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日中戦争開戦当初、ひな人形も5月の節句人形も軍人登場ーまだ遠い戦争の実感

 当方のⅩ(旧ツイッター)の冒頭写真にも使っていますが、こちらは、長野県の軽井沢町のご家庭にあった「事変人形」と呼ばれる変わりびなです。軍刀を手にした兵隊1人と女子青年団のたすきをかけた女性2人の3人組です。「皇軍万歳」の旗、日の丸を手にした女性たち、そして兵隊は敬礼をしている様子。春らしく、櫻が咲いています。

 ひな人形のいろんな部品を流用しているのでしょう。兵隊の手も何かをにぎるような形ですが、ガラスケース入りのままの保存で欠落もなく、特に何も持っていなかったようです。女子の長い髪をばっさり切り落として作ったおかっぱ頭は、哀れなような切ないような気分にさせてくれます。

 年代等の記載はないので、信濃毎日新聞の過去の記事を調べたところ、1938(昭和13)年2月26日の新聞に「事変人形ーひな祭り時局調」の見出しで、東信地方の店頭に登場した変わりびなのことを紹介。「兵隊さんと銃後の女性をあしらった『皇軍万歳』など」とありますので、まさにこのひな人形がそれにあたると判断しました。
 時節柄、事変人形が飛ぶような売れ行きーと記事にあり、そこそこ、出回った様子です。幸い、ガラスケースが残ったままのものを入手できたので、保存状態は良好です。まだ国家総動員法が可決される前で国内のストックもあって物不足感がないころ。日中戦争は前年の末に南京を陥落させていて、この戦争ももうすぐ終わりだといった、余裕の残っていた時期の貴重な品。軍隊が中国で大活躍してくれている、兵隊さん頑張れといった、戦争を遠くに感じているような、当時の雰囲気を伝えてくれています。
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 そして5月…女子青年団が見送った兵士は

 最前線で活動しておりました。
           

 桃の節句用に作った「事変びな」がそこそこ当たったため、男の子の成長を祝う同じ年の5月の、端午の節句向けに作られた人形とみられます。

 刀も頭部や手も、ひな人形の部品の流用とみられます。刀は固定されていて、抜いて持たせることはできません。ケースの背景は、いかにも中国の激戦中の城壁で、日中戦争を題材としていることは明白です。

土嚢も積んであり、戦闘の雰囲気があります
台座には鉄条網らしき作りも

 鉄条網にゲートル、背後に日章旗と、芸が細かいです。弾薬ごうもつけて歩兵を表現しているので、本来なら小銃を持たせるべきところですが、手間を惜しんだのか、刀のほうが格好が良いと考えたのか。
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 こうした日中戦争を題材にした変わりびなは、ほかにも、大砲を置いて砲撃場面を再現した豪華版や、騎馬兵士の人形、戦車兵(戦車は背景の絵だけだった様子)なども存在しています。「立派な兵隊さんになる」のが当たり前だった時代の、当たり前の人形だったかもしれません。あるいは、商人の商魂が作らせたものかもしれません。
 しかし、子どもの成長を願い、将来の夢を語る場に、死と隣り合わせの兵隊の人形。どこか不安げな表情にも見えてしまう「お祝い」の人形たち。二度と、こんな人形が作られ、お祝いに並ぶのが「当たり前」の時代に戻したくありません。

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