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【定期記事】「努力家」ではなく「努力化」でありたい、というお話

 努力家ではなく「努力化」を目指さなければならない。そのように考えはじめたのは、あるイラストレーターの方の配信を観ていたときです。残念ながら、アーカイブは消えてしまったのですが、その4時間近くの配信を傾聴している間、様々なことを考えました。今回はそのうちのひとつの事について、お話させていただければと思います。

 わたしは、「努力は必ずしも報われない」という考え方に対して、いまいち実感を持てないでいました。というのも、わたしの周りには努力の果てに夢を叶えたひとが、たくさんいるからです。いままでの記事で言及した中だと、就活を放りだして創作に専心し、長年の目標だったシナリオライターになった友人がひとつの成功例です。

 しかしわたしは、努力が報われたという結果ばかりを受けとっていたのではないか、と思うようになりました。本当に学ぶべきであり分析するべきものは、彼がした努力の内容の方ではないかと思い直したのです。彼の努力が、夢を叶えるために最適な方法だったからこそ、彼はいま、シナリオライターとして活躍しているのではないのでしょうか。

 夢を叶えるためには、それに適した努力の仕方をするべきだというのが、そのイラストレーターの方が仰っていたことでした。闇雲に努力をするのではなく、必要な努力だけをすると言い換えてもいいかもしれません。確かによく考えてみれば、受験に合格するために最適なメソッドを求めて、参考書や塾を選ぶというのはよくあることです。

 わたしはいままで、抽象的な「努力」にばかりフォーカスしていました。しかし実際は、努力の方法を誤れば結果は伴わないのだと思います。このことはわたしにとって、大きな発見であり、自省しなければならないことでした。

 学生のころに洋書を読みたいという目標を立てたときに、どのような努力をしていたのかということが、いま書いて(考えて)きたことの具体的な例になるのではないかと思います。わたしは洋書に挑戦したころ、以下のようなことをしていました。

 まず、英文法を完璧にマスターするところから始めました。しかし、いつまで経っても洋書のページをめくっていないことに焦り、とりあえず一頁ずつ丁寧に読んでいくという方向性に切り替えました。

 ですが、専門書の場合、前提となる知識が不足していると、訳してみても意味が通らなかったり、うまく内容を咀嚼できなかったりします。

 そこで、文法も単語も分からないところがあったとしても、取りあえず一通り読んでみることにしました。何度も読み返しているうちに、分からなかったところも分かるようになるだろうという考えからです。

 最終的には、それなりに英文を読むことができるようになったのですが、正直、どの方法が効果的に働いていたのかということは、よく分かりません。

 しかしこのことが指し示すのは、どのように努力をするのが最適なのかということを試行錯誤した結果として、当初の目標を達成したということです。つまり、努力の方向性の変化のプロセスが、目標(夢)の実現に繋がったと考えることはできないでしょうか。

 わたしはこれを「努力化」と呼ぼうと思っています。絶えず努力をする(努力家)のではなく、努力の方向性を変化させ続ける(努力化)のです。おそらく先行する用法があり、わたしの造語ではないということは確かでしょうが、少なくとも、わたしは上記のような意味で、この言葉を使おうと思っています。

 闇雲に努力をするのでもなく、ひとつの努力の方法にこだわるのでもなく、努力の方向性を絶えず変化させる。こうした「努力化」を念頭に置きながら、夢に向かって「努力」していきたいと、いまは思っています。


 本記事は、今年最初の定期記事になります。今年も2週間に一度、土曜日に、定期記事を投稿していく予定ですので、是非遊びにきてください。

 本当は先週に投稿する予定でしたが、イベントに参加するために遠征をしていたので、本日に変更いたしました。なので、次の投稿は来週になります。

 寒さ厳しい日が続いておりますが、お体に気を付けてお過ごしくださいませ!

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