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軍事は頭数で決まると考えていた大日本帝国陸軍のひとつの証明ー燃料の研究者を5か月の教育召集に引き抜き

 大日本帝国における軍隊への徴兵は、基本的に個々の事情が斟酌されませんでした。大日本帝国憲法下の日本では、国民は「臣民」であり、天皇の「赤子(子ども)」であるので、個人の事情より「国家」=「天皇をみこしとかつぐ官僚集団など支配層」ーの事情が優先されたからです。戦前の日本における徴兵制に基づく国民皆兵とは、そういうものです。

 この考えに沿うあまり、優秀な研究者でも一兵卒として投入したり訓練したりする方が、レーダーや燃料など近代戦に必要な研究よりも優先ーという、およそ現実には向かない事態を引き起こしています。
 表題写真と下写真は、そんな硬直した姿勢を示す書類で、高オクタン燃料開発を請け負っていた関西の会社から陸軍に提出された「応召職員召集解除方御斡旋嘆願ノ件」です。書類作成日は、既に太平洋戦争がミッドウェー海戦での敗北を経て、ガダルカナル島での日米の戦闘が行われていたころ、1942(昭和17)年10月20日となっています。

社員の教育召集解除を要望した書類(手紙)

 この書類によりますと、大阪帝国大学を卒業して入社した社員の一人が、1942(昭和17)年8月1日から5か月の教育召集のため、奈良中部第67部隊に召集されて職場を離れているが、これによってアルコールから高オクタン燃料をつくる研究が滞っているので召集を解除してほしいとしています。

教育召集であり、戦場に出ているわけではありません

 しかも、この研究については、「軍当局へ申し上げ於ける所」であり、陸軍も把握していることを強調し、研究を緒に就けるため機械をそろえるなどしていた所であったと現状を説明。「御承知の如く本研究は其の使命重大」とあらためて訴えています。日付が10月ですから、しばらくはほかの社員らで対応しようと我慢していたものの「この任に当たる者は全く特別の知識と経験とを必須とし、今直に余人を以て之に替え難く」「同人応召以来弊社に於いては誠に困窮仕り」と行き詰まっている様子です。
 そして、納期が切迫しているのか「兼ねて軍当局に申し上げ置き候高オクタン燃料の研究並びに生産の遂行に著しき支障を来すべきを以て弊社に於いては日夜焦慮仕候」と苦境を打ち明けています。

中心研究者1人を抜かれて研究が進まないと吐露

 ところで、教育召集とは、徴兵検査で合格したが定員によって現役召集されなかった第一補充兵に対し、戦場に出ることに備えて最低限の軍事教育を施すための召集でした。つまり訓練でしかありません。陸軍当局にも伝えてあると強調しているのも、そのあたり、なぜ考えてくれなかったのかとの思いが詰まっているように思えます。
 当時は、緒戦の勝利で南方の石油資源は押さえたものの、海上輸送能力に課題がありました。そして日本の高オクタン価の燃料製造技術は未熟という状況で、燃料の開発研究が急務だったのは言うまでもありません。
 その中軸となる研究者を戦時の5か月間、無造作に一兵卒となる訓練に投入するとは、徴兵制の融通の利かなさをよく表しています。この書類では、最後に、応召については本人にとっても会社にとっても「此の上なき光栄」として、決して軍を批判するものではないと言外に表しつつ、「職域を通じて一意御奉公」させてほしいとしています。

応召を光栄と機嫌を損ねないように…

 このような状況は戦時下の日本ではよくあったことで、レーダーの研究でも次々に研究者が引き抜かれるので開発は大変だったと言われています。しかもこの事例は定期的な教育訓練で5か月を割かせるもの。いかに日本の軍隊が知性を軽視したか、如実に表れています。その結果は、米国の科学力を生かした軍隊に敗北する結果とつながっていきます。

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