マガジンのカバー画像

<戦時下の一品>ー逸品?珍品?皆さんでご判断を

21
収蔵品の中から、特別に紹介したい収蔵品を「戦時下の一品」として紹介していきます。過去のnoteに取り上げたものでも、あらためて「一品」に絞って紹介させていただいたり、分からないこ…
運営しているクリエイター

#戦時下の生活

<戦時下の一品> 皇軍慰問用絵はがき「銃後のスター」

 今回は「皇軍慰問用絵はがき 銃後のスター 新進映画女優A」を紹介させていただきますーと…

<戦時下の一品> 軍事柄の食器 

 戦争中とは限らず製造されたものと思われますが、いちおう、戦時体制下でのお品ということで…

<戦時下の一品> 出征、戦死の門標

 いつごろから始まった風習かは分かりませんが、戦争に兵隊を出している家には、地元の在郷軍…

<戦時下の一品> 防空用鼻緒

 表題写真でも表題でも、何のことやら、とお感じになられる方が多いと思います。下駄の鼻緒な…

<戦時下の一品> 軍人五箇条の杯

 こちら、軍人が天皇のためにあるべき姿を示すため、1882(明治15)年1月4日に下賜した勅諭…

<戦時下の一品> 慰問袋

 前線に出ている兵隊に、せめて何か送って感謝を示すーということで奨励されたのが「慰問袋」…

<戦時下の一品> 千人針の腹巻

 戦場へ出向く兵士に対して「無事で帰ってきてください」とは直接言えないのが戦時下。慰問の手紙も未練を残させないように「さようなら」で締めくくるという息苦しい、天皇の為の軍隊の定め。その中で、無事を祈って庶民が作り出したのが「千人針」です。  女性が一人一針、心を込めて玉止めを作ります。寅年生まれの女性だと、その年齢分、玉止めを作っても良いとされており、お願いする側としては大変その出会いも嬉しかったでしょう。腹巻が一般的ですが、チョッキのものもありました。こちら、長野県松本市か

<戦時下の一品> チョキンアソビ

 こちら、おそらく日中戦争当時に作られたとみられる玩具「チョキンアソビ」です。これでそろ…

<戦時下の一品> 国策栄養食製器

 こちらの品は、本体、箱、レシピ集の栞(演説付き)をまとめて入手いたしました。製造年は特…

<戦時下の一品> 黒い牛乳瓶

 本来、透明な牛乳瓶が、透明なガラスをつくる材料不足から、さまざまな色のガラスくずで作ら…

<戦時下の一品> 片面刷り往復はがき

 いまや、郵便自体出す機会が減ってきているので、この「片面刷り往復はがき」も、どこがおか…

<戦時下の一品> 川原式防空カバー

 防空演習が1928(昭和3)年の大阪を皮切りに各地で行われるようになりますが、いすれも夜間…

<戦時下の一品> 陶器製ベーゴマ

 日中戦争が始まってしばらくすると、金属は戦略物資であるとして民間に流れる量が抑えられ、…

<戦時下の一品> 携帯国旗

 こちら、旗の横幅28センチ、プラスチックらしい持ち手の長さ33センチの日本国旗です。長野市でつかっていた方のもので、戦時下ではいつ何時必要になるか、分からないので折りたたみ傘並みの必需品、だったようです。  そこで! 国旗も折りたたんで携帯式にすればと発案した方がいたのですね。袋には「新案携帯国旗」とあり、「旗行列に 歓送迎に 慰問袋に」と確かに使えそうなところを列記してあります。  さて、取り出しますと、中身はさらに小さい13・5センチほどの長さ。  布を広げて、持