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<戦時下の一品> 出征、戦死の門標

 いつごろから始まった風習かは分かりませんが、戦争に兵隊を出している家には、地元の在郷軍人会などから「出征軍人」の門標が贈られるようになりました。特に決まったデザインはなく、地域によってそれぞれでした。

いずれも「出征軍人」門標

 こちら、一番シンプルですが、頑丈な板で反りもなく「出征」と刻んだあとに赤く色づけしたのでしょう。地域は不明です。

シンプルだが頑丈な門標

 こちら、柾目の白木に陸軍の山型を赤く塗り、きりっと毛筆で書いたようです。篠ノ井町は、現在の長野県長野市篠ノ井にあたります。篠ノ井町の在郷軍人会の「芝澤班」に属する地域の方だったのでしょう。

毛筆や塗りで仕上げ
表に釘などが出ないよう、ひっかける掘り込みが作ってありました

 こちらの門標は薄い板になりますが、表面全体を黒く塗り、陸軍の山型は赤、出征軍人は金でそれぞれ書いてあります。裏には「大東亜戦 昭和十七年五月五日召集サル東部第十二部隊入営ス 名前」と、本人が書いたらしい説明が残っていて、「昭和二十年九月六日伍長ニテ復員ス」と、ペン書きの追記があり、戦死されることなく帰られたことが分かりました。

しっかり塗ってあり、剥げ落ちも少ないです
自分で外した時はほっとしたことでしょう

 出征中の軍人の家の門標に対して、戦死者が出た家にかけられたのが「名誉の家」「誉の家」といった門標です。

こちらは家族としては手にしたくないもの

 こちらはホーロー引きのもので、岡谷市の方からご寄贈いただきました。門というより家に入ったすぐの柱に付けてあったそうです。ビルマ戦線で終戦間近に亡くなられたということです。日中戦争に入ってからは民間で使える金属が減っていきますので、ある時期にまとめて作られたのではないかと思われます。

ホーロー引きに押し型という門標
上諏訪町(現諏訪市)のお店がまとめて注文されたのでしょうか

 こちら、大阪府の「在満支将兵後援会寄贈」とある門標。セルロイド製の本体に日の丸と「名誉之家」の文字があり、さらに上からキラキラしたものを塗ってあります。これは日中戦争当時のもので、太平洋戦争開戦で使われなかったものとみられます。

袋入りで入手。キラキラしたものが撮影中も剥がれてきました

 最後にこちら、靖国神社が作ったもののようです。瓦のような感じで「誉之家」とあります。死しても盾となるようなデザインに感じます。

焼き物でも作られました

 兵士を出したり戦死者が出た家は、何等かの手不足になっているのは間違いない所で、門標が近所の支えのきっかけになるなら十分役割を果たしたでしょう。でも、二度と必要な日が来ることのないよう、努力していくことこそが、戦争で苦労したり亡くなられた方に報いることではないでしょうか。犠牲は、もう出しませんから、安心してくださいと。

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