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戦争にかこつけて売り込め売り込めー(商品販売編)
ふだんから軍隊が身近にあった大日本帝国では、その軍隊への親しみを利用するような広告が平時からありました。戦時となったら、なおさらのことです。戦時下の世相が見えてくる広告の数々をどうぞ。
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上写真は、戦前から上田市の名物で県外にも大量に出荷していた老舗の年末の広告です。「皇軍慰問」と入れてあるところから、満州事変か日中戦争下かと推定します。歩哨のスタイルは当時の写真でよく見られます。
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こうしたチラシのほとんどは、年代不明です。が「健康報国」と強調してあるところから、やはり日中戦争ころかなと。やがて宣伝しなくとも、麦混食が奨励されるようになるので、その前のものでしょう。
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こちら、長野市の書店の万年筆広告。「戦時体制下の時局に当たりこの度大蔵省令を以て金の統制節約を図ることになり」金を使う製品の質に縛りがかけられたので、12金の万年筆しかつくれなくなったことから、在庫の14金ペンを今の内にと。検索できそうなのに分からなくて申し訳ないですが、日中戦争のころでしょうか。なくなる前にどうぞというのはいかにも戦時下です。
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上写真は、長野県飯田市の菓子店の広告です。日中戦争もいつ終わるか分からないので何か奉公したいとして「製菓奉国」の一端として、郷土出征兵士の慰問品としての発送に「特に大奉仕」し、出征家庭の家族用にも「出来得る限り大勉強」いたしますと。誠実な雰囲気があふれます。「花は桜木 人は武士」をひきあいに「長寿堂自慢の桜餅を召し上がって出征御兵士のおもかげを偲んでいただきます」というのもうまい文句です。
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長野県松本市にあったデパートはやしやの広告です。「祈武運長久」と入るだけで、堂々と配布できる雰囲気が出ます。
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長野県穂高町(現・安曇野市)の呉服商が共同で作った広告。「感謝皇軍御奮闘」という文字だけでなく、兵士のイラストも配置して、目を引いています。
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上写真は、長野県上諏訪町(現・諏訪市)の薬局名が入ったメーカー広告でしょう。「翼賛健康」という、良く分からないフレーズが、大政翼賛会の発足翌年のまだぎこちなさを表しています。南方を中心にした地図は、既に太平洋戦争を暗示しているようですが、蘭印との交渉に関心をもたそうとしたのでしょうか。
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上写真は、常備薬の売薬商人が配ったものでしょう。「守れ皇国いたはれ我が身」と、体の心配をしてくれるのが薬の広告らしくていいです。
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こちらも富山県の売薬商のもの。「東亜の建設は大和民族の使命」とあり、日中戦争膠着の1940(昭和15)年前後のものでしょう。「興亜の理想薬」と大きく出ています。
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子ども向けの広告はいろいろありますが、こちらだけ紹介いたします。鉛筆を「一日と話すことのできぬ僕等の兵器」というキャッチコピーはなかなかのものと感じます。こちらは戦時下か平時かは不明ですが、子供向けの広告はそういうものが目立ちます。普段から興味を引くために多用していたのかもしれません。
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こうした軍事絡みの言葉が周囲にあふれていると、自然に意識というものは形作られていったでしょう。何事も、ほどほどが一番かなーと。
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