展示会に出し切れなかったものたち少し紹介
今回の展示会には222点の戦時資料と若干のその他の資料を展示していますが、さまざまな理由で展示しきれなかったものも少なくありません。というわけで、そんな展示しきれなかったモノたちを紹介。
戦時下の児童作品。パネルに張るのは2枚だけ、として3枚のうちから漏れたもの。ちょっと天皇家のことを指すという説明が必要だし、同じのをふたつ並べたのは作品として魅力に欠けると思い…。
17の禁止職種が決まる前から、売る物がなくなった商店主らが勤労報国隊を作って各地に出向いていました。年齢層や服装から、そんな感じですが、17職種禁止であぶれた方たちと混同されるといけないので外しました。当初は釣り堀などで過ごしていましたが、当局は見逃すはずもなく。満蒙開拓団に身を投ずる方たちもおられました。
とにかくでかい。これ1枚でパネルを埋めてしまう。また、ほかにもいくつかありましたが、開くと崩壊が進みそうなものなど。会場の広さを勘案して間延びしないように考えているので、あきらめました。
こちらも大きいという理由と、これは3点ワンセットだから価値があるので、全部をうまく提示する方法を思いつかず。会場に平置きの台をもう一つ置いて見せてもよかったですね。軍隊も進路の大きな選択肢であるということや、人材を求めるのはいつの時代も同じという感じは伝わってきます。ただ、まだこの時期、ぜひ軍隊へいかねばという圧力がない時代であり、割愛しました。
大日本国防婦人会の地元関連資料はけっこうありましたが、スペースの都合で割愛。これを見ていただくと、国防婦人会はより生活の分野で力を発揮しようとしていたことが分かります。ここに、愛国婦人会との溝の一つがあったと言えるでしょう。大日本婦人会統合後は、物資不足への対応は急務なので、救恤より生活という、国防婦人会活動のほうに引っ張られている印象を受けます。会誌の変遷もそんなところからきているのかもしれません。
とにかく、台所を何とかするというのが、敗戦を挟んで戦後まで、女性たちの大きな悩みでした。わずかなものをいかに生かすか、と不足を前提としての論調が切ない本です。ただ、過去記事で解説していますが、この本の内容はとにかく国の方針が一番正しいという方向に貫かれていて、国防婦人会は国の小さな出張所のようだったことを示す内容でした。ただ、その説明をするにはパネルでは余裕がなく、外しました。QRコード使えばよかったものの一つですね。反省。さらにこの本、戦後に誰かが役立てたようです。
既に1944年末にはこんな状態。会場に提示した伊那高等女学校も1944年度の3学期が空欄だったのは、既にこういう状態だったからですね。これはなんとかねじ込みたかったのですが、余裕なく頭も回転せず。長野の改札の女性だけで我慢しましたが、成績表の隣に入れても良かったと思って居ます。
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さまざまな理由で取り上げなかったとはいえ、いずれも展示されていてもおかしくないもの。いつも、悩みながら、の作業です。逆に、こうして比較して源泉したものを展示しているともいえるのではないかと。引き続き、これら経験を、今後の展示や発信に生かしていきたいと思っています。
第8回展示会「戦争だ! 女、子供だ! ついでにビールだ!」展は、18日までです。最終日、18日は午後3時で閉館しますので、ご注意ください。じっくりみていくと2時間はかかりますから…。
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