インタビュー

気付きを得て定まった『書くことのベクトル』【受講生課題記事】

※こちらはco-ba school「ライティング基礎ワークショップ」の受講生が、課題として作成したインタビュー記事です。

山崎さんが、18歳の時に東日本大震災で被災してから、編集者・ライターとして働く現在までに得た『気付き』のお話しを伺いました。

- 東日本大震災当時に「明日自分が死ぬかもしれない。だから今できることは全部やっておこう。」という切実さを伴って生活をしていた側面はありましたか?

あり...ました。いつもと変わらない日だと思っていたのが、一瞬で「ボン!」て揺れて、「このままだと家に潰されて死ぬ!」と思うほどの揺れが収まった時に「あ、生きてる」と実感して。

そこから数日間は水や電気や水道も来なかったので、何が起きたか分からなくて。4日後にやっとテレビで石巻の様子を見て「これは本当に凄いことになった」と思いました。それからは毎日『放射能が云々』といったニュースしか流れないので、どの情報を信用すればいいのかまったく分からなくなってしまいました。

「生きてる心地がしない」とまでは言わないですけど「普段の生活が全くできなくなってしまったなぁ」と感じて、怖かったですね。
そこから数年間は「こんな風にいつどうなるのか分からないなら、『やりたいことは全部やる』!」みたいな感じでやってました。
「やりたいことやりたい!」っていうよりは「やりたいことやらなきゃ!」って。

- 被災体験を通じて、「これからは後悔しないように生きよう」とすごく切実に思ったご自身が、新卒で入った会社では「自分が壊れてしまった」経験をされていますね。震災の時にあんなに切実に色々感じたはずなのに、そうなってしまった理由をどうお考えですか?

あぁ、それは自分の中で思い当たる理由があるんです。
自分では『やりたいことをやっていた』と思っていたんですが、今振り返ると、『自分が本当にやりたいこと』ではなく『人が驚いたり褒めてくれそうなモノ』をやっていました。
仮に自分のやりたい事が『書くこと』だったとしても、それによって友達が驚いたり「すごいね!」って言ってもらえないようであれば、自分の中では『やりたいことではない』という扱いをしていたんです。

被災体験を通じて感じた、切実さから来るエネルギーを違う方向に使っちゃってたんですね。でも、いろんなものを捨ててそれに気づいて。

- 「捨てて」とおっしゃったのは、どんな風に?

静かな奥多摩の古民家で3ヶ月住む機会がありまして。そこで深く自省をしたんです。「褒められるためにやったってしょうがない」と気付いて、色々なものをふるいにかけられました。この時間を得られたことは僕にとって大きな意味がありました。

- そういう「物事が変化する瞬間」に、何があると感じますか?

「言葉にもできず形にも見えないちょっとした確証」のようなものがある時は大体うまくいきます。
自分の諦めの悪さに諦めがついて「本当の意味で執着を手放せた時期」にスコーン!って入ってきた球をキャッチしてみると「あ、これだ!」って。
肩の力が抜けてて、心配事がなくてニュートラルな状態で、視野を広く持てていたり、フットワークが軽かったりするのがいいのかなと思います。

- そのような変化を経て始められたnoteに「人の言葉を使わずに自分の言葉で発信すること」に価値を置いている、と書いておられましたね。

新卒入社時の会社で、他人の言葉で生きて自分の感情を見失った経験があるので、それに対する大きな恐怖感があるんです。「もうああはなりたくない」って。
今は自分から出てくる言葉を大事にすることと、それに対して人がくれる言葉をどう活かせるか、が大事だと思っています。
ただ、自分の気持ちの方が強く出てしまうこともあってその葛藤と戦っています。

(インタビュー・文/浅野 理絵)

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