ヴォーン・ウィリアムズのススメ
2022年は、イギリスの作曲家、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(以下、RVWと表記)の生誕150年のアニバーサリー・イヤーです。アニバーサリー・イヤーということで、RVWが盛り上がっているかどうかと言われると、特にそんなこともなく、コンサートで取り上げられる機会が普段よりほんの少し増えた程度です。日本ではさほど取り上げられないこの作曲家ですが、本国イギリスをはじめ西洋では、作品の量、質ともにイギリスの作曲家の中で最も評価されているうちの一人です。今日は、そんなRVWの魅力をご紹介したいと思います。
RVWの詩的な交響曲
RVWを語る上で、最も重要なのが9つの交響曲でしょう。中期以降、ライフワークとして取り組んでいた9つの交響曲を順に追っていくことで、彼の作風の変化を見ることができます。
最初の交響曲、《海の交響曲》が完成したのは1910年。作曲家が38歳の頃です。RVWはそれまでに交響詩《沼沢地方にて》や、歌曲集《ウェンロック・エッジで》、弦楽合奏曲《トマス・タリスの主題による幻想曲》など、代表的な作品をいくつも残しており、交響曲の分野に参入するのは比較的遅かったと言えます。《海の交響曲》は、独唱・合唱を有する最大規模の作品で、壮大な中にもRVW特有の五音音階的なイギリス民謡の要素も多分に含まれている、聴きどころの多い作品です。
2番目の交響曲《ロンドン交響曲》は、情景の浮かぶ詩的な作品。“霧の街”と言われるロンドンにふさわしく、茫洋とした曲調で始まり、ウェストミンスターの鐘(日本では学校のチャイムで知られる)など、具体的な情景描写も含まれます。全体を通して、『ロード・オブ・ザ・リング』などファンタジー映画のサウンドトラックのような、ドラマチックな世界観です。
RVWの作風の変化と世界大戦
さて、RVWの作品は、しばしば戦争と絡めて語られます。3番目の交響曲である《田園交響曲》は、1923年に完成した、彼を代表する印象主義的で牧歌的な作品ですが、そこには、第1次世界大戦で失った友人への想いが綴られています。すべての楽章が、モデラートよりも遅いテンポで書かれており、ダンスミュージックである第3楽章ですら、作曲者本人によって「スロー・ダンス」と形容されています。第1楽章は、次々と移ろうイギリスの自然あふれる風景を描いているようで、印象主義的な中にもドイツ的なソナタ形式の構成美も備え見事。終楽章には幻想的なヴォカリーズが含まれ、徐々に感情が高ぶっていくような感動的な音楽が紡がれます。
このころ、この《田園交響曲》やヴァイオリン協奏曲《揚げひばり》(1920)など、印象主義的でひなびた感じの作風で知られていたRVWですが、1930年代に入ると、徐々に暴力的な表現が増えていきます。その代表例が、1934年に完成された《交響曲第4番》。いきなり不協和音を含む暴力的な曲調で始まります。全4楽章を通して、これまでの作風とは大きく違った緊張感と攻撃性に包まれたこの作品を聴いた時、聴衆の多くは困惑したと言います。この作風の変化には、当時迫りつつあった巨大な戦争(第2次世界大戦)の足音を作曲家が察知したもの、という解釈があります。
そして、実際に第2次世界大戦中に書かれた、正真正銘の戦時中の作品《交響曲第5番》はどんな作品だったのか…。その答えは、これ以上ないほどの優しさに溢れた、美しい作品でした。編成はRVWの交響曲の中で最も小さく、ティンパニ以外の打楽器を要しない2管編成によって描かれています。特に第3楽章は、まるでジブリの音楽のように親しみやすく感動的。日本では、RVWの交響曲の中では比較的演奏される機会も多い作品です。
戦後の1944年から1947年にかけて作曲された《交響曲第6番》では、再び攻撃的な作風に返り咲き、その緊張感はショスタコーヴィチを思わせます。編成の中にはテナー・サックスが加わり、第3楽章では印象的なソロを奏でます。最も注目すべきは終楽章で、それは“虚無”の世界。何も発展しない、暗く冷たい静かな音楽。“無音”以上の虚無感を聴く人に与えます。
晩年の“謎”の領域へ
《交響曲第5番》(1943)の完成時点ですでに70歳を超えていたRVW。歴史上の多くの作曲家は70歳と言えば、すでに晩年と言われ、91歳まで生きていたシベリウスも、60歳ごろにはすでに引退しています。しかし、RVWは、《第5番》以降、85歳で世を去るまで、4つの交響曲をはじめ、多くの作品を書き残しています。
RVWは、映画音楽も多く手掛けていますが、その中の一つ、映画『南極のスコット』の音楽を再編して交響曲にしたものが、7番目の交響曲《南極交響曲》(1952)です。映画音楽の再編、ということで、南極の氷や寒さ、風、幻想的な風景などが多く描写されています。それらを表すために、チェレスタやパイプオルガン、ウィンドマシーン、女声合唱・独唱のヴォカリーズなど、多彩な楽器を駆使しています。
1955年完成の次の交響曲《交響曲第8番》も、多くの楽器を駆使しています。怪しげなオルゴールのような冒頭が魅力的ですが、その後第2楽章は管楽器のみで演奏され、第3楽章は弦楽器のみ、第4楽章は打楽器に見せ場を多く作るなど、オーケストレーションの面から遊び心を爆発させています。
作曲家の死の前年、1957年には、《祝婚歌》という作品が作曲されていますが、これはアメリカのミニマル音楽の作曲家、S.ライヒを思わせるオーケストレーションです。そして同年には、最後の交響曲である《交響曲第9番》が書かれました。この交響曲を一言で表すなら“謎”でしょう。何度聴いても覚えられない、どこへ向かっているのかわからないようなメロディ、そして3本のサクソフォーンを含んだ、どこか重苦しく不思議なオーケストラの響き。この作品の最後では、どこか宇宙の外の、知らない世界へ消えていくような感じもします。それでいて、初期RVWのひなびた感じもどこか感じる、まさに人生を表すかのような傑作になっています。
交響曲以外の功績
ここまで、RVWの交響曲を中心に、彼の作風の変化を見ていきましたが、交響曲以外にも彼は大きな功績を残しています。
まずは吹奏楽。日本で最も演奏されているRVWの作品は、交響曲でも有名なヴァイオリン協奏曲《揚げひばり》でもなく、実は吹奏楽作品でしょう。中でも《イギリス民謡組曲》は、ホルストの《吹奏楽のための組曲》に並ぶ、最も人気のあるイギリスの吹奏楽作品です。本学においても、RVWの作品は、吹奏楽の演奏会で幾度か取り上げています。
さて、RVWの最大の功績の一つと言えるのが《チューバ協奏曲》でしょう。この作品は、1954年に委嘱により作曲されましたが、音楽史上初めて、チューバをソロ楽器として扱った協奏曲です。当時、ソロ楽器として全く見られていなかったチューバをソロ楽器としてチョイスした82歳の冒険心には脱帽します。チューバの持つモアモアとした音色を巧みにオーケストラで際立たせ、楽器の特徴を最大限に生かしたこの作品は、ソロ・チューバの未来に大きな影響を与えました。
RVWはもっと日本でも演奏されるべき
RVWは、作曲家としての歴史上の重要性、残した作品の量や質からしても、もっと日本でも評価されるべき作曲家であると、筆者は常々思っています。映画音楽のようにキャッチーで、特にジブリっぽさがあるので、普段クラシックを聴かない人でも十分に楽しめます。さらに、RVWが基調としているイギリス民謡は、我々の日本民謡と音階的にも似通っており、彼の音楽に“懐かしさ”や“郷愁”といったものを感じると思うのです。
一方で、RVWは深みが無い、個性が無い、という意見もあります。以前、イギリスで活躍するある有名な日本人作曲家がTwitterで「RVWの音楽って、本当に水っぽいインスタント味噌汁みたい」と揶揄していました。壮大だけど中身がない、といった意味合いです。クラシックのマニアックなファンが普段からよく聴くベートーヴェンやマーラーといった作曲家は、非常に個性が強く、主張をガンガンしてくるような音楽です。そういうものに芸術性を感じる人からすれば、RVWは少し物足りなく感じるのでしょう。ただ、そうしたマニアックなファンたちは、知らず知らずのうちに、耳が疲れているものです。たまにRVWの音楽を聴けば、サウナの後の水風呂のように、真の心の安らぎが得られるのでは無いでしょうか?
とにかくRVWはただならぬポテンシャルを秘めた作曲家です。映画音楽、ジブリ、吹奏楽、日本民謡、サウナ…と、日本人の好きな要素がめちゃくちゃ詰まってます。残念ながら、これだけの日本人に合うポテンシャルを秘めた音楽を、日本人が耳にする機会はほとんどありません。演奏会で取り上げられる機会が極めて少ないのです。今年は生誕150年のアニバーサリー・イヤー。例年よりは取り上げられているとはいえ、もっともっと演奏の機会を増やし、多くの人たちに認知してもらうべきです。RVWの作品が、普段からスタンダードな演目として挙げられるような時代が来るといいなあ、と、RVWをこよなく愛する筆者は思っています。
Text by 一色 萌生
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