正規教員になることが全てじゃない。音楽教育コース・牛頭真也先生に訊く、柔軟な“教員キャリア”の重ね方
洗足学園音楽大学の魅力の一つは、多様なバックグラウンドやキャリアを持っている教員が多数在籍していることです。本シリーズでは、魅力ある教員の多彩なキャリアをインタビュー形式でお伝えしていきます。
“教育者”を夢見て洗足へ
──洗足を受験したきっかけを教えてください。
洗足への受験を決意したのは高校1年生の夏のことでした。小学校、中学校、高校、そして大学まで同じだった馬場章子さん(管楽器コース卒業生)という幼馴染がいたのですが、私の母と彼女の母が仲良しだったんですね。
それで、彼女が洗足を受験するという話の流れから、「そんなにピアノが好きだったら真也くんも音大に行かせちゃいなよ!」みたいな話になり。細かないきさつはいろいろとあったのですが、主にそのような経緯から門倉美香先生(ピアノコース)、金井公美子先生(音楽教育コース)とのご縁も生まれ、音大受験のためのレッスンに通い始めることとなりました。
親は卒業後の進路に不安を持っていました。しかし、私が小学生の頃から「教員やピアノの先生になりたい」と思っていたことを知っていたので、「そんなに好きなら!」って背中を押してくれました。
そうして最終的に洗足を受験し、無事に合格。大学の4年間はとにかくピアノをたくさん弾いて、教職課程も履修して、目の前のことにひたすら取り組み続ける学生生活を送ることができました。
教員採用試験は不合格。教育系の大学院へ
──牛頭先生は上越教育大学大学院に進学されていますよね。当時のお話を伺いたいです。
大学4年生のときに教員採用試験を受けたのですが、教育実習やピアノの実技試験を始め、いろいろなことが重なってしまい、結果は不合格。受からないだろうな……と内心では思いながらも、受けた試験でした。
ただ、それと同時に、洗足ではピアノをたくさん弾いて、音楽の勉強をさせてもらえたからこそ、改めて学校教育と音楽科教育のことをイチから勉強したいとも思ったんです。もちろん教職課程でも多くのことを学べましたが、大学院に進んでもっと学びを深めてみたいって。
どこの大学院に行くかは迷いましたが、いろいろと探している中で全国各地の現職教員の皆さんが内地留学という形で集まってくる大学院の存在を知ったんですね。一般的な大学院というよりかは、“現職教員が集まる学校”がいくつかありました。
それで候補に挙がったのが、上越教育大学大学院、鳴門教育大学大学院、兵庫教育大学大学院の3校。悩んだ結果、教員の研究内容や環境などを考えて上越教育大学の大学院を受験し、無事に進学することとなったのです。
──大学院では2年間、どのようなテーマで研究を進められたのでしょうか。
実は“2年半”なんです。修士論文は「R.シューマンのピアノ・ソナタ ヘ短調作品14の研究」というテーマで執筆したのですが、入学時は「高等学校の芸術科音楽」に関する研究をしていました。
──2つのテーマ、大きく内容が異なるように感じます。
そうなんです。半年間は音楽教育に関する研究を進めていたんですけれども、同期に2人、ピアノに関する修士論文を執筆している人がいたこともあり、やっぱり「ピアノの研究がしたい!」と思ってしまって……。特別に認めていただき、半年分だけ期間を伸ばして修士論文を完成させることにしました。
──教育系の大学院に進んでも、やはりピアノへの想いは強かったのですね。
音楽科教育に関する授業や講座、研修、地域の学校訪問など、学校教育全般についても勉強になることはたくさんあったんですけれども、そっちだけになってしまうとどこか寂しい気持ちもありました。「やっぱりピアノがないとな」って。ただ、そんな気持ちも実際に大学院に行かなければ気づけなかった部分だと思うので、やはりチャレンジしてみるからこそ得られるものはたくさんあるのだと、そのときに感じました。
正規教員への迷い、非常勤でやりたいことを両立
──大学院を修了されるタイミングで、教員採用試験を再び受けられたのでしょうか。
教員への夢は持ち続けていたのですが、臨時的任用職員(臨任)や非常勤講師という選択肢もあったので、実は正規教員として生きていくことへの迷いを感じ始めていました。
正規教員になって、朝からずっと週5で働く。それは自分の夢でしたし、実現させたかったのはもちろんなのですが、何はともあれ公務員になってしまうじゃないですか。公務員になってしまうと、収入を得るような形では演奏活動やピアノのレッスン活動もできません。
また、神奈川県に限らず、他の都道府県でも仕事をしてみたい気持ちもあったため、採用試験を受けるよりも、まず非常勤や臨任の先生として働いてみたいかも、と感じたのです。
──そのような選択もあるんだな、と感じました。あえて非常勤や臨任という立場を選ぶことで、自分の活動も継続する。とても柔軟な働き方なように思えます。
そうですね。修了後の1年目は千葉県浦安市にある中学校で非常勤の音楽専科教員として、2年目は横浜市立小学校で臨任の音楽専科教員として務めました。ただ、臨任の教員は正規の先生の代わりという立場で入るので、書類等を出さないと副業はNGなんですね。なので、その後に再び非常勤講師(音楽専科)という立場になってから、自宅でピアノ教室を開き、レッスンを行うようになりました。
学校の先生になりたい夢と、ピアノの先生になりたい夢。非常勤という働き方を選択したことで、結果的にどちらも実現できました。もちろんお金の面では親の援助もありましたし、実家に住んでいたからこそ実現できた部分はあると思いますが、自分のやりたいことをひとつずつ叶える方向に進むことができて、本当によかったと感じています。
音楽の授業と人権教育の研究に力を注ぐ
──牛頭先生のプロフィールには「人権教育を踏まえた学校音楽教育について研究を行っている」と記載がありました。研究のきっかけや内容について、詳しく伺いたいです。
臨任の教員として横浜市の小学校で働いていたときのことなのですが、授業の他に「人権・児童指導部」の担当(校務分掌)を務めていました。人権教育は私たち皆に必要なことだと思っていましたし、すでに日本国内の学校教育ではさまざまな取り組みがなされていたからこそ、「これって音楽の授業でも具体的に考えていかなければいけないことじゃないか?」と改めて思ったんですね。それがこの研究に取り組み始めたきっかけです。
音楽の授業だけに限った話ではないものの、教員の立ち居振る舞いが子どもたちにものすごく影響すると思うんです。さまざまな指導方針をお持ちの先生がいますので、何が良い・悪いといった話ではないのですが、伝え方や指導の方法によっては子どもたちの教育そのものにネガティブな影響を及ぼしてしまうのではないかと考えています。
地域にもよりますが、小学校の音楽の授業は担任の先生から離れ、音楽専科の先生と別教室で受けることになるじゃないですか。あまり深く知らない先生の前で歌うのが恥ずかしくて嫌だとか、自分を表現するのが嫌だ、とか。いろいろあるんですよね。なので、まずは子どもたちが心から“安心”して歌える(活動できる)環境を作るためにはどうしたらいいかを考えて、取り組み始めました。
──やはり音楽の授業で子どもたちと接する中で、「安心して歌えていない」と感じることは多かったのでしょうか。
音楽の時間では、「歌う」ことって多いですよね。その中でも「歌いなさい」とか「やりなさい」みたいなケースになる話を聞くことも多く……。それを否定するわけではないのですが、子どもたちが生き生きとすすんで取り組んでいける雰囲気を作りたいと思ったんです。
そこで取り組んだことのひとつとしては、発表を受け止める側の度量を作ることでした。子どもがクラスメイトの前で発表したときに、クラスのみんなが認めてくれる、アドバイスや意見を出し合える環境づくり。
「ただ歌います」だけじゃなくて、そんなことに意識を向けてみたらクラス全体の空気が生き生きしてきたんです。きっとこの方向性は間違ってないのだと、そのときに感じられました。もちろんこれは、学級担任の丁寧な学級経営もあってのことです。
教員自身がどう子どもと向き合うのかといった部分に関しては皆さん関心を持たれているんですけれども、音楽科教育と人権教育についての論文や発表は、ほとんど見かけたことはありません。ですので、このテーマはこれから先も深掘りし続けていきたいと思っています。
また、世界の音楽教育に影響を与えたコダーイ・ゾルターン、エミール=ジャック・ダルクローズ、カール・オルフの音楽教育について、大学の授業でも取り扱っているのですが、実は彼らも音楽の知識や技術だけを教えようとしていたわけではなかったんです。音楽を通じて、子どもたちの人間性を育てることも大切だと言っていたんです。
知識や技術を教えることは大切ですが、それ以前に子どもたちって私たちを隅から隅までしっかり見ているじゃないですか。だから、そういうところも含めて、やはり教員自身が人間性を磨き続けていく必要があるのではないかと強く感じています。
ピアノを教えて研究も続けたい
──牛頭先生が今後取り組んでいきたいことについて、教えてください。
音楽教育については研究会などで学んでいくのですが、ピアノを教えることは絶対に続けたいです。やっぱりクラシックのピアノは大好きですし、何よりピアノを弾くことで気持ちも落ち着きますしね。忙しい中でもピアノに関する研究は続けていきたいと思っています。
それと、先ほどお伝えした人権教育について、近隣の学校とコミュニケーションを取りながら、進めていきたいと考えています。
また、実はブルクミュラー『25の練習曲 作品100』の楽譜表記の研究も進めています。『洗足論叢』にも発表しているのですが、現在ブルクミュラーに関する3本目の論文を執筆しているところです。私にとって、特に興味の惹かれる分野のひとつですね。
──最後に、洗足へ通う学生へのメッセージをお願いいたします。
どんな世界がこの先待っているかは本当にわからないけれども、逆に言えば、こんな状況だからこそいろんなチャンスが生まれてきています。音楽に関してもさまざまな仕事が生まれてきていますし、昔と比べてみて“やろうと思えば自分からなんでもできる時代”です。
どこかに属するのもよし、自分の感性に従って自由に動いてみるもよし。どんな状況であれ、自分から動いてみるだけで、チャンスに巡り逢える時代だと思っています。ただ、そのときの強みになるのって、結局は学生時代にどれだけ熱心にチャレンジし続けてきたか……だと思うんですね。
チャレンジするのは、恐ろしいと感じてしまうこともあるかもしれません。でも、チャレンジしたからこそ分かることや、得られる経験はたくさんあります。だから、大丈夫。今目の前にあることを、真剣に、熱心に、取り組んでみてください。そうすればきっと、思いもよらぬチャンスが巡って来ると私は思っています。
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Text and Photographed by 門岡 明弥