空襲から逃れる「疎開」にも、いろいろ煩雑な手続きが必要でしたー対象者も防空法で限定されました
1944(昭和19)年になり、いよいよ日本本土への空襲本格化が予想される中で、1月には防空法による疎開命令、3月には閣議決定で一般疎開促進要項が出されます。しかし、促進要項で認められた疎開者は高齢者、幼児、妊婦、病人に限定され、このほか建物疎開に伴う転出者が加わります。つまり、防火活動に従事できる人の疎開は基本的に難しかったのです。
一方、この年の夏からは学童集団疎開が始まります。そのほか、個別で両親の実家などへ身を寄せる「縁故疎開」が行われました。しかし、この時期に至っては生活の必需品はほとんど配給割当(有料)となっているうえ、列車の切符を取るのも許可証が必要になってきていました。このため、身一つで動きたくとも、なかなか簡単にはいかず、さまざまな書類が必要になっていました。その一端をご紹介します。
こちら、長野県松代町(現・長野市)に本籍があって東京の世田谷区にいた2人家族が、1945(昭和20)年4月に広島県戸坂村へ疎開した際の「地方転出申告書」です。日付は3月31日付で世田谷区長宛てです。
そしてこの時期、東京都では、都市疎開に伴う地方転出者に移転奨励金を支給していました。こちら、その申請書になります。都民税の記入欄があり、それを元に決定したとみられますが、金額欄は不記載になっています。また、提出日などもなく、決済欄もないことから、ここまで書いたものの、結局提出しなかったと思われます。転出日が4月4日になっていますので、手間がかかるため疎開するのを優先したのかもしれません。
そして、こちらが「都市疎開に伴う地方転出証明書」。これがあれば切符を手配でき、転出先で転入の手続きができるのでした。日付は3月31日付で、申請したその日に出ています。このころは3月10日の大空襲や21日の山の手空襲などが連続して罹災民も来る、転出者も来るで、問題なければどんどんさばいたようです。この夫婦の場合、防空法で認められる転出対象者には一見すると見えませんが、罹災したのか、高齢対象者(65歳以上)に準ずると判断された可能性が考えられ「特」の判を押した証明書になっています。このため、2人世帯ですが全員移転を行っています。
一方、こちらは学童の縁故疎開です。東京都京橋区から、長野県西春近村(現・伊那市)の母親の実家への引っ越しとみられます。1944(昭和19)年10月10日の転出なので、集団疎開より家族がそろっていられる縁故疎開を選んだのでしょう。母親と9歳、3歳の子どもが疎開します。父親は東京に残りました。仕事の関係や、都市の防火要員としての縛りもあったでしょう。
そして、こちらは1944(昭和19)年5月25日に代々木警察署公布の旅行証明書です。旅行の理由を見ると、東京都渋谷区に住んでいる人が長野県保科村(現・長野市)の実家へ疎開する話し合いのためとしてあります。一緒に入手した婚礼特配の衣料切符から、この方は結婚して間もなくの方で、結婚して上京したはいいが、早々に疎開の話になっていたということで、なかなか大変です。おそらく、妊娠したので疎開の話になったのではないでしょうか。既に長距離の移動には、警察署で証明書が必要になっていたことも明確になる資料です。
最後に、下写真は子どもが国民学校生ではないため学童疎開にならなかった方のもので、東京都武蔵野町から、母親の実家の長野県小諸町(現・小諸市)への転出証明書です。転出は1945年3月25日で、東京大空襲以後、転出が増えたうちの一つです。こちら、世帯主が母親ですが、家族は4人となっています。もう一人は、長男が防空法の縛りで居残ったのかもしれません。そして疎開する子ども2人は国民学校高等科と女学校の学生ではありますが、女子学生であり、防空要員にならないとの判断で「特」の証明書発行となったのかもしれません。
今回、あらためてこれらの資料を確認し、「特」と入った転出証明の意味を深く考えることができました。当時の防空法では、あしてまといになる人の転出は認めるが、輸送の問題もあり、また都市防火、生産の問題もあることから、転出を認められなかった人が多くいたことも明快になりました。モノの本当の意味を見抜き伝えるため、背後の政府の動き、特に防空法と、関連する閣議決定との絡みが、これらの資料に大きな意味を与えるでしょう。
それにしても、この項を書くにあたってあらためて「『逃げるな、火を消せ!』戦時下トンデモ『防空法』」(大前治著・合同出版)を読み、人の命を的にして国家を守らせる思考に戦慄せざるを得ませんでした。
本と資料を突合せ、法律により世帯全員での転出が困難であったことがよく理解できます。戦時体制の強権を資料と共に伝えていきたいと、改めて誓いました。
ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。