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教育勅語? そんな過去の亡霊は、もういらないね

 最近、教育勅語を職員研修に使っている首長がいると聞きました。まあ、ものごとを知らないから、権威にすがらないと部下を指導できないから、明治政府の作ったシステムに頼るだけなのではないでしょうか。
 ところで、大日本帝国憲法が発布されたのは1889年(明治22)年。「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すべからず」で始まり、天皇を君主として明確にしました。教育勅語が出されたのはその翌年、1890(明治23)年10月30日のことです。教育方針について長官会議で政府にまとめてほしいと言われたなど、経過はいろいろありますが、天皇の神格化の一環であったことは間違いないでしょう。ところがよくわからない為、表題写真のように、さまざまな時代にいろんな解釈本が出されています。下写真が、教育勅語全文です。

「教育勅語・戊申詔書義解」(明治44年・長野県南佐久郡校長会編)より

 教育勅語は、大きくは3つの部分に分かれます。文章全体の構成を分かりやすく示したのが下写真です。

(同上)

 「朕惟フニ」から「此二存ス」までの最初の段落は、「天皇の先祖が国を開き、臣民の先祖は忠孝の道を守って今の美風をつくってきた。天皇の徳と臣民の忠孝の厚いことは我が国の美風で、これが教育の大本である」という趣旨で、天皇のありがたさと、天皇に従うことの大切さを強調しています。
           ◇

(同上)

 そして「爾臣民」から「顕彰スルニ足ラン」までの第二番目の段落。ここには先の「教育の大本」から分かれ出た、国民の行うべき徳目を列挙してありますが、忠孝の精神はここでも基本。この徳目とされるところは並列で、これらのことを守って「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり天皇をずっと支えよと書いてあります。

(同上)

続けて、それは天皇に対して忠義であるだけでなく、先祖の残してきた美風を表すことにもなる、としています。

 最後の段落は、先にあげた徳目が天皇の先祖が残された教えであり、子孫も臣民もともに従い守るべきものとし、固く守るようにとしています。
           ◇
 全体を通してみれば「国のために忠義を尽くせ」に収れんされる内容です。文全体を通じて何を伝えているかを読み解くのが大切なのであって、部分的に取り出して「良い所もある」というのは、意味がないし、それは文全体を肯定しているからこそ出てくる言葉でしょう。ある徳目を強調したければ、それを踏まえた教材や話題を使えばいいだけの話であり、天皇に対する忠義と家父長制を徳目とする「教育勅語」をわざわざ持ち出すことはありません。
 また、それぞれの徳目は、明治時代の価値観における解釈での徳目であることに注意しなければなりません。例えば「夫婦相和シ」は、基本的に女性は夫に付き従い、波風をたてるなという意味になってしまうのです。家制度の下、何の権利も与えられない嫁という、当時の時代を考慮するとすなります。
 そして、特に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ」は、戦争を大前提としているのは明白で、例えば「教育勅語画解」(1933年、教育勅語聖旨発行会)では、弘安4年の元の侵略に身体を張った武者の絵を掲げています。

「教育勅語画解」より

 また、1912(明治45)年に長野県の上伊那郡教育会が発行した「教育勅語・戊申詔書義解」では、はっきりと「もし、いつか、国に戦争のような、大変の事の起こった時には、忠義を尽くすために、勇気を出して、天皇のため、国のためにつくし(略)天皇のご運をたすけなければならない」と分かりやすく書いてあります。

上伊那郡教育会発行「教育勅語・戊申詔書義解」より
(同上)

 現在、能登半島地震の被災地では、多くの自衛官、警察官、消防、公務員、民間会社、地域の方々、それにボランティアら、大勢の方が行方不明者の捜索に、避難者の救援に、インフラの回復にと、正月返上で力を注いでおられます。彼らは、天皇のためではなく、同胞、同じ国に住む仲間のため、誰に褒められるわけでもない、ただ、その苦しみを分かち合う。辛さをともにのりきるという思いで頑張っておられることでしょう。現地に行けないまでも、せめて今後の支えにと寄付をする人も大勢いるでしょう。
 それは、忠義だ孝行だという、上から与えられた徳目とは無関係です。同じ人間同士であるというだけです。この一点を見るだけでも、もはや教育勅語の徳目とされる部分でさえ、厳しい上下関係や家制度などの時代に合うように選ばれた徳目であり、陳腐化していると言わざるを得ないでしょう。
 教育勅語は1948(昭和23)年、国会によって排除、失効が確認されました。その時は忠君愛国の精神的教育方針と民主主義が相いれないということでした。もう、130年以上前に戻らずとも、教育勅語なくとも、国民が互いを認め、支え合えるのです。教育基本法の改悪もありましたが、教育勅語は歴史の一幕として、自然消滅するのにまかせるのが一番でしょう。上下関係や他人を羨む心、ねたむ心をなくし、分け隔てなく認め合い生きていく中でこそ、国境までも越える本当の公共の心が育つのではないでしょうか。

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