昭和19年の実際の食糧事情と「決戦下の食生活」で呼びかけている内容の乖離
太平洋戦争も敗勢は濃くなり、軍事や軍需で農村の働き手も減っていた1944(昭和19)年の、食生活に関する2点の資料を比べてみました。1点は長野県商工経済会などが県内の6市合わせて50世帯の食料品入手実績調べのうち、とりあえず1-3月分をまとめた「秘・長野県に於ける戦時食生活の実情概要」(7月発行)、もう1点は大日本婦人会の「決戦下の食生活」(10月25日発行)。現場の分析報告と庶民の啓もうという、狙いはそれぞれ違った資料ですが、突き合わせるなどすると、本音と建て前が出てくるような感じがします。
まず「実情概要」で、コメ、味噌、醤油、砂糖、蔬菜、魚・肉、果実の各品目による、1日当たりの熱量とタンパク質についての記述がありました。「近時の栄養学的研究によれば青年1人1日のタンパクの必要量は80グラムで熱量は2400(キロ)カロリーである」との前提で、タンパク質は50・25グラムで29・75グラム、熱量は1309・7キロカロリーで1090・3キロカロリー、それぞれ不足と指摘しています。
一応、配給の油やこの項目に当てはまらない物もあるから、実際の数値は増してくるだろうとしていますが、1-3月が食糧の枯渇時期として「4月以降は摂取量が増す見込み」と期待を掛けた表現に、不足を認めざるを得ない現状が読み取れます。
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一方の「決戦下の食生活」では、必要な摂取量からして違ってきます。
東京都の配給量(割当、有料)で熱量1400キロカロリー、タンパク質40グラムはあるとし、「実情概要」の数字とは大きくは離れていませんが、「戦前、食糧が豊富で腹いっぱい食べて居た時代には、我々の栄養量はタンパク質80グラム内外、熱量は2000(キロ)カロリー内外であった」として、必要な熱量を引き下げてあります。そして「咀嚼法をよくすれば半分の食糧で満腹する」という項目などを立て、外国での研究事例から「日本人に対してはタンパク質28グラム、熱量1400キロカロリー」で十分と、つまり、配給割当で十分とします。
そのうえで、「決戦下の食生活」では、闇の買い出しでは熱量わずか50キロカロリーしか支えられないとし、闇買いは苦労するだけと強調しました。
一方、長野県の「実情概要」の食糧入手先をみてみます。
おおむね1割が買い出しによって得た食糧です。全体の熱量が1300キロカロリーあまりでしたから、買い出しは130キロカロリー程度、結構重要な食糧の支えとなっています。
また、「実情概要」では闇値にも触れ、特に果実類は公定価格に比べ行商人が10倍、買い出しが5倍として、闇値横行の実情を伝えています。
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長野県の調査が1-3月、大日本婦人会の本が10月の発行ということを考えると、既に栄養不足状態だったものが改善されず、結局現状の配給割当(有料)で何とかせよという訴えをせざるを得なかったようです。そのために外国の研究事例(具体的な年代や論文は示さず)らしきもので「これまでが食いすぎで、今がちょうどよく健康にも良いと納得させようとしているのが明らかです。
ちなみに手元にある「決戦下の食生活」は戦後古書店で売られ、1947(昭和22)年に購入した方が、ビタミン接種方法など線を引いて参考にしていました。戦時下の本が、戦後の食糧難時代にも縋りつかれたという点、切ないものがあります。