「気分」は「自分」ではないと考えたらブログが継続できるようになった

私の母校は駒澤大学です。

駒澤は仏教大学なので「座禅」の授業があります。

その授業では現職のお坊さんが講師として招かれ、生徒である私たちに座禅を指導してくれました。

私は無宗教ですが、仏教は宗教というより身体科学として昔からちょっと興味があります。

「気分」は「自分」ではない

これは当時、私に座禅を指南してくれたお坊さんが口癖のように説いていた言葉です。

「気分」の正体

半跏趺坐(はんかふざ)と呼ばれる窮屈な座り方で、長時間座っていると様々な「気分」が沸き起こります。

まず足の痛み始まり、眠気、辛さ、悲しさ、退屈、怒り、バカバカしさ、諦め、笑い、恐怖etc…

それらのあらゆる感情や妄想が入り乱れて、私のような素人はなかなか心安らかに座る事は難しいのです。

過去にはパニックになって、そのまま救急車で運ばれてしまった生徒さんもいたそうです。

ただ「座る」という単純な作業がいかに難しいのか、この授業で思い知らされました。

講師の先生いわく、座禅中に沸き起こるそれらの妄想や邪念は全て「まやかし」なのだそうです。

そしてそれらの「まやかし」は、自分への「あまやかし」の心から生まれると仰っていました。

今思えば、言葉遊びが好きなお坊さんでした。

「まやかし=あまやかし」が邪魔をする

ちょうど一年半前。

感染症の流行という、いかんともしがたい外部要因によって自分の手がけていたイベントビジネスが出来なくなりました。

そこで私は長い間手をつけずにいた「アフィリエイトブログ」を再開したのです。

ブログ運用した経験のある方は共感していただけると思うのですが、アフィリエイトはなかなか成果が出ません。

当然、毎日更新しなければならないのですが、出るわ出るわ自分自身への「まやかし=あまやかし」笑

「今日はちょっと疲れてない?」

「今日だけは休んだら?」

「今日暑すぎない?」

「今日は寒すぎるって!」

「無理すると体壊すよ!」

「そもそも成果出てないじゃん、やっぱ無理なんだよ!」

ありとあらゆる言葉で、毎日「まやかし=あまやかし」が私に語りかけてきます。

「まやかし=あまやかし」に負けない秘訣

「まやかし=あまやかし」は、何かを継続しようとする我々に悪魔のように囁きかけます。

座禅の授業では、それらに打ち勝つには「習慣化」が重要だと教わりました。

人が何かをしようと意識して判断しようとすると、必ず行動を阻害する心の動きが発生します。

重要なのは判断しない事だそうです。

「やるべきか?サボるべきか?」考えるから前述の「まやかし=あまやかし」が発生します。

トイレに行くのに、わざわざ「行くべきか?漏らすべきか?」とは誰も考えません。

お腹が空いたら「食べるべきか?餓死すべきか?」とも考えません。

息を「吸うべきか?止めるべきか?」考える人はいないでしょう。

「ブログを書く」事が自分にとって重要ならば、食事や呼吸と同じレベルで「習慣化」してしまうのです。

つまりいちいち思考しない、ただやるのです。

私の場合、朝起きたらまずコーヒーを淹れる。

その間にノートパソコンを立ち上げ、コーヒー片手にブログを書きあげてしまう。

その際、例によって「まやかし=あまやかし」が囁きかけてきます。

しかし、沸き起こる「気分」は「自分」ではないのです。

そう自分に言い聞かせることで、なんとかブログを習慣化する事に成功しました。

まとめ

まだ誇れるほどの目覚ましい成果は出ていませんが、今ではブログは少なからず私の大切な収入源の一つとなっています。

そのささやかな成功以来、ブログに限らず「習慣化」は何をするのにも大事なキーワードだと感じています。

これからも、自分にとって人生で大事なことは、座禅で学んだ「習慣化」で、少しずつでも成果を出せていければと思います。






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