尼僧の懺悔2

道場修業時代は、僧侶としての基礎を教育されるとともに、僧侶の裏の慣習にも親しむことになる。
出自の様々な者が一つ所に閉じ込められ、一畳程度の仕切りもない場所で生活するのである、いいことも悪いこともすべて筒抜けで、それらは瞬時に共有される。

聖俗様々なことを学んだが、当時携帯電話を持つことは修行僧の裏スタンダードと化していた。
もちろんご法度、ご禁制の品、見つかれば即没収。
しかしそれはなぜか私以外、全員持っていた。

連絡を取りたい人は誰もいなかったが、横のツールとして私にも必要だったため後日入手するに至ったのだが、修行中は正月に親に電話するくらいしか使い道がなかった。
しかし修行が終わって自坊へ帰ると、それはそのまま横のネットワークとして機能する。故に解約もできず、そのまま維持していた。
全国あちこちに散った仲間からの情報は、とてもありがたかった。

あるときネットで本を取り寄せる必要があって、何気なく読んだ本のレビューを、某サイトに暇つぶしに書き込んだことがあった。

もともと文章を書くのが好きだったので、勢いついでに一つ二つと書いていくうちに、同じ本のレビューを書いていた人とレビュー上で会話をするに至り、メッセージ機能を使ってやり取りをした。

レビューの一人称が「私」だったことで、相手が女性だと勝手に思い込んでいた私は、自分の職業をオープンにした所、相手も同業者でしかも男だということを知った。

なんだよ、男か。

男の僧侶に常に下に見られ差別される尼僧は、そもそも男僧に媚びへつらうことはない。
彼らの数倍の仕事をこなしても認められず、常に日陰の扱いをされることを身をもって知っている尼僧にとって、奴らはただのライバルであり、味方ではないからだ。

彼との出会いは厄介ですらあった。
まあ、他宗なら利害関係もなかろうし、本の話くらいはいいだろう。

そもそも出会い系サイトなどでもないし、相手も私のことを男だと思っていたようだった。
異性がどうというより、他宗の生活がどんなものか興味が勝って、時々近況やら、生活のことなどを訪ねるメールをやり取りすることになる。

運命の歯車はとても絶妙で、同じような在家出身の出家が出会ったこの偶然は、後にすさまじい形で回収されるのだが、その時の二人には知る由もない。

私は全く利害関係のない新しい同志を手に入れた新鮮さで、見失いかけていた自らの将来を、どうにか補おうとしていた。

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