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<戦時下の一品> 片面刷り往復はがき

 いまや、郵便自体出す機会が減ってきているので、この「片面刷り往復はがき」も、どこがおかしいのか、分からない方もけっこういるのではないかと思います。時代が移りすぎて「変なモノ」の意味が解らなくなる前に、記録しておきます。

 さて、普通の往復はがきは、下写真のようになっています。未使用品を入手できなかったので分かりにくい面はあるかと思いますが、往信面なら左半分が往信のあて名書き、右半分は返信の本文を書く面になっています。
 裏返すと返信面になっていて、やはり左側が宛名書きの面、右側が送り主の本文を書く面になります。

こちら、往信面。このはがきは、返信面も往信側が印刷してあります
こちら、返信面。返信面のあて名も、既に印刷されています

 この往復はがきは長野市の大日本法令印刷株式会社が、株主総会の通知を長野県都住村(現・小布施町)の株主にあてたもので、1942(昭和17)年10月7日の消印が押してありました。株主総会の案内なので、会社側で返信宛名(会社名)、往信文書(株主総会案内)、返信文書の委任状部分を印刷し、株主のあて名を往信のあて名部分に書いて出したものです。株主側は出席しないなら返信側本文の委任状に住所氏名押印をするだけでした。往信側を表になるようにたたんでしまえば、表面に出る住所は当然、送り先(この場合株主)だけですので、郵便局で間違えることもなく、配達されるというわけです。

往信側の住所が出るようにたたんで発送
裏は相手が書く返信用の本文。通常なら白紙になるところです

 しかし、往復はがきは、往信側と返信側に切手部分などの印刷をそれぞれ行うため、両面印刷が必要でした。当然、機械は両面同時印刷できるものか、片面印刷を二回行う必要があります。両面同時印刷でも、当然手入れなどは片面印刷より多くかかります。
 こうした労力すら削減しようと登場したのが、片面印刷の往復はがきです。宛名面を片側に印刷してあり、左が往信用は変わりませんが、裏返すと、左側が返信用本文の記入用、右側が往信用本文の記入用となり、両面刷りに比べると、宛名面側と本文側で左右が逆転しています。

左側が往信、右側が返信
左側が返信用、右側が往信用です

 いつごろ片面刷り往復はがきが作られるようになったかは分かりませんが、この長野県小諸町(現・小諸市)の株主あて往復はがきは1944(昭和19)年12月に発送されていますので、少なくとも1942年10月~1944年11月の間に変更されたとみられます。
 往信と返信が並んでいると、あて名書きなどで間違えるといけないうえ、たたむと両方とも宛名面になることから、配達員らが混乱しないようにという配慮もあったのでしょう。往信側の切手部分は四角、返信側が楕円として区別できるようにデザインしてあります。

切手部分の形で区別

 ただ、この事例も株主総会の連絡ですので、出すほうも迷いがないでしょうが、普通の人が使う場合、差し出す時、左側の往信あて名書きはできても、裏返すと往信返信の区別のない白紙ですから、今度は右側に本文を書くよう、気を付けなければなりません。慣れればどうということはないかもしれませんが、既に慣れている人にとっては失敗をすることもままあったのではないでしょうか。

この場合は往信側が右、返信側が左。印刷に出すにも気配りが必要だったでしょう

 利便性より効率性を追及し、それで余裕が生じたとして、それが軍事に使われるだけというのは切ないものです。また、これは推測ですが、空襲が激しくなって逓信省の印刷工場が破壊された場合に備え、地方の工場でも手間をかけずに対応できると考えたのか。いずれにしても、ひとりひとりの利便性を犠牲にして戦争を遂行していく、戦時下ならではの品といえるでしょう。

 現代の効率化も、そんな利用者や労働者を無視する形で進んでいるものがありはしないでしょうか。


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