみると、本当にさまざまなことがありました。私はコロナ禍に直撃した世代でもあるので、進路のことを含め、生きていくうえでどれほど悩んだか分かりません……。きっと、いま洗足に通っている方の中でも、コロナ禍の影響を受けて将来のことや進路に悩んでいる方は多いのではないでしょうか。
そこで今回は何かの参考になれば……と思い、6年間の振り返りを兼ねて、洗足に通う学生のみなさんへのメッセージを書きました。ぜひ、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
電子オルガンの魅力に惹かれ、洗足へ
大学では「電子オルガンコース」で学んだと先述しましたが、私が電子オルガンコースに進学した理由は、それ以外考えられなかったからです。母がピアノと電子オルガンの先生だったこともあり、私は幼少期からヤマハ音楽教室で、ピアノと電子オルガン(エレクトーン)を習っていました。
教室に通ううちに、さまざまな音が出てひとりで演奏できる電子オルガンの魅力に惹かれ、学校から帰ったら練習、土日も練習かレッスンへ……という音楽漬けの生活を送っていました。それだけ音楽が好きでしたし、私は音楽しかまともにできなかったと感じています。
ありがたいことに、電子オルガンのコンクールで全国大会に出場させていただけたり、さまざまなイベントで成績を残すことに繋がったりしていたので、いつからかわかりませんが「自分は音大に行くんだ」と思って過ごしていたように思います。母が音大を卒業しているので、今思うと憧れの気持ちもあったのかもしれません。
そんな感じで、遊びはもちろん、勉強もゼロ。他のものを全て捨てて音楽だけに時間を使う中で、音楽大学へ進学することを決めたのです。
経験を積む中で、作編曲に興味を持ち始める
電子オルガンコースではコンサート出演のオーディションに積極的に参加したり、既成曲はもちろん、自作・自編曲を演奏したり、ピアノコンチェルトで弦楽器と一緒にオーケストラパートを演奏したり……。たくさんの素晴らしい時間を過ごしました。
さまざまな経験を積む中で、大学2年生の頃から作編曲という分野に大きく興味を持ち始め、「自分の作った作品を生の楽器に演奏してもらいたい!」と思うようになりました。音楽・音響デザインコースへの転科を考え始めたのがこの時期です。
しかし、「今、転科したら電子オルガンも作編曲を学ぶことも中途半端になってしまうのではないか」と思い、悩みに悩んだ結果「4年間は電子オルガンコースで精一杯学び、首席で卒業して電子オルガンとは一区切りつけよう」という考えに至りました。
留学を視野に…突然訪れた“孤独なコロナ禍”
大学2年生の後半から考え始めたのが、大学卒業後の進路について。作編曲を学びたいと言っても、映画や劇伴、ゲームなどの音楽制作など、多岐に渡ります。その中でも私は映画や劇伴の音楽作品にとても興味があったので、音楽・音響デザインコースへの転科に限らず、留学も視野に入れて考えるようになりました。
電子オルガンのレッスンをしていただいている先生に相談したり、興味がある学校のホームページを見たり。あとは、少しでも言葉を話せた方がいいと思ったので「言語は少しずつやっておくか〜」といった感じで、時間があるときに準備を進めていました。
目標とする首席卒業のために全力で頑張る日々を送る中で、あっという間に大学4年生になりました。しかし、そんな矢先、世界的パンデミック・新型コロナウイルスの時代に突入してしまったのです。
大学4年生に進級する前の春休みから自粛生活を送ることになりました。自粛生活最初の頃は、こんなにも重大で長引く出来事になるとは思っておらず、「留学について考える時間や練習時間ができた」と前向きに捉えていたほど。とはいえ、なかなか収まる気配もなく、大学4年生になった4月の授業からオンラインで授業が開始されるようになりました。
ここには書ききれないほどの不安・ストレスに襲われたことを覚えています。教育実習の見通しが立たないことへの不安、大学を卒業するための卒業試験に関する不安。さらにはオンライン授業・レッスンだからこそ増える課題の量、突然消えた“留学”という選択肢……。
この頃から、とんでもないことが起きてしまったと強く実感すると同時に、先が見えない日々に何から考えればいいのか、何をすればいいのか、何もかも分からなくなっていきました。音楽を演奏する人も作る人も、自分自身と向き合う時間が長くなってしまうので孤独感を感じる人も少なくないと思いますが、当時は人に会うことも気分転換もできず、孤独すぎるほど“孤独”になってしまったのです。
なので、この頃の写真は何もなく、私の中では本当に時が止まっていました。
先生に出会っていなければ音楽を辞めていた
もちろん音楽は大好きでした。でも、孤独な中でさまざまなことを考えていたら、今まで通りの考えではいられなくなり「もう、音楽やめたほうがいいのかな……」と本気で思った時期もあります。
でも不思議なことに、悩めば数日後にお仕事が来て、また悩めば数日後にお仕事が来る。一歩踏み出せるきっかけになるような出来事が1~2回ではなく、頻繁に起こるようになりました。
もちろん偶然だったのかもしれませんが、そのときの私は偶然だとは思えず、音楽という存在に助けてもらい、背中を押してもらっている。そんな気がしてならなかったのです。
そして、いつも寄り添い支えて下さった、先生の存在。毎回、画面の向こう側にいらっしゃる先生にレッスンをしていただいたり、雑談をしたり。そんな時間が、私にとってはとても幸せで嬉しかったのです。
その時間だけは悩みの全てを忘れることができたため、レッスンが終われば狂ったように勉強し、頑張ることができました。頑張りすぎてご心配をおかけしたこともありましたが、そんな日々を送っているうちに、どんどん前向きになっていき、自分の将来をしっかりと思い描くことができるようになりました。
先生に出会っていなければ、私は音楽をやめていたと思います。誰もがはじめて味わう大変な日々だったはずで、先生もその中のひとりだったはずなのに、私のことをずっと支えてくださりました。先生には、今も心から感謝しています。
留学ではなく、大学院への進学を決意
新型コロナウイルスの勢いが収まった数年後に留学という道も考えました。ですが、それがいつになるのか分からなかったし、まだまだ日本で学ぶことは山のようにあるなと思い、洗足の大学院への進学を決意しました。そこで選んだのは、一度編入しようか悩んだ音楽・音響デザインコースです。
そもそも大学は“勉強をする場所”、大学院は学んだことを深めて“研究をする場所”です。私の場合、電子オルガンで大学院に進学するのが一般的な流れだったかと思いますが、やはり作編曲を学べる環境に身を置きたいと思っていたことに加え、音楽・音響デザインコースの目玉であるコンサートイベント「MUSIC DESIGN SYMPHONIC ORCHESTRA(通称:音デオケ)」では自作品をフルオーケストラで演奏していただける可能性があるという部分に強く惹かれ、音楽・音響デザインコースへの進学を決めました。
大学院に合格&首席卒業を達成!
大変な状況の中でしたが、11月に大学院の入試を終え、結果を待っている翌年1月。大学院「合格」の結果をいただきました。そして目標として掲げていた「首席卒業」を達成することもできました。
孤独な中でさまざまなことと向き合いながら、一生懸命頑張った末の成績。大学院に進学するうえで、大きな自信と支えになってくれたと感じています。
無事に卒業し、いよいよ大学院生に。2年間という時間をどう使っていくか、春休みの間に考えていました。電子オルガンコースとは全く異なる環境に身を置くため不安もありましたが、自分の力がどこまで通用するのか楽しみでもありました。そして、入学式を迎え、大学院生活が始まっていきます。
大学院に進学するも、DAWソフトの扱いに苦戦…
音楽・音響デザインコースに進学して待ち受けていたのは、自分が想像していた以上に大変な日々でした。作編曲を学べる環境に身を置いたわけなので覚悟はしていたのですが、音楽を作る以前の問題で躓いてしまったのです。
電子オルガンは人生の9割以上触れてきたので、操作には詳しいですし、自分が思った通りのサウンドになるよう音色を作ったり演奏したりすることができます。しかし、音楽・音響デザインでは主にパソコンを使用したDAW(Digital Audio Workstationの略)ソフトで音楽を作っていくので、どうしても知らないことばかりだったのです。
ちなみに、採用されたら自作品を演奏していただける音デオケの1次審査では、パソコンで制作したデモ音源の提出が絶対でした(絶望しました)。
大学時代に遊びや副科で、音楽制作ソフトを触ったことがあったものの、「自分の理想とするサウンドを作り出すまでには何年かかるのだろうか……」、「これでは音デオケの審査に出すこともできない……」と途方に暮れる日々。
しかし、ある日突然こんなことを思いました。「何も分からないけど、とりあえず、がむしゃらにやっちゃえ!」と(笑)。多少、投げやりだったのかもしれませんが、とにかく分からないことは調べて、ソフトも触りまくって、結果間違っていたとしても自分が思ったことは全部試してみる。そんな気持ちで、目の前のことをひとつずつ取り組むようにしました。
毎日、寝る時間を惜しんで短い曲を作ってソフトに打ち込んでみたり、音楽制作のお仕事から勉強したり、動画や本で勉強したり……。今考えても、本当によく体調を崩さなかったな〜と思ってしまうほどの生活でした(その頃送っていた生活の様子は、以下の記事に記載しています)。
その結果、徐々に何とか自分の理想とするサウンドを作れるようになっていき、無事、音デオケにも出演させていただくことができました。
このとき書いた曲はピアノとストリングスだけのシンプルな編成だったのですが、洗足のYoutubeにアップされているので以下からぜひお聴きいただければ嬉しいです!
音デオケが、私のスタート地点
はじめて自分の作品を生楽器に演奏していただいたとき、言葉では言い表せないほどの大きな感動と達成感がありました。これは、今後もずっと忘れないと思います。
そして、この音デオケの後、先生方や聴衆のみなさんから、ありがたいことにたくさんの嬉しいお言葉をいただき、そこから急激に音楽制作や演奏のお仕事のお話をいただけるようになりました。大学院に入学したときは、考えてもいなかったような出来事に驚いてしまいましたが、音楽を続けていて良かった、あのとき大学院進学を選んで良かった、洗足で良かった!とたくさんの“良かった”が頭を駆け巡ったのを今でも鮮明に覚えています。
「来年の音デオケでは、フルオーケストラ作品を響かせたい!」
そう決意して、とにかく勉強に明け暮れた日々。大学院2年生、最後の音デオケで、フルオーケストラの作品を響かせることができました。
大学院2年生では修士副論文を書かなければならず、音楽制作と論文、そしてお仕事……とかなり忙しかったのですが、なんとか乗り越えて大学院を無事に修了しました。
洗足の大学院に進学し、音楽・音響デザインコースで学ぶことができたから、ご縁に恵まれて今まで以上に素敵な経験ができた。私にとって音デオケは、間違いなく自分の音楽人生のスタート地点になったと思っています。
大学院修了後の現在
大学院を修了してからも、音楽のお仕事に携わらせていただいています。直近では、8月に1ヶ月間行われた『銀河鉄道ノ夜』という音楽朗読劇で、演奏を担当させていただき、元宝塚トップスターの壮一帆さん、ドラマ・映画に出演中の貫地谷しほりさんはじめ、錚々たるキャストのみなさまとお仕事をさせていただきました。
その他、劇伴作品の譜面制作や自作品の音楽制作、レッスン講師もしています。また、今年の9月からは、洗足オンラインスクールでも働いており、お世話になった母校に戻って来られたことを幸せに思っています。バラエティに富んだ日々で、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。
洗足へ通うみなさんに
私もまだまだこれからなので偉そうなことは言えませんが、とにかく何事も“向き合って”みてください。好きなことだけじゃなくて、苦手なこと、嫌いなことにもです。
好きなことでも、追求していく中で嫌いだと感じてしまうこともあると思います。逆に、嫌いだったけれど向き合ってみたら意外と興味が出てきた!なんてこともあるかもしれません。嫌いなことはできれば向き合いたくないものですが、向き合った分だけ将来の自分を支えてくれる大きな力になると私は思っていますし、それを身をもって実感しています。
生きていく中で突然大変なことが起こる瞬間もありますが、周りの人への愛と感謝を忘れず、有意義な時間を過ごしていただけたら幸いです!
Text by 呼野 阿美香
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