寿町

あの日あの時あの町で(横浜寿町にて)

僕は2014年1月から2018年3月までの4年2カ月を横浜寿町で過ごした。その日々は僕にとって、かけがいの無い日々となった。僕はヨコハマホステルヴィレッジという、簡易宿泊所の空室を利活用したゲストハウス運営をメインの業務としていた。現在の、寿町のコトなども詳しく書かれているので、興味がある方は、公式サイトを是非とも!!

2016年3月からの2年程は、寿町まで徒歩5分の築50年程のアパートに住んだり、ゲストハウスの夜間業務を担当することもあり、町のヒトや、近くのお店の方にお世話になっていて、自然とあいさつが出来て、世間話を出来るような顔見知りもいて、町に馴染むことが出来ていた。

また、疲れた時に行く銭湯と、そこからの行く立ち呑み屋は定番のコースだった。

休みの日は、仲乃湯からのフライ屋さん。仕事終わりは、小山湯からのもつやさんの様に、行く銭湯を選ぶことが出来るのもあの町の特徴だと思う。銭湯では、どんなヒトも同様に包んでくれて、それは「寿町」のそれと少し重なる部分を感じていたのかもしれない。

露天風呂があって、コスパが抜群の仲乃湯さん

横浜で1番長い歴史を誇り、薬湯も楽しめる小山湯さん

寿町には大学を卒業する前の年、2010年7月に、卒業論文を書く為に訪れ、大学を卒業する2011年2月にも、男3人で泊まったことのある「安宿街」のイメージが強かった。ただ、働く中で「寿町」の歴史を触れる機会も多く、やはり、まだまだ偏見があるということも強く感じた。そして、2018年3月に寿町を離れたことにより、いまだに偏見が強くあることを認識することとなった。それは、やはり昔の「ドヤ街」のイメージが今でも多くのヒトにあるからなのかもと思う。

僕自身も怖い目にあったコトは実際に何度かあるし、警察の方に助けていただいたコトもあった。だけれども、それ以上に、僕は寿町に救われていた部分の方が強かったと今は思えている。

コミュニティやまちづくりが声高に叫ばれている今の時代の最先端が「寿町」にあるような気がしてならない。過去の歴史を活かしながら、まちづくりを行っていく。そこには勿論、行政も関わってくるのだけれども、行政だけではなく、その町に住んでいるヒトが主体となって「まちづくり」が行われていく。そんなモデルケースのひとつを「寿町」で学ぶことが出来た。

そんな「寿町」の今を視るが出来るイベントが来週末1月25日(土)に開催される。きっと、1日では「寿町」を解ることは出来ないと思う(何故ならば今も僕は解らないことばかりだから)。だけれども、視るコトで知るコトはきっと出来るだろう。